富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

2003-04-01から1ヶ月間の記事一覧

四月三十日(水)曇。連日、疫禍に絡み奇怪なる風景を目にするが、マスクしての体育もさぞや苦しかろう。酸欠になって事故でもあったら誰が責任とるのだろうか。写真の中に挿入した「オジサンのマスク姿」もここまでガスマスクみたいのすると、それが兵隊な…

四月二十九日(火)曇。先帝のお誕生日か。黄昏に湾仔春園街の楊春雷にて涼茶。百年ぶりにジム。鍛錬。夕暮れを眺めるにつけ、香港の、世の中は全く普通通りの日常が続いている。唯一異なることといえば海外から誰もやって来ず(といいつつエイシンプレスト…

四月二十八日(月)快晴。疫禍、どうにかおちつきつつあり。感染者が10数名と安定しており治癒して退院する者も増え、現在感染している患者数相対的に減少傾向にあり。感染は短い期間ではゼロにまで解消されまひが、少なくとも特定の場所などでの大量感染や…

四月二十七日(日)晴。走行会にてWilson TrailをQuarry BayよりStanleyまで歩く企画ありZ嬢も参加ゆえ朝Quaryy Bay Jogging Trailまで同行、一行と別れ3kmほど走り帰宅。昼に沙田競馬場。バスに乗るとキャンベルスープの内装(広告)がすごいキッチュ。三…

四月二十六日(土)薄曇。昼前に浜辺にて昼寝、新聞雑誌目を通すが初夏の風心地よく携えた本まではとても読めず。夕方に百年ぶりにジムにて鍛錬。晩にランニングクラブY氏台北に転勤の送別会あり中環は黄色門(写真左)にて四川料理。相変わらず秀逸。こと…

四月二十五日(金)快晴。このところ煩事多くつい喫煙していたがまた断つ。Z嬢と湾仔藝術中心にて昏時待ち合わせ藝術中心の六階だかにある食堂。不味さ名を馳せていたが雅厨なる名前となり梃子入れしたらしく南の味覚取り入れ評判だそうな。お薦めのNonya L…

四月二十四日(木)曇。日本や海外より疫禍見舞のメール何通もいただくが某大学にて平安文学と古典芸能教鞭とるT君より「いにしへより「唐土の鳥の渡らぬ先に」と七草を囃しますごとく、このたびの悪疫流行、否応なく遠からず我朝にも渡来のことでありまし…

四月二十三日(水)快晴。日本より母からユニチャームのマスクやイソジンが疫禍見舞いに届く。小包受取りにZ嬢郵便局へ行くとマスクの小包受取りでなく発想する日本人の女性あり、見てみれば宛先は北京と上海。北京にて疫禍広まりマスク不足で緊急物資送付…

四月二十二日(火)快晴。昨晩遅く荷風先生の日剩、久々に開いて昭和11年の初秋を読む。ようやく墨東綺譚書き出す頃なのだからいったいいつ読了することやら。諸事に追われ晩に慌てて尖沙咀の文化中心に滑り込むが映画は今晩は7時45分とわかり半時間持て余…

四月二十一日(月)昼前に湾仔詩藝劇院にて黄精甫&李公楽監督『福伯』看る。マカオの検死所(法医師の下、検死の解剖に当る職員の通称が福伯)と死刑囚が刑執行待つ監獄にて死刑囚に美味なる料理供するポルトガル人の主厨。いい役者揃えて、深刻な映画不況に…

四月二十日(日)快晴。盛夏。一路海灘。炎天下といつても肌炒るほどの陽射でもなく新聞、『世界』読む。浜邉に人出多し。湾仔からの夕暮れ一景に値す。日暮れてジムに一浴。尖沙咀のDomonにて葱味噌拉麺。Z嬢と科学館にてタイのJila Meligool監督“Mekhong …

四月十九日(土)昨日に引き続き快晴。イースター連休にこの清清しき天候、昨日も郊外に行楽に向う人多く山や海はかなりの賑わいとか。窓から眺めると確かに山道に行山の輩多し。気温も上がり夏の如し。疫禍に鬱々としているよか郊外の自然のなかで欝憤発散…

四月十八日(金)書斎の冷房機これからの季節といふ時に数日前冷房機能不調となりもうだいぶ老朽化した騒音ばかりうるさくそのかわりちっとも冷えず然ぞや電気代だけは浪費しているのだろうと思え買換えを決めるが疫禍にて消費は滞っていると聞いていてもど…

四月十七日(木)昼は快晴。こんな青空いったい何ヶ月ぶりだろうかといふほど爽やかな晴天、気温もあがり湿度さがり爽快。このような天気続き疫禍収まることを祈るばかり。疫禍にも効用もあり。まずエレベータ、ふだんなら人が乗り降り終わりもせぬうちに「…

四月十六日(水)曇。晩に映画看ようかと思ったら午後六時過ぎに董建華及び衛生局長、教育統籌局長の記者会見開催されU姉とそれ見て映画逃す。Happy Valleyより尖沙咀東まで車で15分きっかり。水曜日とはいへ沙田で競馬開催にてHappy Valley道路規制ないにせ…

四月十五日(火)曇。在香港日本国総領事館で在港邦人にマスク(1セット5つ組)配布あり。外地に暮らし13年目、日本政府より物資配給に預かるは初めて。物資供給など中近東だの遠い世界の話と思い、まさか香港にて自らがその恩恵受けるとは思いもせず。で…

四月十四日(月)六日で15本映画みたが藪用あり今日は映画見られず。 ▼ 昨日の日経、内閣府による「人権擁護に関する世論調査」にて在日の外国籍市民に対して「日本人と同じように人権を守るべきだ」と答えた日本人は6年前の調査での65.5%から54%まで下落…

四月十三日(日)曇。疫禍続き精神的な疲労ないとはいえず。ふと気がついたマスク着用の効用。まずバス停での排ガスに効果覿面は勿論だが大気汚染の香港ではマスクしていれば鼻のなかが汚れないほど。具体的にはどれだけ今のマスクが高性能か、といえば鼻クソ…

四月十二日(土)曇。朝五時に寢て八時起床。目覚めに老境を覚えざるを得ず。ジャスコの薬局にてサトウ製薬の高性能マスク、携帯消毒噴射液購ふ。昼前に湾仔詩藝にて陳善之こと劉鎮偉監督『92黒?瑰對黒?瑰』1992看る。92年に見逃せし梁家輝主演のコメディに…

四月十一日(金)曇。不思議と、当初はマスクする人が怪しげに見え、自分がすると照れくさく、いずれにせよ慣れぬマスクがいつの間にか装着していることが当たり前となり、寧ろマスクせぬ人を珍しいものでも見るように見ている自分がいる。マスクもここまで…

四月十日(木)小雨。香港映画祭。二更にChristian Frei監督の『War Photographer』(2002年スイス)見る。悲慘な戦争、貧困の現場を撮る写真家たちのドキュメンタリー。淡々と。記者のカメラにつけられた小型ビデオカメラが戦争で傷ついた人々、死者默々と…

四月九日(水)曇。朝八時にマンション出てミニバス乗ると感染者出た棟より偶然か朝早くから運送会社のトラック止まり引越し。肺炎からの避難かマンション封鎖されること恐れての措置か。ふと、もしかすると大切なニュース読んでおらぬのではないかしらとふ…

四月八日(火)昨晩読み残しの『反逆の獅子』ミニバスにて読み耽り北角葬儀場のまえ過ぎるも忘れLeslie張國榮の葬儀の朝の様子見逃す。昨晩の通夜には萬千の参列者あり隣せし運動場まで開放。供花は英皇道にまで長く溢れむ。折からの肺炎禍にLeslie急逝、ど…

四月七日(月)雨。わが国に強靭なる細菌、悪疫すら防ぐ効力「えんがちょ」あり。由来知らぬが、左右の手、人差指に中指絡ませ「えんがちょ」と叫べば即刻防御壁出来、外界より自ら遮断される秘伎なり。子どもの遊びのようでいて指のかたちの意味深さに余は…

四月六日(日)小雨。Runnning clubの有志にて青山Castle Peak登る。金鐘よりバスで屯門、市中心よりタクシーで青山寺麓。小雨あがりここから坂道一気に登り583mのCastle Peak、屯門の市街見下ろす絶景。このあたり一帯かつて英軍の野戰訓練域にて立入り禁止…

四月五日(土)曇り。在港の知人幾人かより離港の報せあり。本人が意思より駐在員が家族にての遅ればせの会社命令多し。戦線離脱の如し。それにしても何度どう考えても何故肺炎感染のリスク最も高い頃に何ら対処せず傍観し今ごろになって勧告、危険情報出れ…

四月四日(金)曇り。Exodusが始まっている。香港から大量の日本人がWHOの渡航自肅勧告と日本政府の危険情報発令に靡いて香港から避難してゆく。結論から言おう、常軌を逸している。現実問題として最も感染のリスク高かった時を逸してリスク急減する今にこの…

四月三日(木)天気予報は最高気温26度、濕度92%、すっかり不快な春、気温は24度止まり乍ら驟雨幾度かあり雲の絶間に陽光さす。WHOの香港及び広東省への渡航自肅勧告、日経も朝日も一面トップで伝える。ちなみに香港の新聞では蘋果日報は巻頭10頁特集は張國…

四月二日(水)いぜん肺炎感染収まらぬ模様。『信報』の隨筆(粛威廉)語るに、ローリングストーンズの歴史的香港公演が肺炎で中止となったがかりに実施されていたらそれこそ歴史に残るマスクコンサートになったのだろうが、この筆者、先月末に香港小交響楽…

四月一日(火)戦争は終わったって、と築地H君より報せあり。フセインはシリアに亡命、イラクには親米政権樹立のはずが予想以上の反米感情の高まりで工作失敗、アラブ民族主義掲げる反米政権が樹立され、フセインなきイラク、反米政権だからと攻撃する口実…