富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

四月二十一日(月)昼前に湾仔詩藝劇院にて黄精甫&李公楽監督『福伯』看る。マカオの検死所(法医師の下、検死の解剖に当る職員の通称が福伯)と死刑囚が刑執行待つ監獄にて死刑囚に美味なる料理供するポルトガル人の主厨。いい役者揃えて、深刻な映画不況に直面してからの最近の香港のあらためてじっくりと映画制作に取り組んでいる姿勢が見える佳作。昼から同じ詩藝劇院にてPeter Mullan監督“The Magdalene Sisters”看る。今年のヴェネチア国際映画祭にてLeone d'oro(金獅子賞)の作品にて60年代のアイルランド舞台に修道院の施設に収容された少女たち、その多くが私生児出産や非行、場合によっては男に暴行された被害者ながら処女でなくなったことを親親族に咎められ、この施設に遣られ、ここが神の名の下に監獄の如き世界で修道女たちにより暴行加えられ、少女を甚振る神父までいるのは昨年の神父男童性犯を見れば今さら愕かぬが……。この修道院、ホテルだの役所の洗濯業請負い、それをこの施設に収容された少女らに過酷な労働強いてがいたが、当時、大型の洗濯機だの乾燥機の登場により、また教会勢力の弱体化で経営成り立たなくなり、推定で約30,000人の少女がこれらの施設に収容されていた、といふが最後に残った施設も96年に閉鎖され、この映画は当時の収監された少女たちの実録をまとめたもの。教会側は未だに謝罪賠償には応じておらず。フーコーの明らかにした、この政治装置。当然、この修道院アイルランドの宗教社会、カソリック、如いてはキリスト教の描き方が意図的に悪しく描かれている、と非難もあるが、この映画がバチカンを圍む伊太利のヴェネチアで金賞、なのである。マカオの検死所と監獄、アイルランド修道院施設とせっかくのEasterの休日に重い映画続き陰鬱とした気分のまま午後遅い映画に向おうとHarbourview Renaissance Hotel(写真左)とGrand Hyatt(同右)を通り抜ければ宿泊ロビーには客一人もおらず。ここまで旅行者激減かと体感。藝術中心にて白川辛司監督『眠る右手を』看る。208分の長編、デジタルビデオ作品だが先日の“ Welcome to Destination Shanghai”のような技術的な問題は当然なくビデオの良さが出ているのだが、脱疽の如き難病にて身体が失われてゆく画家、右手を失った彼と崩壊する家族、オカマの介護師、その介護師と愛人、ゲイの友人たちを巡る物語、自ら来港していた監督は人間同士の愚かな駆引きが描きたかった、と語っているが、余はこうした実験映画的なものが理解できず。鈴木清順監督の『ツィゴイネルワイゼン』が理解の限界だといふと実験映画好きには哂われるだろうが事実。寺山修二の『書を捨てよ町へ出よう』(71年)はまだ理解できたが『田園に死す』(74年)看ても何がなんだかさっぱりわからず。ただ当時(といっても実際に見たのは80年くらいなのだが)こういった映像がわからない、と言うことはかなり勇気要ることだった記憶。閑話休題白川辛司は寺山、それに萩原朔美、商業映画では鈴木清順からATG作品の流れに位置するのだろうか。帰宅してかなり久々に自家菜(レストランでの外食に対して「内食」でもいいか)。久々にテレビ看る。疫禍感染者20名台と少し減り安堵。だが問題は今後、中国本土の疫禍。
▼かなりいぜんから気になっていたのだが湾仔の藝術中心の地下、つまり度々訪れるLim Por Yuen Theatreの男子トイレ、便器の下に高さ10cmほどの上げ底あり便器の位置かなり高く、便座に坐れば酒場のバーの椅子の如し、小用にと思っても普通の小便器より高い位置。ジャイアント馬場向き。何故に不条理なこの設計かと思ったがZ嬢の話では女子トイレも同じだとか。絶対に必要ない設計であり、わさとそうしたのでないことだけは確か。考えられるのは水まわり、だが水道管なら下げることは容易、では汚水管だと思えばその高さに横から引かれていてしまい、それ以上管を下げると汚水が便器に逆流でも起きるとか……そんな事由しか考えられず。いずれにせよいぜんから気になっていが画像に収めたくてもトイレ利用者ありデジカメ携えておらず。今日はデジカメあり、3時間半長丁場の映画の途中、劇場内冷凍庫の如く冷えて小用あり上映中にトイレにて画像に収める。
▼北京の非典型肺炎感染者発表数37名から一気に九倍余の349名となり中国での昨年11月衛生部長及び北京市長解任。香港ですらこれだけの蔓延なのだからこの疫禍、中国にてどう対処できるか、は深刻な問題。北京や上海などに集る出稼ぎ労働者、そして盲流の如き浮流人口、北京だけでこういった者や旅行、仕事などで首都に出入りする非定住型の人口が400万人いわれ、メーデーの連休もあり、そういった移動人口から感染が全国に広がる恐れもあり。50年代の大躍進期の衛生運動にて全国から蝿を一掃と蝿叩きが全人民に奨励されたが如き国民運動では到底防げぬ疫禍にて、中国にとっては89年の天安門事件以来の非常事態だが、政治運動は党專制にて抑制可能だがウイルスと感染症は政治による解決不能にて、広範な民衆レベルでの対処要するが、問題は、49年の建国以来最も疎かにされたのがこの民生であり、経済成長は容易いが49年以来の負財産がここにて炸裂する可能性大。文革ですら乗り越えた中国であるがこれまで対処したことなき初めての疫禍にどう対処できるのか、問題が政治だけでは済まされぬ点に於て建国以来の試練かも知れぬ。