2002-12-01から1ヶ月間の記事一覧
十二月三一日(火)薄曇。朝、摂氏九度。第十甫路まで散歩して陶陶居にて早茶。陶陶居は清末の1880年開 業にて葡萄居といふ原名だったものを「樂也陶陶」の意より陶陶居と。巴金や魯迅先生も茶一服。かつては白雲山九龍泉水を用いてこれを炭火でことことと沸…
十二月三十日(月)薄曇。Z嬢と朝のT820直通列車で広州。肇慶だの従化温泉だのの途中立寄りが続 き広州だけに来たのは何年ぶりか。列車のなかでずっと同行の者、しかも通路はさんだ側に坐る者と大声で語るか携帯で誰かに電話するかずっと続ける乗客あ り。…
十二月二十九日(日)曇。午後ジム。鹿砦社の『スキャンダル大戦争2』読む。中森明夫氏が『噂の真 相』の連載で紹介していたのだが著者の大江健三郎君自身が封印してしまったといふ『セブンティーン第二 部・政治少年死す』が板坂剛によって文芸評論文の資…
十二月二十八日(土)晴。気温九度にて厳寒続く。蔡瀾氏の検索をしていたら広州に留学から現在は香港 の日本料理店「銀座」で女将となった一条さゆり嬢の 日記を知る。その才知といい文章といい尊敬に値するさゆり嬢の日記読んでいたら昼近くになってしまい…
十二月二十七日(金)小雨。摂氏八度。昨日の厳寒に因る死者は高齢者を主に12名、と。防寒の備えな き寒烈なる苫屋にての卒倒などが原因。小熊英二氏の『<民主>と<愛国>』新耀社刊読み始める。小熊氏の 著作は『単一民族神話の機嫌』『<日本人>の境界…
十二月二十六日(木)曇。十三度の気温ながら九度まで下ルと低温「警報」発令される。昼まで競馬予 想。沙田まで出向く覇気なく、ただこのままでは宅に籠りッきりになり昼に一時間ほど湾岸を走る。午後沙田競馬のテレビ中継。Allan、Hynesなどガ イジンばか…
農歴壬午年十一月廿二日。薄曇。テレビのニュース報道見れば尖沙咀の波止場附近、昨晩は聖誕節にて異 教徒ども朝まで騒ぎゴミ散乱し芸術中心の壁にスプレーで落書きなどの狼藉甚だし。醜悪。昼まえにZ嬢とジム。ジムのお師匠さんなどメリークリスマスを連 …
農歴壬午年十一月廿一日。Z嬢とSir Cecul's Rideより初めてWilson Trailの小馬山を越える径に入る。山頂の無線アンテナを眺め香港トレイルに入りjardine Lookout、陽明山荘からMiddle Gapを経て香港仔水塘より香港仔の市街に至る。20kmに満たぬ距離を四時間…
十二月二十三日(月)晴。昨晩よりこの富柏村サヒトのserverであるvirtualave.netつながり悪く本日は終日ほぼつながらず。 日頃米国の覇権主義など非難しておりながらちゃっかりserverは米国のを利用するとは余も卑怯。それにしても外部からの攻撃多いのかつ…
十二月二十二日(日)快晴。冬至。昨晩珍しく三時頃まで夜更かし朝寝して九時すぎに起きる。昼前に七 日のLauntau Islandのトレイルレース以来で山を走る。Mount Parkerの峠まで30分歩いて登り淺水湾まで40分。大譚の水塘より淺水湾峠までの快適な引水路に鉄…
十二月二十一日(土)曇。年末でといふ訳でもなく時間持て余しふと自宅の掃除、片づけなど。昼に競馬 予想し掃除続けつつテレビ観戦。99年に5冠1亜未負で沙田銀瓶賽にて蝦に2馬身差をつけてた名馬京城之寶(Kingston Treasure)の馬主京士頓城団体の京城…
十二月二十日(金)雨。夕方、小雨のなか広州行きの切符と宿のvoucher受取りに尖沙咀の旅行代 理店Nに参る。これまで何度か旅行手配を依頼したT嬢と初顔合わせ。やはり真摯そうな人でかういふ人になら旅をお任せできる、と思う。百年ぶりに吉野家で牛丼(…
十二月十九日(木)曇りから雨の予報に反して好天。今週香港に滞在するY君と深センに遊ぶ。改装で多 少見栄えのする中国側の通関にて外国人に対して内地居民台胞(Resident of Mainland China & Taiwan Resident)といふ表示見てこの表示は見慣れているもの…
十二月十八日(水)曇。自宅にてハッピーバレーの競馬テレビ観戦。三週続けて競馬場に行かず。ことに 今晩は実力差のない馬が張合いとてもテレビ観戦では馬が見えず小額だが赤字。フジキセキを父にもつThe Archiever一番人気の3.2倍だかで5着、本調子には遠…
十二月十七日(火)曇。百年ぶりにジム。昨晩に引続き中野のY君、それに湾仔在住のY君とジムにいた C君誘い尖沙咀の金島燕窩潮州料理にて晩餐。 ▼自衛隊のイージス艦「きりしま」世 界平和の一翼担おうと出港す。これまで自民党にも戦前戦中派のいくらタ…
十二月十六日(月)快晴。昼までに三名の香港原居民馬狂と昨日の香港馬大活躍を話す。三名とも失礼な がら日ごろそれ程の冷馬的中なき人士ながら三名とも昨日はOpympic Expressの46倍かPrecisionの66倍のいずれか「当然、とった」と。香港馬が来ない訳なし、…
十二月十五日(日)快晴。年に一度の香港国際賽事の開催。勇み午前11時の開門と同時に沙田競馬場に 入場す。10年以上前にテレビのドキュメンタリーにて競馬場の様々な物語を映す番組あり、冒頭「男たちの朝は早い」と開門と同時に競馬場に向かいパドック に…
十二月十四日(土)快晴。黄昏に月本夫妻と粗呆区のDocaだかBacaだかいふ酒場に一飲。Z嬢加 わり私房菜(無許可の自宅開放型飲食店)のなかでは老舗となった中環の黄色門 Yellow Gateに食す。予想以上の秀逸なる料理の数々。前菜には甜酸小黄瓜、麻香萵筍、…
十二月十三日(金)快晴。安物買いの銭失いといふ言葉あり。昨日購った中古の8850、8のキーの接 触悪くNokiaのサービスセンタに持ち込むが係員曰く中身本物ながらキーパッド、外殻など模造品にて改装、と。摸造でもよいか外殻の微妙な精度の悪さに より中身…
十二月十二日(木)晴。麗か。一年半ほどだか携帯はNokiaの8250使っ ていたのだがどうも飽きがきてしまひ同じNokiaの8850がもう三 年だか前のモデルなのだが競馬馬主らにとってのステータス的携帯「だった」わけで後継機種は8855など出てい るのだがどうして…
十二月十一日(水)寒き曇天。今晩はHappy ValleyにてInt'l Jockeys Championship開催されるが体調イマイチにて肌寒くさっさと帰宅。ウォッカ一飲し風呂で競馬予想。Dettori、Kiane、武豊、 Fallon、Peslier、Oliverなど世界の一流騎手が揃う大会にてテレビ…
十二月十日(火)晴。寒さいくらか和らぐが昨日は凍死者4名(冗談 に非ず)、極寒の地にては摂氏11度など温暖だろうが、人間の身体も感覚もいかに皮膚感覚かを物語る。晩に北角の寿司加藤にて食す。番組の 姿勢が嫌いだといいながらプロジェクトX見てしま…
十二月九日(月)晴。朝の気温摂氏十一度。極寒。この気温尖沙咀の天文台測量にて山あいのマンション 高層の拙宅は更に寒し。大気透けて遠く馬鞍山、大帽山まで一望は冬空に遠く筑波や富士の嶺を眺める坂東の枯野を彷彿。夜になれば九龍の夜景殊更に輝く。関…
十二月八日(日)小雨。寒波到来。午後外に出ると気温摂氏14度まで下がり極寒凍えるほど。街には毛 糸帽子、コート、手袋に身を固めた市民少なからず。夕方ランニングクラブの幹事会にて蘭桂坊のDaily Breadなる星巴向かいのカフェに集おうとするが潰れてお…
十二月七日(土)晴。昨年に引き続きランタオ島にて開催されるPhoenix Walkathonに参加。梅窩から大澳まで昨年27.5kmを5時間52分という時計にて個人10位になってしまい多少意気込む。が、12月だ といふのに26度まで気温上昇と天気予報。朝はここ数日の如く…
十二月初六日(金)朝は寝室より眺めれば真っ白な濃霧ながら天気予報外れ久方の心地よき快晴。晩に拙 家に戻り食材も作り置きもなく外食すべきことをすっかり忘れていたことにふと気づく。老痴なり。近所の超級市塲にて即席の杯麺(カップヌードル)と公仔炒…
十二月五日(木)壬午十一月初二日。朝起きれば世界は一面の濃霧。春三月の如き高温多湿。週刊読書人 に『家畜人ヤプー』を漫画化する江川達也の対談(宮台先生が相手)ありこの石森章太郎以来の漫画の『ヤプー』読む前に江川達也がどんな作家であるのか知ら…
十二月四日(水)晴。風邪にて朝C医師の許を訪れ診断受け終日伏せる。薬にて朦朧としつつ『最後の宦 官秘聞』読了。監訳者(1955-79まで北京放送日本語部にいた林芳)あとがきに「原書の内容も複雑多 岐にわたっていたが紙数の都合により日本語版は出版側の…
十二月初三日(火)壬午年十月廿九日なり。晴。かなり久々にNHKプロジェクトX視る。イトーヨーカ ドーの社員がセブンイレブンを日本にて開く物語。緻密な製作のようでいて粗いところは昭和43年のピンキーとキラーズ「恋の季節」を 昭和46年を描いた映像で使…
十二月初二日(月)曇。S氏より電話あり雑談にて余の放出した書籍を獲た、と。書籍拙家に残すには場 所が足りず読了の本多く処分するがバザー等に出す本も少なくなし。S氏バザーにて三島由紀夫書簡集と美輪明宏『紫の履歴書』の二冊を獲て自宅に戻り開いた…