富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧

荷風散人逝去六十年命日

農暦三月廿六日。昼にかけ大雨。夕方から宮中にて聖上退位礼正殿之儀。天皇崩御から新天皇即位は昭和→平成で見聞してゐるが(といひつゝ“The Emperor Hirohito died”は豪州パースの魚市場に流れてゐたラジオ放送で知り帰国したら、もう平成であつた)、天皇…

農暦三月廿五日

農暦三月廿五日。陋宅の在る団地の759 阿信屋がいつの間にかひっそりと閉店。 廉価の日本製スナック菓子や麺のスナオシの〈水戸発 だしがきいてるそばだっぺ〉と同〈うどんだっぺ〉をこれから何処で贖へばいゝのだらうか。やはり人出のある商場や繁華街なら…

「平成最後」の重賞レース、海外G1で日本馬勝利……か

農暦三月廿四日。朝、黒雲が空を低く覆ひ驟雨。次第に空は明るくなり沙田の競馬場に行く。今日は国際G1でChairman’s Sprint Prize、Champions MileとQE II Cupあり。スポンサーのFWD(富衛保険)は寡聞にして知らず。中共の保険会社で香港競馬も中共資本に蝕…

農暦三月廿三日

農暦三月廿三日。香港で土曜朝は慈善募金活動の「賣旗」盛んで幼子が親とこれに従事は微笑ましい。朝も親子が地下鉄入り口にゐたので賣旗かと小銭入れ開けながら近づいて行つたら賣旗ではなく人待ちかでたゞ立つてゐただけ。かなり怪訝に、物乞ひか?と思わ…

BS1スペシャル〈ボルトとダシャ〉

農暦三月廿二日。昼に西營盤、今ではMTRの站名で「香港大學」と呼ばれる西營盤の路地裏にある「綾」でつけ麺を啜る。つけ麺を食べるのは人生で片手で足りる程の数回目。これまであまり美味いものと思はなかつたが、この食肆は自家練りの麺にかなりこだわりあ…

ピースボート

農暦三月廿一日。晴。ピースボート本日より一泊香港に停留。一千超える乗船者乗せた第101回ださうな世界一周の船旅で香港は本日午後から明日午前までの短い滞在だが船旅が主目的ゆゑ陸地に上る時間は少ないか。 第101回クルーズ - ピースボートステーション …

夏来りぬ

農暦三月二十日。快晴。気温は摂氏31度に至る。いつの間にか一気に猛暑猛々しい夏がまた来てしまつた。 香港大学図書館の蔵書で舒國治著『窮中談吃』読む。 台湾の普通に美味いものを筆者が若い頃から懐かしみつつ回顧。今でいえば「B級グルメ」本だが何よ…

信報「林行止専欄」健在

農暦三月十九日。晴。何年ぶり?で信報の林行止専欄読む。 「香江第一筆」健在。林行止氏、すでに信報は李嘉誠次男・李澤楷に経営権売却したが週に何度なのか専欄の執筆は止めぬのだからご立派。1940年生まれだから御年七十九である。 馬尼拉不是雲尼拉 無兵…

鈴木博之『都市へ』

農暦三月十八日。快晴。気温は摂氏30度で一寸外を走つてみたら汗だく。これからどれだけ暑くなるのか。午後、沙田の競馬中継見る。今季一番の外れ続き。R5のClass-3 芝1000mで前回のデビュー戦はClass-4で四馬身差で圧勝(最後2ハロンは22.67)の3歳馬 Voy…

バルバラ=吉田=クラフト『日本文学の光と影』

農暦三月十七日。朝九時過ぎに筲箕灣。シャトルバスで鯉魚門公園及度假村(Lei Yue Mun Park and Holiday Village)へ。鯉魚門海峡は香港島と九龍を隔てるヴィクトリアハーバーでも最も幅の狭いところで嘗ては海賊退治の名所だつたが英国が軍事拠点として海…

折口信夫坐談

農暦三月十六日。穀雨。朝イチで家人とFCC……とはいへ通常の土曜日なら平日と同じで朝七時半から開くが今日は耶蘇復活祭連休の土曜で十時開店。目的は新聞の週末版や雑誌読み。土曜午前だと高価なFT週末版が無料配布もある。普段は小食なのに今日は朝昼兼ねて…

古地圖看台北

農暦三月十五日。耶蘇受難節で今日から四連休。朝イチで銅鑼湾、散髪。ジムで少し走り誠品書店をぐるぐると徘徊して帰宅。午後、黄色警報発令の豪雨。今日は誠品書店で書籍は購はないと決めてゐたが、つい面白さうで購入の『古地圖看台北』秋恵文庫監修・高…

農暦三月十四日

農暦三月十四日。昏刻に銅鑼湾で地下鉄から出ると小雨。鵝頸橋に歩きバーMの口開けでO氏に邂逅。いつものドライマティーニも今日は「嗜好を変へて」と黒光色の高盃で供され内は金箔で「これはまた酔狂な」と思つたら漆器の由。 シェーカーから酒を注ぎ振り…

ベトナム姐ちゃん

農暦三月十三日。先週金曜からずつと雨模様続いたが久々に晴。数日前から朝日新聞デジタル版を久しぶりにネットビューワーで購読開始。定期購読は毎日新聞にしてゐるがJALのマイレージが中途半端にあり、これはAeonでの食材購入でAeon CardがJALと提携してゐ…

チャイナクラブ

農暦三月十二日。朝起きるとパリでノートルダム寺院が炎上してゐた。 雨。昼に十数年間ぶり?で家人と中環のチャイナクラブ。創設者はSir David Tang(1954〜2017)で酔狂な御仁を思ひ出さざるを得ず。仙台よりB氏来港で当時から懇意にしてくれてゐるU氏が…

農暦三月十一日

農暦三月十一日。曇。早晩に中環に出ると雨。土屋鞄のランドセルは出かけに雨なら背負わないが微妙な天気なのでランドセルで出かけたら早晩、中環に出ると雨。突然の雨だと自分が濡れても上着とかでカバンを庇ふ姿はお人の目を引くところ。今日はランドセル…

農暦三月初十

農暦三月初十。昼にN君とFCCに飰す。N君が帰りFTの週末版読んでゐたら英国のEU離脱にもはや非難を超へ無常観か諧謔に嘆く記事あり。On one level, Brexit is a bonanza for comedy - an inexhaustible source of folly and hypocrisy - FT これを顔本に載…

Macau na chuva

農暦三月初九。雨。09:45のジェットフォイルで家人と澳門へ。 今年初めて。路線バスで氹仔。孫逸仙大馬路の超級市場にて食材贖ひ雨のなか散歩して百年一日の如くXiolas O Castiçoにて昼餉。 女将に終末は来る時は電話しておいてね、と言はれてゐたのを思ひ…

Stanley

農暦三月初八。学校ノ合宿?ノヤウナ施設で大切ナ長傘ヲ失クス夢ヲ見ル。雨。気温は摂氏22度ほどに下がる。昨晩からの雨模様は本来ならこの時期、春節明けで三月から四月は香港のどんよりとした雲と湿気は春らしいものなのだが雨が降つたのなんて何時以来か…

農暦三月初七

農暦三月初七。曇。よく紳士たるもの気遣ふのは身体の先っぽ、つまり頭、手指と脚先で具体的には帽子、爪と靴の手入れなのだとかいはれる。けして流行の最先端のものを着飾つたり気取つたりせずとも、きちんとしたものを手入れしてゐることが大切と。アタシ…

農暦三月初六

農暦三月初六。薄曇。朝食に一瞬、小振りの茄子の一夜漬けか」と思ふやうなものがあり何かと思へば家人が葡萄だといふ。 「淑女の指」とかイタリアではPizzutello Biancoと呼ばれる品種の細長い葡萄があることは寡聞にして知らず。甘味に加え加へ皮に独特の…

「酒棚」

農暦三月初五。曇。家出の時はiPhoneでKindleや青空文庫のアプリで読書してゐる。折角、Kindleの新製品も手許にあるのだがiPadでも同じやうに読めるしiPhoneで迄となると純正のKindle持ち歩かない。iPhoneを横にして1行18字くらゐが実に読みやすいのだ。 こ…

農暦三月初四

農暦三月初四。晴。鰂魚涌のKing’s Rd、香港島東の主幹であるこの道路は元々は筲箕湾道であつたが1935年にKing George Vの銀婚を祝し、この名(英皇道)となり、再開発で古いビルが取り壊されてゆくなか三角地に威容を誇る雑居ビルあり。瑞士樓(Swiss House…

農暦三月初三

農暦三月初三。曇のち晴。机まはり片付けてゐたらナイフは三本。 何年も前に香港を去るA氏から形見わけのやうにいたゞいたドイツ製のナイフ。Puma 965 Deer Hunterといふ銘柄でナイフ好きの間では逸品の一つらしい。言はずと知れた肥後守の本割込み。もう一…

農暦三月初二

農暦三月初二。晴。陋宅洗面所の水道管工事続く。誰か家にゐないといけないので午前中に家人が買ひ物に出かけ午後アタシはジョギングに。気温は摂氏28度でいつの間にか夏のやう。手機軟件で見てみると外を走るのは昨年11月以来実に5ヶ月ぶり。冬の間は時々…

清明節とRicoh GR

農暦三月初一。陽暦四月五日にて清明節。掃墓拝神には絶好の晴日。水道工事で陋宅に今週出入りしてゐる師傳も昨日「毎年の晴明節は墓が粉嶺で一時間も山を登つたところだから大変だけど家族や親戚で、この墓参りは楽しみでね」と言つてゐたが先祖を敬ふこと…

ドソノ『夜のみだらな鳥』

農暦二月晦日。曇。やつとのことドソノ『夜のみだらな鳥』読了。 読み始めたのは陽暦三月九日。遅読といふより物語の時系列や登場人物の変容、会話の中での主格のいつの間にやらの交替に遉がについてゆけず頁を戻つてはの繰り返し。二段組で四百頁超への長編…

農暦二月廿八日

農暦二月廿八日。陋宅の近くでは鰂魚涌の益發大厦に印度食材店があつたが此処は映画〈トランスフォーマー〉で話題となり「淫巣多映へ」で訪れる人多くなり樓下にあつた小汚い商店もお洒落なカフェなど進出で家賃上がり贔屓の印度食材店は暫く前に立ち退き。 …

農暦二月廿七日

農暦二月廿七日。陋宅客用洗面所の漏水改修工事。親方から仕事任された師傳の仕事ぶりがまぁ几帳面だこと。今日の工事終はると廊下の床の粉塵などこちらが掃除すると言つても床掃除までして工事場所もきちんと片付けて帰られた。 新元号「令和」中国古典影響…

令和

農暦二月廿六日。曇。出先に向かふ地下鉄のなかで日本が東アジアで唯一維持する年号が一ヶ月後の天皇代替はりで新しく「令和」になると速報を須磨帆で識る。普段、年号を使ふ習慣なき迂生には他人事。かといつて耶蘇の西暦使ふことも嬉しくないのだが。この…