富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

台湾「本土化」の時代

6月11日台北の気温は摂氏29/37度。快晴猛暑。今日の朝食は新生路横丁の「天津豆漿」でテイクアウト。新鮮な豆乳と葱餅など。台湾のヨーグルトも美味。

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このホテル(三井ガーデンホテル台北)の良いところは捷運(忠孝新生站)地上出口から30秒といふ立地。でホテル。客室のベッドサイドにあるAI時計もお利口で何か問ひかければ回答してくれて(たゞいつも回答が「申し訳ありませんが」から始まるw)音楽も聞けるし自分のスマホとかからBluetoothでつなぐことができる。これはとんでもなく便利。不便なのは近くにコンビニがないこと。それと大部分の客室にWriting Deskがない。低いラウンジテーブルのみ(套間の客室も同様)。これぢゃビジネス客など大変だらうと思ふのだが実質的にシングルユースのベッドがQueenサイズの部屋にだけは机があるやう。2階に宿泊客用のラウンジがあつて、こちらは快適。

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今日はこのラウンジで朝から書き物をしてゐたら昼近くになつてしまつた。家人は朝から買ひ出しに出かけてゐる。出街。北站(台北車站)の地下街徘徊。かつて誠品書店のあつたK區はロケーションは良いのだが誠品撤退のあとは状況芳しからずテナントもあまり入らず閑散。今でも誠品書店が賃貸してゐるスペースもあるのだが中途半端な面積でベタな食品店などちま/\したテナントに又貸し。こんなに地下街が需要あるのか?と呆れるほど広い地下街は何だか悪所もあつて猥雑さは昔の新宿のやう。捷運で石牌站。路線バスで行義路の露天温泉へ。「川湯」は鄙びたといふと聞こえも良いが朽ちるに任せたまゝで飲食部門などは疫禍やレヂャー多角化で客も減り不振だつたのか閉めてしまつたどころか建物も失せ更地で公園になつてゐた。行義路の天然温泉では「皇池」が唯一賑はつてゐるかしら。夕方、雷が響き空は暗く曇るが雨は降らず。少し暑さがおさまる。山を下り捷運で石牌から北站経由で忠孝新生。ホテルには戻らず華山(華山1914文化創意産業園区)の書店へ。今回、知人に頼まれた児童書何冊かあり華山に専門店あるはずなのだが児童書のあるカフェだつたり……。むしろ紀伊国屋書店の方が中文書籍でも在庫あるか?と思つて路線バスで八徳路を抜け復興南路一段の微風廣場へ。台北で最高級のショッピングセンターなのだがロケーションに難あり捷運にも直結しておらず集客に難あり。テナントもかなり苦戦してゐるはず。紀伊國屋書店で4冊のうち2冊入手。ホテルに戻り家人と歩いて、また微風廣場に近い八徳路の阿才的店へ。此処を教へてくれたのは新井一二三さんで仁愛路/金山南路のとんでもなく古い建物にあつた。1990年に開業で当時の台湾は李登輝先生総統就任が1988年で民進党(1986年結党)が成長著しい時代。阿才的店は民主派人士贔屓で賑はつてゐた。仲間と夜中まで食べて飲んで。創業者の阿才は健康害して店を1993年に阿華こと劉建華(阿才的表弟)に任せ阿華の強烈なキャラを客の誰もが愛してゐた。NHKの「世界 入りにくい居酒屋」でも紹介されてゐた。


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阿才的店は2018年に立ち退きを余儀なくされ仁愛路に小綺麗な店で移転してゐたやうだが再移転で八徳路の現址へ。


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評判の阿才豆腐や蚵仔煎など肴に台灣麦酒を大いに飲む。

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帳場に阿華の笑顔の写真。旧址を立ち退く前年2017年に癌が見つかり2020年2月に逝去(享年54)。今の店を切り盛りする女将に尋ねたら、この八徳路には2021年8月に移転した由。今ではアジアで民主主義インデックスで最上位の台湾。もう民主派人士が絶対的権力と立ち向かはなければいけない時代ではなくなつた。

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ホテルの客室に備え付けの雑誌が『国家地理』雑誌(National Geographic)の特刊で「看見、齊柏林」。これを一読。齊柏林は台湾の航空写真家。1964年に齊家に男子が生まれ父親は柏林と名付ける。父親はツェッペリン飛行船を見たことはなかつたがFerdinand von Zeppelinの中文名が齊柏林で、姓が齊なのだから偉大なる飛行船航空家に肖り息子の名を柏林にしたのださう。柏林は写真撮影が好きで学校で写真部に属し工商学校卒業後に婚礼写真撮影の助手になり飽き足りず室内設計現場の撮影始め1990年に政府の国道新建工程局で航空写真撮影班に職を得る。当時(偶然にも前述の阿才的店創業と同じ年だが)台湾では高速道路が全土網羅するか計画が実行に移され齊柏林はその航空写真撮影の技量認められ台湾の国家的大規模インフラ整備事業で躍動的な写真を撮影続ける。2013年に台湾🇹🇼の「国土」を映像記録にした〈看見台湾〉は台湾でドキュメンタリー映画としては記録的な観客数と収入となり第50回金馬奨最優秀ドキュメンタリー賞に。この映画は香港でも上映されたが見逃した。齊柏林は2014年にNational Geographic誌の撮影師に。2017年、映像作品として〈看見台湾Ⅱ〉クランクインの記者会見が6月8日。その2日後に撮影中のヘリコプター墜落事故で死去(享年53)。蔡英文総統は齊柏林が国家に偉大な功績を残したとして6月24日に総統褒揚令を出して哀悼。台湾で民主化が進み「本土化」が深まる時代。阿才的店の阿華も齊柏林も、その時代の肖像なのだつた。

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台北から金瓜石、八斗子へ

辰年六月初十。台北の気温摂氏27/33度。晴。朝食は昨晩「陸光」で食べきれなかつた菜飯(上海名物)。一晩置くと麻油がご飯によく馴染んで更に美味。朝から猛暑のなか忠孝復興站からバス(基隆巴士)で九份の先の金瓜石へ。


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バスは0810に忠孝復興を出発するが忠孝東路をぐるりと回り八徳路を高速道路に乗る手前のターミナル松山が0835で渋滞ではないがあの台北のバイクと自動車の大混戦のなか時間はかかる。松山からバスに乗れば時間は省けるが家人の話ではオンボロバスでも高速道路走るので立ち席不可で週末など九份観光の客多く松山からは乗れないのださう。9時半すぎに瑞芳。そこから九份観光の客が随分と乗る。こゝまで来て台湾観光のスポットである九份老街に寄らないのもへそ曲りだが黄瓜石へ。此処は日治期の鉱業地で金山でもあつたさう。大正末に皇太子(昭和天皇)台湾行幸の際に金瓜石も立寄り期待され賓館まで建設したが皇太子訪問は実現せず。当時の建物老朽化してはゐるが現存。


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この鉱山の山を上つたところに金瓜石神社跡地あり。猛暑のなかふら/\だが大汗かいて神社まで歩く。神社本殿跡には戦後、戦死者追悼の石柱が建つ。

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かつてこゝまで一人で来てゐる家人が「こゝからの太平洋眺めは格別」といつてゐたがまことに(家人は暑さに石段の途中の鳥居のところで待つてゐた)。


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この金瓜石は標高500mほどでそこから一気に水湳洞と呼ばれる谷を路線バスで降る。いろは坂のやうな急崖の狭い道をけっこうな速度で対向車もあつて肝を潰す。

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不思議な光景の鉱山施設の跡地。

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採掘施設から会社建物、宿舎まで当時はかなりの賑はひだつたのだらう。


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この鉱石がかなりの鉄分を含み渓流も赤く濁る。その水が海に流れ出して青海とのコントラストから陰陽灣と呼ばれる由。


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この湾岸から北上して基隆に向かふバスに乗る。この沿岸の路線はまことに風光明媚。
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遠く水湳洞の谷の上に九份の町が崖にへばりついてゐるのを眺める。

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台湾の鉄道はほとんど乗つてゐるつもりでまだ未踏だつたのが深澳線。


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海岸に近い八斗子站(郊外で八斗子の町はこの鉄道は通らない)から新設の「海科館」を経て瑞芳に出る短い路線。元々は煤礦を運ぶための鉄道路線。路線の補修が必要で終着駅の八斗子から海科館站までが今年4月より運休中。1年で復旧とされてはゐるがどうも怪しい。この海科館站も実際には海洋科学博物館?からはかなり遠いのだ。


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瑞芳。ジブリの映画のやうな古街。涼麺。著名な「保雲芋圓」では芋圓を賞味すべきなのだがあまりの暑さにかき氷。甜い豆を四種類も盛つてくれた。

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鉄道で台北に戻りホテルで風呂に浸かり夜まで休息。

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台北に来たら台北車站から重慶南街に抜け路地裏のこちらに来ないわけにはいかない。


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周囲の再開発が更に進んで、この一角もいつまで路地裏が残されるかしら。いつも賑やかな「西門」に出て市街を冷やかしホテルに戻る。
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5年3か月ぶりの台北

朝起きてテレビをつけるとトランプが銃撃されてゐた。軽傷で済み、これで総統選はもはや決着がついた感あり。狙撃犯は死亡でケネディ暗殺のときのやう。

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辰年六月初九。気温摂氏21.5/25.8度。曇。本日は家人と台北に向かふ。台湾は2019年の3月以来で5年4ヶ月ぶりで海外渡航は2000年春に香港から日本に戻つて以来初めて。茨城空港百里基地)には台湾のLLC(TigerAir)が就航してゐて(疫禍中は停航)台北と高雄に便あり。但し台北は週2便で時間も茨城空港(IBR)発15時で復路は朝8時半に台北(桃園)発と日本からだとけして効率はよくない。だが自宅から空港まで40分ほどで空港ではターミナル周辺の駐車場無料なのはお気軽。ターミナルの中の国際線エリアも究極のミニマルな広さなのだ。ターミナルビルに入つてから50mも歩かずチェックインから搭乗まで(笑)。

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旅荷をまとめるのに今日は時間があつたので洗顔やスキンケア用品だとか何だかごちゃごちゃしてゐたのできちんと整理して小分けのボトルとかも資生堂メンズでもらつた試供品のパックとか随分とあつたので、それを先に使ふべく荷物はいつも以上にかなり少なめにまとめられた。やはり重さがあるのはモバイル関係の充電器とかバッテリ、Wi-Fiルータ*1とかなのだけれど4泊の荷物でキャリーケース入れて7kgほど。TigerAirの機内持込み荷物の重さ制限(10kg)クリア。空港に行く途中の国道6号線で初めての山岡家*2でねぎみそラーメン。脂少なめ、スープもあっさりで注文したのだが高齢者にはそれでもかなり濃厚。茨城空港は本日から三連休で駐車場もさすがに混雑でターミナルから400mは離れた砂利敷きの臨時駐車場になつてしまつた。TigerAirのIT219便(A320)の乗客の大半は台湾人。日本人客をたう/\他に認識できず。

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3時間余で台北桃園空港着。入国審査もほとんど待ちなし。台北の気温摂氏27/34度。快晴。桃園国際機場捷運で台北車站。駅のコンコースとか平気で座り込んでゐる若者たち、どこか垢抜けないファッション、五香のなかでも八角のにほひ……嗚呼、台北に戻つてきたなと実感。板南線で忠孝新生。MRT駅を出たところにある三井ガーデンホテルに下榻(三井系の海外初進出なのださう)。旅荷解き夕食に出街。地下鉄で駅2つ先まで建国路、復興路、敦化路まで東に、なのだが路地から路地へと南に下り忠孝路から仁愛路を渡り歩いた距離は2kmほどなのだが気温は30度、実際に市街の住宅街の中では冷房の排出する熱量でもつと暑い。夜になつて熱中症になりさう。それでも路地で外に籐椅子など出して軒下で涼んでゐる老人など涼しげなのだ。


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陸光小吃館に飰す。かつて敦化南路を市民大道に西に入つた高速道路の下にあつたが、もう一軒(陸光小館)と経営分裂してこちらに。どちら訪れてみてもよかつたのだがホテルから歩くとこちらの方が少し近かつた。昔の店からのスタッフもゐて、まだ子どもだつた若者が店を切り盛りして一端の老板ぶりも頼もしい。こちらの店は民進党派の諸君が見たら、もうごり/\の国民党色、それも蒋介石国府の強烈な印象がかなり不快だらう。この食肆で供してゐるのは眷村菜といふもの。眷(けん)は「身内、仲間」の意で「恩眷」とか用ゐる。「身内、仲間」の意。眷村は国共内戦に負け台湾に渡つてきた国民党派の外省人の集団居住地で、そこに各地から持ち寄つた素朴な家庭料理なのだ。

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ホテルは17階建てで16階の客室をあてがはれて17階には大浴場あり(三井系ホテルの売り)。大浴場前の通路に大きなセブンイレブンの自販機ありアルコール類以外何でもありであばらかべっそん。

*1:海外用のWi-Fiルーター(GlocalMe)で昨晩、家人のもので台湾のパッケージ購入しようとしたら台湾だけパッケージが現れず。家人のGlocalMeのアカウントは開設した時に何かの間違ひで台湾にしてしまひ初期設定変へられず、そのまゝにしてゐたが台湾のパッケージが購入できなかつたこともなくそのまゝに。それが今回は埒があかず結局、新しいカウント開設した次第。GlocalMeにオンラインで問ひ合わせしても原因不明で親切なスタッフ(A Iかもしれない)は「お役に立てなかつた」で15%割引のクーポンをアカウントに付与してくれた。

*2:山岡家は東京(江戸川)の外食会社が古河(茨城)に1号店を出して2号店で札幌に進出。さっぽろラーメンの本場で店舗拡大して関東に逆上陸。

陽暦では入り盆

辰年六月初八。気温摂氏21.9/31.0度。晴。

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陽暦の新盆では本日が迎へ火。水府は市中の七つだつたかの寺は東京や横浜に倣ひ新盆。寺(神崎時)に参り掃墓。元々、先考の代にナンテンを植えてゐたが(確かにナンテンが繁る墓は少なからず)それだけでも寂しいので昨年ミヤギノハギの苗を植えたら冬場に枯れたかと思つたら、かなりの繁殖。日陰の多い反対側にはジャノヒゲやツタ、苔などもよく育つてくれた。園芸の好きだつた先考にせめてもの供養になれば。

郵便を出す用あり本日土曜日で水戸の本局に出かけて郵便局でこんな日付印を入手してしまつた。けして安くはない……どころか本格的な日付印で高額である。

ムーミン日付印&スタンプパッド|郵便局

アタシは筆マメではあるが10月から郵便料金値上げで、これ迄以上に郵便を出す機会も減り、こんな日付印を押す機会もかなり稀だとは思ふのだが。


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和菓子についてくる「菓子楊枝」といふのださうだが黒文字からプラまで種類もかなりあり。黒文字はそれなりに高級さうだがナイフ状の安っぽいものは何といふのか調べたら「文化太刀たち」といふのださう。これをいつも使ひせず捨てゝしまふ。勿体ない。黒文字の方は二枚を合はせたら鑷子せっしのやうなものになつた(ちなみに「ピンセット」は蘭語で英語では“ tweezers”である)。安っぽい文化太刀は何にしようか思ひ浮かばず接着剤で12枚をくつけてみたところで、これこそ何も利用価値なし。何うせなら1枚ずつ色を塗つてグラデーションにするとか二色でも塗り分けたら面白かつた。

▼毎週土曜朝に聴いてゐるピーターバラカン“Weekend Sunshine”(NHK)のテーマソングはイギリスのアフロロックバンド“Osibisa”の“Sunshine Day”といふ曲。


▼(いろはについて)家人から今どきのこどもらには「調」を教へるにもAの音を基準に「いろは」も難しいのだと聞いた。ドレミでド長調とかファ短調の方がまだ教へ易いか、だがAを基準にした「ラシドレミ」は、それはそれでわかりづらい。今どきのこどもらに「いろは」なんてものは「警泥」の遊びくらゐにしか残つてゐないのではないかしら?と。歌舞伎座の座席も「いろは」が改築でなくなつた。芹沢銈介の作品くらゐでしか「いろは」は見ないかもしれない。

都知事選2位の石丸氏なぜ「受け皿」に?選対事務局長が語る理由 :朝日新聞

今まであの手法でずっとやってきた。ヒヤヒヤしてみていますが、一部の人は「よく言ってくれた」みたいな評価をする人もいる。ハラハラさせるのがうまい。「悪名も無名に勝る」みたいなものだ。そこが尋常な人間ではない。(略)石丸氏の得票が多かった地域に来年の都議選で「石丸新党」と言って候補者を出せば結構風が吹く。次期衆院選で都内に出すと比例区を含めて数議席取れる。台風の目になる可能性がある。一時的にはムードをつくって維新並みの政党なんてすぐできる。だが集まった人たちが石丸氏に失望して崩れていく可能性もある。あの手法は1回限りだ。熱はやがて冷める。冷めた目で演説を聴いても「また同じことを」と思うだけ。石丸氏にはブレーンがいない。相談する人もいない。ブレーンを使って政策を組み立てていかないと続かない。やはり幅広い人たちに信頼される政策が必要だ。

甲辰年六月初七

気温摂氏21.3/24.6度。雨(15.5mm)。気温25度下回るだけで涼しく感じる。

朝日新聞(夕刊)の連載「現場へ」は毎日新聞のやうな記者独自の深掘りが面白い。今週はこちら。

天皇の「もう海軍にふねはないのか」と御下問の一言で翌日の戦艦大和による特攻。何といふ過度の忖度。天皇が望んでゐたのは「大和の合理的な運用による戦果」であり無益な特攻作戦に投入するなど思つてもゐなかつた。参謀がもはや常軌を逸してゐた気狂ひ沙汰が、これ。近代市民革命が起きなかつた結果、戦後もかうした判断力の無さと大いなる忖度が今日まで蔓延つてゐる悲惨さ。

TBSラジオ公式読本

辰年六月初六。気温摂氏24.3/30.3度。曇。気温30度で「今日は涼しい方」といふ会話になるとは。

やつと武田砂鉄責任編集『開局70周年記念 TBSラジオ公式読本』読む。TBSラジオの黄金時代を気づいてきた重鎮たちに武田砂鉄だからこそ、の十分な問ひかけで話が弾む、弾む。それをカットすることなくほゞそのまゝ掲載なので読み応へ十分。それにしてもアタシもTBSで育つた世代なのだとつくづくさう思ふ。

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そのなかでもやはり何といつても永六輔。そして小沢昭一。神田伯山がTBSが主でニッポン放送高田文夫先生もさうなのだがお笑ひが吉本興業に席捲されるなかで東京のからっとした笑ひが好きだ、と。その通り。アホのボケとツッコミではなく知的なのだ。

開局70周年記念 TBSラジオ公式読本

今もレギュラーで聞いてゐるのは朝の森本毅郎スタンバイの冒頭、月曜と金曜の高田先生のビバリー、火曜日の大竹まことゴールデンラジオ!(武田砂鉄出演)、武田砂鉄のプレ金ナイト、音楽番組ではNHKの一連のクラシックとピーターバラカンの土曜日(NHKのウィークエンドサンシャイン)と日曜(バラカンビート)。テレビは全くといつてよいほど見ないがラジオはよく聞いてゐる。そのなかでもTBSがメインなのだ。荻上チキは夜遅くの時は良かつたが夕方になつて今は午後6時からで早飲みから夕食のときに聞くにはちょっと重すぎて。最近は地元のLucky FM(茨城放送)で夕方の帯のニュース番組で若手の室田真人記者の掘り下げ取材報道は面白い。

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納豆の日

辰年六月初五。気温摂氏25.1/31.3度。曇。早晩に小雨(0.5mm)。31度で少し涼しいと感じるほどの猛暑。

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陽暦7月10日は「納豆の日」なのださう。水戸=納豆といはれるが納豆の消費量では福島市がかなりトップで今年は盛岡市。水戸納豆は小粒で美味しいと思ふ。だが仙台でも仙台納豆があり(水戸への納豆技術は仙台が模範なのださう)米の美味しい東北で納豆がよく食べられることも不思議ではない。全国で販売される納豆の半数以上が茨城県産なのださうだが水戸の「藁納豆」は元々あんな製法はなく鉄道(水戸線)が水戸まで開通した明治22年に同年開業の納豆商(天狗納豆)が鉄道駅での土産物に大したものもないのに目をつけて納豆を土産物に売り出したときの藁詰めが発端。ちなみに水戸“天狗納豆”の名前は天狗党に因んでゐる。 

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市立中央図書館で「サイードパレスチナ」といふ特集で書籍を集めて展示してゐた。サイードといへば世に出だ最初の著作は『オリエンタリズム』なのだが同書はこの書架になく貸出中?と思つたらさうではなかつた。サイード自伝『遠い場所の記憶』も読まないと。