富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

四月十四日(月)六日で15本映画みたが藪用あり今日は映画見られず。
▼ 昨日の日経、内閣府による「人権擁護に関する世論調査」にて在日の外国籍市民に対して「日本人と同じように人権を守るべきだ」と答えた日本人は6年前の調査での65.5%から54%まで下落、「日本人と同じような権利を持っていなくても仕方がない」と答えた者は21.8%(3.3%上昇)に達した、と。法務省人権擁護局は「外国人による犯罪が急増し、複雜な感情を抱く人が多くなったこと」を挙げているが、外国籍市民が多くなればその犯罪が増えることは当然で、しかも当然のことながら日本がこれでも経済的には他より潤い、東京が世界都市であれば、そこに集まる者で犯罪にかかわる者が少なくないことは寧ろ当然、紐育も巴里も倫敦も同じような問題はある、が、それがメトロポリスの宿命。寧ろ外国人をいかに積極的に受け入れているか、が大切なのであるし、どこかで余も書いたが外国からの移民を受け入れて少子化する社会で労働力を維持し外部からの知力を導入することが日本が経済回復する重要な方法であることが海外のシンクタンクから指摘されているのに、「やっぱり外国人は怖い」という発想ではどうにもなるまい。「(外国人は)日本人と同じような権利を持っていなくても仕方がない」という、この貧困な発想。外国人であろうと日本に居住し勤労し納税するなり、学生であるなら、日本国民と同様の公的福利を授与する権利はあって当然、香港は現実に同等の権利が供与されている。それにしても何よりも唖然とするのはこの政府調査のレベルの低さ。人権とは国家などといふ陳腐な範疇超える観念にて、守られて当然の普遍的理念。人権護られぬといふことは犬畜生の扱い、といふこと。憲法にもそれ故に基本的人権謳われるのであり人権擁護こそ憲政。犬畜生だとて動物愛護のためには殺人すら辞さぬといふほどの過激派に護られているこの時代に人権すら擁護されぬとは……。政府当局は人権擁護を重視しており、それ故にこういった世論調査して……といふのであろう、が、「日本人と同じように人権を守るべきだ」なる設問の間違いに気づかぬのだろうか。この「外国人も人権が守られるべき」という設問ぢたい国家=政府がそこまで人権を守る必要はない、という考え方もある、という前提。本来ここで問うべきことは「外国籍市民に対する公共福利について」、つまり生活権であろう。それを仰々しく人権などという理念持ち出し、それの擁護の要不要を質す政府、憲法の理念も会得できぬまま、そういった人権の否定=違憲といふことなど判らぬまま国民の半数弱が外国人の人権すら擁護できぬ国民性……SARSの疫禍よかもっと恐ろしきはこの貧困なる国家と国民性なり。だから改革を石原に期待することしかできず。恐ろしや恐ろしや。殺し合いの世が訪れるぞよ……って「ぞよ」は大本。
野坂昭如氏の言説がイラク攻撃という愚挙に遭遇しアルコールの攻撃に負けず素晴しき活性化果している。以下、全面的に引用。
指導者立像が「民衆」により無惨に引き倒される。少し異様な印象で、解放軍としての、米戦車を歓迎する市民。決して大群衆じゃない、カメラの周辺、少しフルと人影まばら。かつて皇軍が南京占領、これで「事変」終結とみたら、以後、泥沼に引き込まれ、確保していたのは、危なっかしい点と線だけだったの記憶があるせいか、各紙一面「イラク崩壊」の文字に同調できない。
これも昔話。米進駐軍ジープの上で、にこやかに笑いつつ、あわれな姿の日本の子供に、ハーシーのチョコレート、リグレーのチューインガムを手渡している写真、ぼくの知るか限り「ヤラセ」だった。GI達は常にカービン銃を持ち2人連れ、子供たちには、チューインガムを離れた地点から放り投げ、子供の争って拾う姿を笑って、時に銃撃つ構え、たちまち子供は逃げる。ギブミーチューインガムなんて口にして、GIに近づく子供はいなかった。
大人の中の、少し英語の出来る手合い、実に卑屈な表情で、GIに近づき、ハウドゥユゥドゥなどと言って、煙草をねだった。これはよく見た。シガレットを「滋賀劣等」との発音も耳にした。頂戴したガム、端からまるめて口に入れ上品ぶる奴もいた。
バクダッドにおける、「解放軍」と市民の交歓風景、あやしいものだ。そして、この市民たち、TVで見る限り、それまでのイラク人の誇りまったくうかがえない。知識人、学生、普通の母親はどこへ行ってしまったのか。(以下、略)