2005-03-01から1ヶ月間の記事一覧
三月三十一日(木)曇。昨晩遅くに石田衣良『娼年』読む。小一時間で読了。ふとしたきっかけで有閑マダム相手の買春始めた大学生(リョウ)の話だが主人公よか自虐的な同僚の少年のほうが興味深し。本日。昼に中環の陳成記でカレー牛南麺食す。中環の昼の飲…
三月卅日(水)曇。寝心地佳き寝台にゆっくりと目覚め朝九時前にホテル向かいの路地の名も知らぬ蘭州拉麺店に牛肉刀削麺食す。何処にでもありがちな小さき店でいかにも西域顔の若い兄弟営む店なり。美味。ホテルに戻り入浴、読書と転寝。昼前にホテル出で東…
三月廿九日(火)曇。昨晩三時まで眠れず。燈下読書。朝六時半起床。Z嬢と午前十時にPrince Edwardのバス乗り場から東莞行きのバスに乗車。落馬州から皇崗の境界(高層ビルの火事かご覧の通り)抜けて深センから広深高速道路走り恰度二時間で東莞。大型バス…
三月廿八日(月)復活祭翌月曜の休日。朝。窓から外眺めれば視界の一切まさに霧の中。北角にカドーリ農場の野菜売る店をつい最近Z嬢見つける。その店の鶏卵も新鮮で香港に住んで十五年で初めて生卵ご飯。美味。中環。市大會堂。イタリア制作の映画“Private”…
三月廿七日(日)復活祭のこの季節の曇天続くこと例年の如し。映画見続けるも例年の如し。科学館にてBahman Ghobadi監督の“Turtles Can Fly”を観る。米軍のイラク征伐を舞台にした伊蘭制作の映画。米軍の侵略前夜の伊蘭に近いイラクの難民キャンプが舞台。主…
三月廿六日(土)曇。Z嬢と尖沙咀文化中心。オムニバス映画“Female”観る。作品は篠原哲雄『桃』、塚本晋也の『私はじじいの愛人』、大塚寧々『女神のかかと』、乃南アサ 西川美和 高校生の真吾。彼女の母親の美しい脚線のとりこになる、大塚ちひろ「太陽の…
三月廿五日(金)復活祭の連休初日。復活祭のこの季節らしき憂鬱な曇天。多湿の上に今年は寒さの残る。尖東。香港科学館。この香港映画祭で復活祭の頃ここに来ると毎年映画評論家佐藤忠男氏夫妻の姿あり。今年はお見受けせず。昨年は映画監督SABU氏も独りぶ…
三月廿四日(木)悲しきほど快晴。昼に食通A氏らと三人で灣仔の私家房・四姐川菜にて担々麺。美味。辣味噌余して白飯もらって平らげる。昏時FCCにて晩飯済ませ一更に尖沙咀にて薮用済ませジムに寄り午後十一時半より旺角の勘違いなLangham PlaceのUA映…
三月廿三日(火)九龍牛頭角の京セラ現法会社にてContaxのG1の修理出来受領。自動焦点のパーツ不良でパーツ交換でHK$1000近くかかる。それでも直して使いたい愛機。早晩にFCCでドライマティーニつい三杯飲む。ラクサ食す。驟雨。尖沙咀に渡り香港文化中…
三月廿二日(火)昼に雷鳴轟く驟雨。朝日新聞の大江健三郎の「伝える言葉」なる随筆に最近やたら矢面に立たされる「自由」について自由とは「理性的な自己決定」といふ。村上陽一郎もすでに掃いて捨てられたが如き「教養」を教養の復権をば説いていたが、問…
三月廿一日(月)曇。小雨あり。朝五時に目覚めてしまひ六時から少し家のまわり走る。マンションの裏手から眺めむれば朝の薄暗きなかパーカー山の山の緑もこの一月の湿気と多少の雨に緑繁ることまさに鬱葱として朝の冷たい清風が山からおりて深呼吸すれば陳…
三月廿日(日)快晴。春分。HK Distance Runners Club主催の三月恒例のマウントバトラーレースあり参加。陽明山荘の坂登り大潭のダムまで一気に下りパーカー山の峠まで登り少し下ってセシル卿乗馬道を走る15kmのマウンテンマラソンにて二月末の香港マラソン…
三月十九日(土)快晴。北角よりフェリーでホンハム。ホンハムの市街歩くなど十年以上なかったことでその賑わいに驚くばかり。かつて八百半のあつた艦船型の建物も今になつて此の地がかつて黄埔(ワンポア)の造船所であつたこと意図してのその船型の建築で…
三月十八日(金)曇。多湿。算えきれぬ程の諸事済ます。父の晩年の頬笑む写真用いての追悼の葉の印刷を知古のN嬢に依頼。葬儀での写真現像。父の遺影いれる写真立てレーンクロフォード百貨店にて購ふ。厄だろうか身辺にて故障だの不良少なからずTUMIの鞄は…
三月十七日(金)晴。気温摂氏廿二度で汗ばむほど。諸事に忙殺される。日に日本の三倍くらいの事こなす香港で次の地下鉄は二分後なのにホームで暴走する乗客らの渦の中に放り込まれ喪などと思ってもおれず。A氏に忌中祓ひと招きをうけハッピーバレーの日本…
三月十六日(水)快晴。早朝に東京へ行く妹の車に便乗させてもらい常磐高速から渋滞の首都高に入り向島で降りて浅草を流し日本橋馬喰町。妹が懇意の駐車場に旅荷置かせてもらいJR馬喰町駅から東京駅。京橋まで歩き銀座線で銀座。銀行や郵便局の用事済ませ…
三月十五日(火)曇。みずほ銀行に赴く。かつての富士銀行支店舗で第一勧銀の支店と統合されこれ一つとなれば当然尋常ぢゃない混雑。印鑑持参せず徒足。Y女史宅訪れる。Y女史は玄人はだしの写真家。生前の父の自然な笑い顔の写真あり葬儀にて本堂の前の焼…
三月十四日(月)市街の郊外にある実家で突然ワイヤレスランつながる不思議。みずほ銀行で口座手続き。地元の信用金庫。高校出た頃にこの信金に就職した同い年の友人にご祝儀で一万円で口座開設したが何十年も放置しており数ヶ月前に手紙届くが印鑑も通帳も…
三月十三日(日)快晴。摂氏六度。父の本葬と告別式。朝は冷えたが格別の晴天に恵まれる。偕楽園に観梅の賑わひ。昨晩の通夜に来られた方除いても三百名越える方の参列あり。余が小学一年の時の担任の先生まで来られる。父と高野山参詣で何度か一緒された由…
三月十二日(土)妹が父の貴重品入れたセカンドバックを整理するとカード入れに小さなメモありレシートかと広げれば父の手書きで「避けて通ることのできない老いならばすべての不安を受け入れボケやカラダの衰えを道づれにとことん生きるのが俺の人生だ」と…
三月十一日(金)朝から小雨。父の骸据えた和室から居間の片付け済ます。昼前に納棺。自宅に菩提寺住職お迎えし火葬前の法要。午後雨のなか出棺。霊柩車の次車に乗れば霊柩車は斎場まで近い道通らず市街の大通りへと入り父が半世紀近く前に東京より戻り一昨…
三月十日(木)曇。友引で弔問の方も少なくひっそりとした一日。だが新聞に「おくやみ」出て突然のことにといただくお電話多し。地元選出の国会議員らの弔電届く。妹に小学から中学で同級のI君の営むパン屋に連れられる。小さな店はかなりの評判で客多し。…
三月九日(水)快晴の朝。ダニエル=バレンボイムのバッハ平均律を聴く。朝から弔問の方多くあつといふ間に昼になる。近所に太萬川屋といふ酒屋あり。河川敷の殺風景な道路沿いの酒問屋で誰がこの店に東京以北では有数のモルト並ぶと想像できやうか。遠くか…
三月八日(火)快晴。朝九時過ぎ携帯鳴り妹より父逝去と訃報あり。航空券手配。諸事済ませる。母に電話。安らかに眠るように亡くなったと聞く。Z嬢と午後三時過ぎのCX500便にて成田。機中にレイ=チャールズの自伝映画“Ray”観る。04年の正月に正月を父と…
三月七日(月)晴。晩に近々帰国のA氏の送別会。北角の利休。胡瓜と茄子の漬け物からして美味。うどんすき。A氏同僚のT氏よりT氏ワシントン駐在時の興味深い話聞くがとても此処には綴れぬ噂の真相的裏話。終わって余が食酒の師と仰ぐもう一人のA氏と銅…
三月六日(日)快晴。遠く馬鞍山まで見渡せる悲しくなる程の快晴。日刊ベリタに送稿。家事。昼からジム。ヴィクトリアハーバー眺めながら有酸素運動。ヘッドフォンから流れるのはQueen、Pink FloydとPrinceあたり。村上春樹の小説で主人公の少年カフカはPrin…
三月五日(土)昨晩遅くに聴いた高橋悠治のバッハ「ゴルトベルグ変奏曲」。淡々とした演奏の織りなす文も凄いが悠治氏のライナーノーツはもつと凄い。バッハの時代、まだ実際の平均律もピアノといふ楽器も完成されていなかったが音楽はすでに啓蒙主義による…
三月四日(金)曇。朝食に「鉄人ロール」なるロールケーキ食す。貰い物で何かと思えば料理の鉄人の坂井氏だかの商品だとか。確かに美味。夕刻「無印良品」の香港代表N氏の話聞く機会あり。80年頃の無印の商品開発から無印に関ってこられたN氏に他とは異な…
三月三日(木)雛祭か。雛祭といへばかつて中野サンプラザにて恒例の雛祭コンサートあり。当時「イルカ」の弟子格で澤田聖子といふニューミュージック系アイドル歌手おり熱心なファンの友人K君に付き合い参観したことふと思い出す。先日香港空港でジッパー…
三月初二(水)病院の病室には簡易寝台が用意されたがお世辞にも寝るを厭ふやうなやつで結局ソファに寝て朝を迎える。快晴。病院近くのバイパス沿いの和食屋で朝定食す。朝のワイドショーで犯罪者の扱いについて討論あり。「そういう犯罪傾向の強い人間、野…