富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2003-04-19

四月十九日(土)昨日に引き続き快晴。イースター連休にこの清清しき天候、昨日も郊外に行楽に向う人多く山や海はかなりの賑わいとか。窓から眺めると確かに山道に行山の輩多し。気温も上がり夏の如し。疫禍に鬱々としているよか郊外の自然のなかで欝憤発散するほうがよっぽどよいが「あの」混雑したBBQとゴミの山想像するとぞっとする。外出したきところながら連休明けにはまとめておくべき資料あり午後まで自宅にて翻訳、資料纏め。午後遅く湾仔の藝術中心にてMarco Bellocchio監督の“La Cina e Vicina”(中国は近い)1967年伊を看る。伊太利の60年代の政治風刺なのだが政治の虚構性を語るにも、これを風刺喜劇として見れるほどの素養が余にはなし。裕福な家族の、政治家になるがために方法論として中道左派社会主義者演じる医師(長男)と革命貴族でしかないのだが遠い中国の文化大革命に共鳴する弟。映画終ってZ嬢と待ち合わせ藝術中心にて開催されている陶芸展、A嬢の陶芸展示あり。タクシーで香港站、当然のようにこの香港站の航空会社のカウンター閑散としているどころか客は写真に写った一組のみ。凄まじきほどの閑散。昨日に引き続き葵青劇場。テレビドラマ『獅子山下』の精選集。70年代中葉になると『獅子山下』は張敏儀プロデュースにより方育平の脚本で深刻な社会問題取上げつつ当時の若手の映像作家ら(許鞍華など)が瑞々しい映像を撮る素晴しき時代。映画の合間にZ嬢と商業ビルにある寶蓮なる素食料理屋。素食といっても豚脂くらい使ってるんじゃないの?といふくらいこってりした味。この料理屋はHK$68にて食べ放題、しかも出来合いのビュッフェに非ず注文すれば調理して、でこの値段。となりの幸福樓の店もHK$68で鍋食べ放題、鱶鰭(ふかひれ)海鮮宴も一卓(12名)でHK$1380と飲食店不況のなか出血どころか危篤大サービスでどちらの店もそこそこの繁盛。『獅子山下』精選(2)看る。最初の『馬路尋寶』は73年の、15分物の社会公衆道徳推進の内容なのだが、これが張敏儀の製作になって百花齊放、深刻な社会問題を映すようになり、代表作でもある78年の『橋』。黄大仙のドヤ街の歩道橋を巡る確執。そして『獅子山下』シリーズではないのだが93年の『風風雨雨』。89年の天安門事件に絡み中国政府の欺瞞と香港の報道の自由を問う作品なのだが、その内容が反北京の姿勢露骨と当時も放送禁止かどうかと議論されたが、今では絶対に製作できない内容。報道の自由を頑なに堅持する製作者の姿勢が賛美され中国はその敵として描かれているのだから。当時、雜誌『九十年代』の編集長であった李怡氏がテレビ局の報道部長役にて出演。『獅子山下』は日本でいえばNHKの『日本の素顔』であるとかNTV系の『ルポルタージュにっぽん』で取上げてきたような社会問題をドラマ化したようなもの。日本にはなかったジャンルかも知れぬ。が、『獅子山下』にせよ『日本の素顔』や『ルポルタージュにっぽん』にせよ今のテレビでここまで深刻に社会問題を取上げられるかといへば無理な話。若い製作者が自由に発想し映像作り上げることも無理。今なら貧困であるとか家族崩壊取上げても「みのもんた」が白々しく司会する番組で素人である本人がカメラの前で羞恥心すらなく喚き号泣し激怒してみせ、番組がおわって「あー、面白かった」で終ってしまふ。
▼今日と明日が政府の呼掛けで香港を清潔にする運動開催。あちこちで清掃活動が一斉に行われ、葵芳の商業施設にても手を消毒しませふといふ衛生活動あり。連休を利用して香港で郊外に出かけ美味しいものを食べて滋養強壮、という呼掛けに応じた市民も多し。香港のこの最悪の状況でもどうにか明るくしようといふ姿勢こそ香港の魅力か。中国政府といへばWHOの査察の際に人民解放軍の病院では患者を他の宿泊施設に移したりバスで病院外に連れ出すなどして患者数を隠蔽していた、と報道あり。北京市は患者数隠蔽疑惑に対処しきれず軍関係の病院など市内にあっても患者数の把握が管轄外であったといふような釈明をして今日、日曜日に北京市長だかが緊急会見とか。映画『盲井』に描かれた、ただただ自分の管轄での事故不祥事の隠蔽に躍起となる官僚制の醜悪なる様。
▼日経に広告あったPHP Business Review創刊号。トップ記事が「日本経済のカギをにぎる松下電器の復活」だって(嗤)。PHPで松下、って創価学会の『創』ぢゃないんだから……。PHPの存在する意義っていったい何なのだろうか。さっぱりわからず。PHPといへばいちばん最初にPHP認識したのは木村治美だったか『黄昏のロンドンから』だったか、これの出版元がPTP研究所。今でこそ多い海外駐在主婦のエッセイだが70年代では革新的、大宅壮一ノンフィクション賞なんて受賞してしまったが、この本から子どもながらに海外の社会風俗の理解なんてこんなに独善で勝手でいいのだ、といふことを学んだかも……(笑)。いずれにせよこの本に「オー、カルカッタ」の話題があり、全裸で踊る場面がありそれを見たさに日本から来る者がロンドン駐在の夫婦にそれを強請るというのを知り、子どもながらに当時はストリーキングなどあり、それは変態さんなのではなく自由の表現であり、オーカルカッタもそういう芝居である、と子どもながらに理解した上で、その芝居を全裸の芝居見たさに訪れる大人というものは馬鹿ぢゃないか、と思ったもの。それがもう25年も前だ、と今日知る。いずれにせよPHPというのはいったいどういう社会貢献しているのだろうか。全く理解できず。