富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

四月三十日(水)曇。連日、疫禍に絡み奇怪なる風景を目にするが、マスクしての体育もさぞや苦しかろう。酸欠になって事故でもあったら誰が責任とるのだろうか。写真の中に挿入した「オジサンのマスク姿」もここまでガスマスクみたいのすると、それが兵隊ならまだしも一般市民だとガッチャマンの怪人の如し。28日についに回復者数計(759名)が現在の入院者数(663名)を上回る。が、死者150名で死亡率は16.5%、かなり高い。昏時帰路一緒になったH氏とQuarry BayのEast Endにてale一飲。帰宅してY氏、I君とO君招き晩宴。男山、藤枝の喜久酔の吟醸酒。Z嬢の酒菜。Y氏は偶然にもこの時期、来月初に台北への転勤となるが香港より直航しては十日間の収監ありいったん東京に戻りホテル住まいの後に往台北と。
▼昨日29日の信報に登β達智曰く、中国の女工の三班制、朝七時から十一時半、午後は一時より六時、晩飯のあと七時から十一時、伸びて十二時、深夜一時まで、が週七日、一年のうちメーデー国慶節だけ休み、年に一度旧正月での帰省だけが楽しみ。これで月給400元、熟練工で1,000元、会社員で1,200元、これが内陸ではなく収入が高いという広東省の商工業地域での相場。中国が「世界の工場」などと称賛されワールドカップ、世界博覧会、オリンピックにWTOと浮れているが、現実は日曜日のわずか半日の休みと午後八時か九時からのプライベートな時間だけが楽しみの職工たちが現実の中国の経済を支えている。北京、上海、広州など街並はきれいになってゆくが、実はちょと横丁に入れば衛生もままならぬ糞便、老鼠やゴキブリとゴミ散乱する有様。それが現実、奴隷大国と登β。
中共元総書記趙紫陽氏死去という噂流れる。しかも肺炎とか。キョービ肺炎といふのも偶然かデマか、新型か旧型?か。新型だとすれば共産党内部にて幽閉状態である趙氏、肺炎を装っての肅清か、などと三流カッパノベルズの如き推測。
▼新聞には北京での混乱報道続くが或る駐在員は「本社からまだ何も指示がない。なぜ北京にだけ勧告が出たのかもわかならい」と。その通りだろう。本社は大型連休に突入、北京だけ勧告出したのだって外務省だって根拠ある理由などない。
バンコクにてSARS対策のアジア首脳会談あり香港から董建華も参加。中国の温家寶首相、これが外交デビューだがSARSについて元凶の立場厳しいはずがその温和な人柄と積極的な対応でかなり評価高い。ただしこれまで北京政府要人がことあるごとに董建華を立ててきたのに対して温首相の口からは「肺炎防止のため香港への積極的な支援」はあっても董建華指導下での……といったコメントなし。中共中央がすでに董建華指導力見限った、ということか。
董建華といへば、先日、香港で初めて医療関係者から感染での死者が出たが(屯門病院の看護士)、それに対して董建華は旅先にてこの看護士を英雄と称え受勳に値すると述べたが医学会会長が医療関係者を英雄視することは医療関係者に余計な重圧かけることで、医療は人為行為、限界も誤りもあるわけで、英雄に非ず、ただ日々患者の治療に尽くすのみ、と。政治の言葉だけ空回り。
▼昨日の信報に中国での20世紀初の肺炎蔓延についての解説あり。感染症と政治の絡みについて。それは1910年にハルビンに端を発した肺炎、華北に広まり死者六万人。この肺炎を理由に日露戦争終わって数年の日本とロシア、日本が朝鮮国境との軍事境界での、ロシアもシベリア鉄道の利権口実に鉄道沿線での兵力増強。翌1911年四月にこの肺炎拡散防止の会議が北京で開かれ日英仏などの専門家が参加したが、これが清朝によって支那で初めて開かれた国際会議。ロックフェラー財団の資金により肺炎など細菌病研究所が北京に開設され、ひとまずこの肺炎蔓延を乗り切る。が、すでに時代は中国各地で革命気分高まり、この1911年の秋に辛亥革命。翌年、中華民国誕生。