富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

四月十一日(金)曇。不思議と、当初はマスクする人が怪しげに見え、自分がすると照れくさく、いずれにせよ慣れぬマスクがいつの間にか装着していることが当たり前となり、寧ろマスクせぬ人を珍しいものでも見るように見ている自分がいる。マスクもここまでくると文化のようで、あ、あの人はマスクが似合う、とか、このマスクはカッコいいだの、これはダサいだの、いろいろマスクについて価値基準あり。個人的に最にナイス〜!と思うはユニチャームの超立体型マスク。まさか男にうまれてユニチャームのお世話になるとは思いもせず。今回、疫禍にて香港で突然マスク普及したがこれを機会に感冐や咳、花粉症や煤煙、大気汚染などの対応にマスク利用されるべき。イラク攻撃、バクダッドも陥落、米軍笑顔で迎え入れる市民の表情、不思議なことはテレビの画面につい先日までは米国を倒し死を代償にしてもフセインを守る、と豪語する市民が登場していたのが、いまは親米の笑顔ばかり。なぜこうもきちんと入れ替わるのか……マスコミ取材の意図的さ露骨。張國榮の自殺まだまだ週刊誌中心に記事並ぶがちなみに昨年の香港の自殺者数988名、人口比でいえばわずか0.016%にすぎず、人口10万人で16.4名、ちなみに日本はこれが25名を越える世界一の長寿国兼自殺大国であるそうな。非典型肺炎の防疫も重要だろうが、長寿と医療衛生の充実のなかで人が自らの命を断つ現実……。晩に張作驥監督(台湾)『美麗時光』看る。青春、チンピラ、事件に巻き込まれての死、といふいかにも台湾らしい青春モノ。北野武にはもはや許されない素朴な悪くいえば粗い作りは台湾でこれなら許されるかも。主人公役の二人の好演。映画の合間にZ嬢と尖沙咀はHanoi Rdの朝鮮料理・梨花園。ユッケビビンバ秀逸。參鶏湯は秘苑のほうが朝鮮人参は上質、味も洗練されているが、この梨花園のこってりとした參鶏湯もこれはこれで美味。23時に尖沙咀の星巴、ノートブックでワイヤレスLAN使えるのだから便利、深夜、塚本晋也監督『六月の蛇』看る。途中までかなりいい緊張感と切迫、不安定な関係の夫婦、その夫婦を脅かす癌末期症状のカメラマンといふ三人の物語、それを見ながら、じつは「いつ塚本晋也といへば『鉄男』のあのリョロリョロ、チューブみたいなあのクネクネ」が突然身体から出てきたりとか……それだけは「絶対にありませんよーに!」と願っていたのだが、やっぱり、あった(笑)。Z嬢曰く、きっと台本にはないのだけど、じつは大道具にはちゃんとあのチューブがしまってあって、監督が突然発作おこして「おい、出せ!」というと大道具さんがチューブ出すのでは?、と。確かにw。べつにチューブなくてもいいし、拳銃も要らないし、旦那役をあそこまで禿げデブにしなくても、と思うのだけど、どうしてもそれをやってしまうのがそれが塚本作品なのだろう、とこれはもうそれを受け入れるしかないのだ、と痛感。
コンコルド旅客機10月でついに完全引退決定。子どもの頃にこのコンコルドとジャンボ747に乗ることを夢見て、747こそ大学生の頃にパンナムの成田?香港線で夢を果したが、このままではコンコルドは終に乗れぬまま、か。ちなみにコンコルド、67年にパンナム、AA、TWA、UA、カナダ航空、カンタス日本航空、ルフトハンザ、Continentalなど16航空会社74機のOption(購買契約権)があったが実際に72年には英国航空に5機、エールフランスに4機しか売れず、英仏は16機製造し、そのうち4機は試作機ですぐに引退、結局、残り4機を79年に英仏の両航空会社が買い受け。かつてはパリからリオデジャネイロ、ロンドンからバーレーンなどまで飛ぶ。
野坂昭如バグダッド駐在、命懸けの現地リポート諸氏に向かって曰く、「御苦労様。一つだけ注意しておく、弾丸、爆弾飛沫の音を耳にしたら、首をすくめるんじゃなく、親指を耳、中指人差し指で眼を掩い、薬指で鼻の孔をふさぎ、口を大きく開ける。突っ立ったまま肩をすくめても始まらないよ」と。本当に自分が爆撃を受けていないとわからぬこの感覚。覚えておこう。
▼ 信報林行止専欄より抜粋。 “The Story of Civilization” の大著半世紀かけて上梓したDurantの“The Lesson of History”によれば泰西で有史以来3421年の歴史のなかで戦争おきておらぬのは僅か268年。戦争こそ常態か。林行止は20世紀の独裁者と殺人としてヒットラーレーニンスターリンと同列に毛沢東挙げ(これは中国にとっては侮辱、だが革命の功績がどれだけ偉大であろうと大躍進、反右派闘争と文革での悲劇は「大量殺人」であり、これは否定できず)、リンカーンとて黒人解放が称賛されるが彼の命令にて殺戮された南軍と原住民の總數は62万人強(当時の米国の総人口3000万人満らず)、これは経済学者Dilorenzoの“The Real Lincoln”(2002)にて明らかにされた事実でリンカーン像をかなり下落させるもの、と林氏紹介。今回のイラク攻撃はこの殺人容赦なき独裁者征伐しての民主化が目的とされたのだが、では具体的に民主化はどのように進んだか、といえば、米国の「自由の家」の調査によれば、1900年当時、世界には完全普通選挙(男女均等)実施する国家はなかったのが20世紀末には192の国家中119(62.2%)が普通選挙実施。1950年に民選制度の国家に属した者は7億4320万人(地球人口の31%)が現在では34億4390万人(同58.2%)となっている。ちなみに民選国家数の62.2%と民選国家人口の58.2%に開きがあるのは人口多い中国が一党独裁など権威政権国家に属すため、と林氏またも中国激怒するような指摘あり。これだけ見ると20世紀のうちに地球は民主化された、と見える、だが、確かに1950年以前には12国あった極権政権(Totalitarian Regime、つまり北朝鮮などの完全自由剥奪の超管理国家)こそ20世紀末には5国に減ったものの1950年以前、この一党独裁などの権威政権国家はわずか10国のみで人口は1億2200万人(5.1%)だったのが中国などの加入により2000年には39国、人口19億6770万人、これは地球上の人口の三分の一が非民主的国家で抑圧下にある、ということ。つまり民主化は進展しておらぬ、といふ結論が導かれる。で、イラクはどうか?、フセイン政権が打倒され民主国家が建設されればアラブにて初の快挙、これまで首長制にて石油が国有という名のもとの王家資産となっていたものが私有化され、これにより競争原理働き価格も下落、これが米英がイラク解放することの世界経済への積極的意義、と予想以上に林氏は肯定するのだが、果たしてそうだろうか。結局、首長が牛耳っていた石油資産が大手石油メジャーの手に落ちる、ということ。それで富が分配されるだろうか……そんなわけなく、実際には首長らよか大手メジャーの策略はもっと侮れず。少なくとも石油有する首長国家にあっては国民に自由の代償として石油利潤が無税であるとか社会福祉といった部分で頒たれていたわけで(封建制下社会の肯定部分)、外国石油メジャーに牛耳られた場合、当然のことながら利潤は根こそぎ略奪されるわけで、地元にかつて首長が頒ったような利潤投下はないのは明白。
▼朝日の「戦争と宗教」なる特集に宿敵?曽野綾子女史の「政治が語る神は方便」という取材記事あり、冒頭で「ブッシュ大統領は宗教心のあついクリスチャンといわれています」といふ問いかけに曽野女史いきなり「ブッシュ大統領のしていることはキリスト教に反しています」と断言。ブッシュの手法を「限定的な復讐法である「目には目を、歯には歯を」のハムラビ法典に近い」という発想はちょっとステレオタイプすぎてハムラビ法典はそればかり強調されている間違いなのだが、それを除けば先生の御説、拝聴に値し「キリスト教における正義とは「少数民族が圧迫されない」とか「冤罪がないこと」といった通俗的なことではない」のであって、それは「神と人との折り目正しい関係」のみを指し、狂った人や残酷な人がいるからといって「その宗教を裁いてはいけません」と(上祐先生が聞いたら喜ぶはず)。そして自らの戦争体験から「戦争とは人が死ぬもの」で「日本人の中には無辜の市民を殺すのは悪いという人がいますが、非戦闘員が死なない戦争などあり得ません。それが戦争です。だから戦争は悪いんです」とまさに正論。『正論』で展開される論調とはずいぶんと違った、いかにも朝日に載りそうな正論で曽野先生変節?とすら思う。全く先生の言う通り。だが「戦争は政治がやるもの」で「私は政治は嫌いだし、自分でできるとも思っていません」ってところで「あれっ?」と思わざるを得ず、日本財団会長って政治的じゃないのかしら……。よくわからぬまま読み進めば、日本政府の米国支持について「外交のまずさだと言うのは簡単ですが、そうさせたのは国民とマスコミ」と、それは正論なのだが、やっぱり最後は曽野先生らしく「日本は自分で自国を守る方法をもっていない」「日米安保だって信じられるものではありません」(これは同意)、で「自国を守るだけの最低限の軍備をもつべき」で「自国は自分で守らなければならない」と。……。結局、やっぱり落ち着くところは軍備(笑)。でも自衛隊ってすでに軍備としては最低限どころぢゃないんですよね。その上、曽野先生の最大の矛盾は、国を守る、っていうと聞こえいいですが、相手が攻めてきてそれに応じたら、これは戦争、つまり先生の言うとおり人が死に、これは悪いこと。しかも現実的にイラク攻撃見ればわかるとおり、今日の戰鬪兵器の時代は国を守る最低限の軍備なんかじゃ最初から国なんて守れない。だったら本当に人が死ぬ悪い戦争をしたくないのなら、本当にそのキリスト教の正義があるのなら、陳腐な自国防衛の軍備、じゃないと思うのだが、どうだろうか。いずれにせよ朝日の変節天晴れ。もうこの曽野先生の論調ぢゃ朝日だか読売だかわからぬ。それじゃやっぱり朝日読む必要なし。
▼中国政府ようやく非典型肺炎を法定伝染病に指定。発生から五ヶ月。国際会議などの中国での開催回避など顕れ、中国の情報非公開への非難などにようやく重い腰あげる。信報林行止専欄も指摘するは今回の肺炎対応の遅れは「二大」開催故、と。二大とは今年三月に開催された第九期全国人民代表大会中国人民政治協商会議第十期大会であり、国家の威信にかけて江沢民からCoquinteauへの政権移譲を安定して行うこと優先のため疫禍などといった負材料は大きく採り上げられぬ背景あり。結局、疫禍も政治的に扱われる事実。これは北京の医者が暴露したことで、疫病の拡散について「家醜不可外揚(家の恥を外に言うべからず)」ということでこの二大の成功目的として防疫が等閑にされていた、と。林行止指摘するは、この医者も基本法23条の公安立法によれば「国家機密漏洩」にて処分対象。
蘋果日報の蔡瀾の隨筆、この人は映画プロデューサーであった当時の映画に纏わる話など書いていた当時がよかった、とかつて余も述べたが、ここ数日、自分の企画する旅行の話などでなく(この肺炎疫禍でツアー旅行も企画倒れかっ……?)珍しく映画を語り、期待。しかもコッポラの『地獄の黙示録』だ。制作費上限なしでフィリピンでベトナムを想定したロケ続き、蔡瀾氏語るに、このロケ、資材調達が香港の蔡瀾氏が所屬したショウブラザースだったそうで、その裏話など面白く、そう、こういったネタこそ蔡瀾氏ならでは、のはずのだが……悲しいかな、精神的にもかなり緊い環境である上に台風で撮影地は壊滅的打撃うえ撮影中断が伸びるなど悪条件下で監督も出演者も精神錯乱状態、とそれは事実なのだが、最後、「というわけでコッポラは気が狂ったままで、その後、黙示録を越える作品は撮れなかった」と。否定的にこう書く必要もなかろう。蔡瀾自身、この黙示録(2001年)を絶賛しているように、これは映画史上に遺る傑作、かりにコッポラが正常であってもこの黙示録を越える作品の製作が可能だったか、といえば、どうだろうか。黙示録を完成させた段階でコッポラは使命果たした、と理解すべき。どうしてもやはりこの蔡瀾という人の感覚が余は生理的に受け入れられず。
▼ 九日に書き忘れ。八日に『たそがれ清兵衛』開幕上映であった山田洋次監督、じつは九日に夕刻『小津を語る』という記念講演も予定されており、当然これも中止。かなり期待していただけに残念。小津といへば『週刊香港』の香港国際映画祭特集記事で映画評論される世良田さんが小津を褒めるだけでなく、ちゃんと森繁の「映画じゃなきゃ撮れないものをとるのが映画」という小津作品を否定的にとらえたコメントも紹介していたのは偉いなぁ。森繁といえば「映画は何でも捕らなければならないが「ローポジ、パンなし、移動なし」では戦争映画は撮れないだろう」とやはり小津のローアングルを揶揄した発言もあった、と思い出す。確か小津も森繁を「いい役者で、どんな演技もできるが、ニ度と同じ芝居ができない」と言っていたはず。