富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

四月二十八日(月)快晴。疫禍、どうにかおちつきつつあり。感染者が10数名と安定しており治癒して退院する者も増え、現在感染している患者数相対的に減少傾向にあり。感染は短い期間ではゼロにまで解消されまひが、少なくとも特定の場所などでの大量感染や拡散は細菌が突然変異でもせぬかぎりあり得ず。ただ「感染しない」と確信もった市民増えたのか極端にマスク率下がりつつあり。用心用心。
▼昨日ふと思ったのだが六国酒店の粤軒で晩餐の際にメニューがかなり変わっている。具体的にどう変わっているかというと所謂海鮮の類がほとんどなく正直言って客の入りに係らず保存のきく素材、食材や調理多し。それがダメぢゃないのだがどうしても三、四皿とると料理にバラエティ乏し。Z嬢に話すと土曜日の晩の黄色門もこれまでに比べると精彩欠く献立だった、と。確かに。疫禍にて飲食店も客の入り悪く自衛策に出ている様子あり。
週刊読書人にて講談社『日本の歴史』全26巻刊行記念しての姜尚中氏、テッサ・モーリス・スズキ女史の対談あり。いま日本を語らせたらいちばん面白いお二人の対談はかなり示唆あり感銘。対談はこのシリーズの最終巻『日本はどこへ行くのか』の著者でもある二人がこのシリーズの00巻!を担った網野善彦氏の『「日本」とは何か』の問題提起受けのもの。日本史を「われわれの歴史」などと閉鎖している空間で語ることはできず、土地に縛られた民よりも移動する、越境する衆が重要、古くは近畿、今なら東京を中心とした日本という地図の上で歴史や社会を見ること勿れ、九州なら九州を中心とした同心円にて見れば東京よりも朝鮮がいかに近いか、そういった空間で歴史や社会を見ることの大切さ。天皇制が1300年だか綿々と続いている、ということで日本をユニークな国だといふが、そうした連続性が寧ろユニークな国という意識を作ってきたのではないか、寧ろその連続性を解体してこそ本来の歴史のなかの社会が見えるはず、本来は日本の歴史の中にいくつもの断層があり非連続的な部分があるからこそ連続性という神話づくりが大変だったのではないか。とくに近代になってそういった歴史の連続性というイメージが必要であったのだろうこと。北朝鮮拉致問題にしても四半世紀に渡り北朝鮮で暮さざるを得なかった人々に、いくら強制連行されていたにせよ、一生懸命生きてきたその25年間の人生がまるで全てマイナスで日本に帰ってきて本来の人間性を回復したよいうような画一的な見方ばかり。まるで不動の日本がそこにあり、その空間と時間のなかでアイデンティティを確認しようという動きがメディアにあり。(……以上ここまで要旨)こういった硬直した国家概念、社会規範が歪んだナショナリズムを形成し、もしくは極端にいわゆる自虐的といわれる史観となる。網野氏の語るような海や山越えた、音樂のようにゆるやかな物語があることが歴史の面白さのはず。
新型肺炎が感染長期化で業績に影響する企業が七割と日経一面トップ。正確な情報も現状もわからぬまま日本でのマスコミ報道に依存しての「憶測」だが、それにしても騒ぎすぎ。北京の駐在員の帰国措置などとっている会社も少なくないが、断言してもいいがこの程度の感染症は今後なくならない。寧ろ自然体系がこれだけ毀されて今後より強靭な細菌現れよう。マスク姿など悲しいかな当たり前となる。恐れるより慣れろ、である。それにしても日本企業の対応、日経の一覧表見ていると嗤わざるを得ず。M電機の「取引先来日中止」などは事実仕方ないだろうが、M電器産業の「部品調達先の分散化」やS商事の「電話会議や電子メールを活用」であるとかT誘電の「物流拠点の分散」、D證劵のテレビ会議など本来、リスク回避やコスト削減でやっていて当然のこと、S食品が「カップラーメンなど売上げ増」に対してT製薬の「現地でリポビタンDの販売減少と広州拠点閉鎖」は疫禍だからこそ売れるべき商品が売れぬとは洒落にならぬが新聞社の取材に対して朴に答える気が知れず。電信Nの自宅待機、文具オフィス家具大手Kの「タクシー通勤義務づけ」、量販店Iの出勤時間遅らせ混雑回避など全く意味なし。少なくともこういった措置を日本以外の大手企業で聞かず。この過剰ともいえる措置が結局、日経がいみじくも「グローバルに拡大した日本企業の活動はイラク戦争に続くSARSの猛威に搖さぶられている」などと宣っているが、結局、ナショナル企業が国際企業になる過程で本来なされるべき活性化されぬまま所詮「日系」企業のまま拡大してしまい、こういった多少リスク高い事態に直面した場合、日本以外の大手企業のような原則対応できぬまま過剰な反応。9-11の時のあの「いやー、全面渡航禁止になっちゃってさぁ」という顔にそういった余波かぶることにどこか「国際社会に在る我」のアイデンティティ認識が感じられたのも事実。実際には9-11の時に「あの時」米国内の航空機に搭乗していない限り何の危険もなかったのだが。SARSの業績に影響よか小泉内閣での景気打開なきことを深刻に憂慮すべき。この肺炎に感染する確率は、昨日競馬していてふと思ったのだが、少なくても万馬劵が当る確率よかずっと低くて、Triple Trioの億馬劵があたる確率に近いものあるかもしれぬ。それくらい当らないのだ。ただ当らぬ者にかぎって「もし当ったら」と皮算用するのが大穴もしくは高額配当の馬劵なり。