富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

四月二日(水)いぜん肺炎感染収まらぬ模様。『信報』の隨筆(粛威廉)語るに、ローリングストーンズの歴史的香港公演が肺炎で中止となったがかりに実施されていたらそれこそ歴史に残るマスクコンサートになったのだろうが、この筆者、先月末に香港小交響楽団の音楽会に赴けば客の6、7割はマスク着用しバイオリンも三分の二の楽団員はマスク、さすがに木管金管はマスクせず、と(笑)。外出する気にもジムに行く気にもなれず終日在宅。暫く怠けていた写真の整理だの済ます。このまま在宅していたらそのまま夜になってしまうことが赦せずZ嬢と日暮れ前に裏山に参り一時間余トレイルを歩く。Quarry Bayの太平街市にて食料品購い帰宅。三平汁。焼酎、二階堂の吉四六飲む。Happy Valleyにて競馬、テレビ観戦。R3(四班芝1,200m)好朋友Good FriendがWhyte初騎乗で一番人気。この馬、馬主は香港明星體育会團體、競馬好きの陳百祥、曾志偉、譚麟詠らのシンジケート、なかなか勝てないが四班に降格し得意の1200mに期待高いわけだが、何よりもこの芸人らから想像に易いは彼らの畏友であり昨日自殺して亡くなった張國榮の存在、しかも張國榮は恋人の唐鶴年君を好朋友と言訳したことからマスコミは唐氏をいつも「レスリーの好朋友」と揶揄していたもの、偶然のことだがこの好朋友が勝つ、勝たなければならない物語、のはず。で勝ったのだが口取りには陳百祥、曾志偉、譚麟詠のいずれも姿なし。競馬はそれでなくても入場者減少に歯止めかからぬのに肺炎騒ぎで馬場は閑散、そのうえこの好朋友の勝利も華もなし。そこそこ当るが愉しくもなし。『帝国』引き続き読む。
▼ 金融經財相竹中君と財相塩爺との間で仲違い公然化、小泉三世取材に大いに議論すべきだが違いを強調するのではなく互いに出來ることを見つけることが大切、といったのような「何か答えてはいるのだが」意味不明。内閣として全く機能しておらず。
Wall Street Journal紙一昨日の社説にてQuarantine China(中国を隔離せよ)なる題でこのまま中国政府が感染拡大防止に有効な措置をとらない場合、香港を含む中国との通航遮断すべきと訴える。単なる黄禍論なら否定するだけでいいのだが中国のこの対応はかなりまずい。イラク北朝鮮が「片づたいた」時に次なる大いなる不信感の対象に中国がなる可能性はじゅうぶんにあり。しかも問題はこれがフセインとか金正日という領袖の治める国家ではなく毛沢東や?小平という「顔」のなき今の中国が中国共産党政府といふ巨大な官僚機構として、この「いかにも中国的な」すでに中国においてこの肺炎は管制したにある、といった公式コメントで海外の注意をかわそうといふ態度。そしてついに今日、WHOは肺炎の感染源の究明できず香港、広東への渡航延期するよう勧告を発表。香港でこれをされたらお終いなのだが、ひとえに中国のWHOに対する対応の拙さが元凶にて、さすがに親中派の議員らからも中央政府に対して肺炎の原因究明と情報公開、WHOや香港当局との合作を求める声が上がるほど。
鯨岡兵輔氏逝去、享年84歳。鯨岡氏であるとか宇都宮徳馬氏であるとかもう国会には存在し得ぬ生っ粹のリベラル。
▼ 昨日読んだ『疫病の時代』の断片的なメモ。イラク攻撃と非典型肺炎という、全く異なるような事象が実は密接な関係にあることを認識できる。帯にある通り「古来、疫病は社会を変え、歴史を変え、人々の世界観を変えてきた」こと。村上陽一郎先生(20年ほどまえに余が『朝日ジャーナル』にした投稿に先生より罵声を浴びせられたことあり、それに対して猿谷要先生が余を援護、但し村上先生から頂戴した達筆の書状はいかにも先生らしい流れるような字体にただただ敬服)は泰西の黒死病とり上げ感染症の流行の状態をpandemicと呼ぶが感染症がどういう切っ掛けでpandemicな状態になるのかはわからないが、少なくてもいえることは多くの感染症の流行が汚染地からの<交通>によって齎されること。また医学いぜんの問題としてこういった感染症は交通の制限=検疫など非常時の強硬施策を講じること(今日の香港政府の如し)。日本では厚生省の誕生は実は昭和10年で、それまでは感染症の管轄は警察と同根の内務省。流行病は公安の対象であること。(厚生省の誕生がまさに日本の軍国主義の時代と一致することは興味深い事実、つまり衛生は国民福利ではなく国家富強が推進する時代にこそ注目されるといふこと) 流行病が蔓延すると人々は刹那的な快楽の追及に走り、一方、悪疫の流行を神が人間の墜落に対して下した罪と考え極度の禁欲と贖罪へと赴く人がいること。また流行病=ペストは社会に対してユダヤ人に対する迫害、ラテン語の衰退(大学におけるペスト流行でラテン語必須のところラテン語のできぬ者の登用が始まる)、農奴の大量死による荘園の崩壊などさまざまな社会的事象をもたらす。そして現代は長寿社会だの健康だのを謳歌しているが人間は死を忘れたときに醜くなる、のであって流行病はその死なる記憶をあらためて思い起こさせること。宗像恒次……病気(disorder)は即ちある種の無秩序(dis-order)を表現。衛生が重要視されたのは日常生活ではなく軍隊。ナポレオンの頃、つまり近代国家の近代戦が始まる頃。じつは当時の戦争において最も大きな被害は敵との戦闘ではなく軍内部の不衛生による病死。クリミア戦争で仏軍は31万人の兵隊を動員、そのうち戦死は3.3%で27.6%の兵隊が病死。敵のロシア軍も9万人が病死しており、ここでナイチンゲールの活躍があったが実は戦争での負傷者救援よりも病人介護が戦場で重要であった事実。アメリ南北戦争(これは独立戦争と記されているが南北戦争の誤り)でも北軍で戦死者9万人に対してその倍の18万人余が腸チフス赤痢などで死んでいる。この頃に細菌学が生まれる。日露戦争が画期的なのは戦死者の数が戦争中の病死者数を初めて上回った戦争であること。森麟太郎君=鴎外先生も衛生学を専攻、発展途上国の日本が帝国となるには近代的武器を有する軍隊の育成ばかりか実は防疫衛生の推進があったこと。養老孟司……一般の人の感染症への興味は、今では興味をもつ人の人間側の問題であって、病気じたいが重要だからとか、病状がとくに興味深いという理由からではない。交通事故のほうが死者及び障害者の発生数で比較すれば感染症より深刻。だが人々は交通事故より感染症を恐れる。何故か。自動車は人間が作り出したもの=人工で交通事故の原因もわかるが、感染症は正体不明であるから。そしてその正体不明の感染症に対して人は治療=人工で挑む。感染症は自然、治療は人工。現代人は自然よりその人工を信じる、それが都会人。その感染症を恐れるヒトの感覚はSF小説などによくある、陳腐な、なぞの疫病で人類が死に絶え、生き残ったヒトや他の生命体が新たな社会を創る、といった物語が多い。が、これまでもそういった疫病はいくらでもあって、だが現実にヒトは死に絶えない。感染症のウイルスはもともと自然のもの、突然変異などと恐れられるが細菌であれヒトであれ遺伝子系とはそれがたがいにじゅうぶんに適応しあった遺伝子から構成されている。きわめて洗練された形。かりに一つ新しい遺伝子が誕生しても、その遺伝子の機能が既存の全ての遺伝子の機能と矛盾しないか、矛盾しないとなって初めてその遺伝子が現存する。これまで何億年もかかってその遺伝子の世界が形成されたのであって(自然の選択)、それの科学による操作(遺伝子操作)はそんな簡単にはいかない。遺伝子操作でも疫病対策でも「何かがおきる」ということばかりが目立つが、じつは「何かがおきる」ことを証明するのは簡単だが、難しいのは「何もおきない」を証明すること。現代人はデジタル化した思考、ある、ない、ばかりに慣れて、その「ある」と「ない」を等価だと思っているが、「筑波山にアゲハチョウがいる」ことを証明するのは筑波山でアゲハチョウを一匹捕まえればいいが「筑波山にアゲハチョウはいない」ことを証明する手立てはない。現代は昔に比べて感染症の被害が減ったのは、ウイルスが強くなったとか人間が弱くなったとかではなく、社会が豊かになり交通が盛んになり社会が安定したからではないか。エイズの広がりは、もともとアフリカの風土病でしかなかったものが、これまで実質的に縁のなかった人たちが航空路など交通手段の発達で頻繁に接触するようになった結果。生命がある以上、遺伝子があり、そこに関連する感染は今さらどうしようもない。重要なのは環境。感染症への対処で医療そのものと生活環境のどちらが大切か?と問われれば養老先生は生活環境を挙げる。抗生物質はまさに近代医学の成果だが、細菌じだいには有効であってもわずか一錠の薬が十日有効ということはヒトの身体への副作用が十日ある、ということ。そういった薬に依存することよりも社会の生活環境を変えること。……確かに香港の都市環境は異常以外の何ものでもない。空気の流通よくするために公共交通機関の窓を開けろ、という。窓を開ければ確かに車内に菌は蔓延しないだろうが、イヤといふほど排気ガスで汚染された空気を呼吸する。下水の悪臭。そこまでして大量の人間が密集して暮らしていないと成立し得なくなってしまった経済体系。全てが間違っているのであり、そこで肺炎が流行るなど当然のこと。あらためて経済体系すら問い直す程の社会環境改革を実施しないかぎりマスクをしたまま戦々恐々とウイルスに怯える日々が続くのだろう、きっと。
▼ 昨晩投身自殺した張國榮というと近年では王家衛監督『春光乍洩』(Happy Together、邦題:ブエノスアイレス)が話題作なのだろうがチャイニーズの同性の恋人(相手役は梁朝偉)とブエノスアイレスで同棲しており、しかも働く場所ばブエノスアイレスのタンゴ酒場だって(それって東京舞台にしたら吉原の松葉屋だよ)、その物語の因果であるとか経緯、背景を王家衛に求めることじたい愚の骨頂だが、この作品でも梁朝偉は相変わらず自分のスタンスにあるものの張國榮の存在感が作品のなかでも次第に薄くなり、それと相応して物語にかかわってくるのが台湾出身の若者(張震)、物語の最後もこの若者の出自を探ねるべくキャメラ台北の街へ。この物語のなかでの登場人物の移り変わりは90年の同じ王家衛監督の『阿飛正傳』(Days of Being Wild、邦題:欲望の翼)でもあったわけで、60年代を舞台にJames Dean的にやり場のない若者演じる張國榮張曼玉相手にかなりいい演技を続けるが、殊に最初の南華のボーリング場のコーラ売場は張國榮にとって最もカッコいい場面、(物語は王家衛であるからどうでもいい)そこに警官の劉徳華、それに梁朝偉が絡み始めると磁場のズレがおこり始め、最後は有名なシーンだが梁朝偉が身支度整え夜の街に出てゆくシーンはもはや張國榮の存在の欠片もない(『春光乍洩』の台北の街の夜景を追うキャメラと同じ)。王家衛作品という特性はあるが、映画のなかで存在が消えてゆく、珍しい主演を演じている。芸人にとって「老い」は難しい問題で、老け役となってゆける自然体はいいが、結局はアニタ=ムイ姐や美輪明宏先生的な昇華か、譚麟詠や加山雄三的に永遠に青年のままでいるか、Greta Barboか原節子的な隠遁以外、他には死しかないのかもしれない。それにしてもすごい場所を選んでくれたもの。沖雅也の京王プラザホテルだって普段は目にしない低層建築部分の屋上?だし三島先生の市ヶ谷にせよ象徴的な場所で意味こそあれ日常生活から遠い。だがレスリーのマンダリンオリエンタルの正面玄関は車でこの香港を代表するホテル訪れれば否応なく通る狭い場所。その車寄せの花壇を見るたびにその道路に広がった鮮血を思い出すことになる。何を意図したのか。いつまでも自らが人々の記憶に残ることへの意図があったのかも。Leslie張國榮の自殺は日経の社会面にも写真入で。経済紙『信報』が「何去何從(何処から来て何処に去るのか)」なる無署名評論にて張國榮を香港の80年代からの個人主義の象徴として捉え映画監督・許鞍華を引用、また李志超は同じく映画監督の關錦鵬との張國榮の関わりを回顧する文章、いずれに一読に値する。