富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2003-04-18

四月十八日(金)書斎の冷房機これからの季節といふ時に数日前冷房機能不調となりもうだいぶ老朽化した騒音ばかりうるさくそのかわりちっとも冷えず然ぞや電気代だけは浪費しているのだろうと思え買換えを決めるが疫禍にて消費は滞っていると聞いていてもどうやら冷房機は例外らしく疫禍にて旧い冷房機買換えをする者少なからずか配達と取付けまで四日を要す。今日がその取付けにて冷房機の前はだいぶ散かっておりこれを機に本の整理。売り払う本まとめて午すぎ銅鑼灣の古本屋「とまと」に持参。朝はかなり霧たちこめる曇天だったものがすっかり雲ひとつなき晴天。これで少しでも疫禍治まればよいが。葵芳の葵青劇院にて程裕蘇監督『目的地上海』看る。デジタルビデオによる作品、どうもこの鮮明な画像、余は好まぬ。画面に奧行きがなくテレビモニタならこの鮮明さもいいが劇場のスクリーンでは奧行きない上に歪んで見えるようで。この作品はとくにレンズの選び方に難あり。岩井俊二くらいになるとデジタルビデオ使ってもかなりフィルムに近い感觸をもたせるが硬件としては利用が楽なようで実は難しい。で作品だが現代都市としての上海の病態、かなり「歪んだ」個性豊かな市民を抽出して焦点あてているようで実はどれも中途半端にて描ききれず。期待していたぶん残念。地下鉄東涌線のOlympic站、Olympian Cityなる商業施設にかなり大規模なゴルフ練習主体とするジムありふらついて葵青劇院に戻る。葵芳駅前の商業施設はかなりの人出で先月末からの疫禍を思えばかなり回復。恐れても仕方ないと思ったのか疫禍に「精神的には」すでに抗体できたのか、いずれにせよ好事。Z嬢と落ち合いCarma Hinton監督『八九點鐘的太陽』看る。中国の文化大革命劉少奇の未亡人、娘、奇跡的に生き残った党秘書、その娘、知識人、紅衛兵運動の創設者などの証言中心に『東方紅』などかなり効果的につかい編輯見事。よくぞここまで当時の貴重な映像集めたと敬服。自ら流暢に北京語で語る監督指摘する通り今回の上映は英語での翻訳がすでにオーバーラップしてしまっており、原音の北京語と英語、それに中文の字幕でかなり見づらい作品であること、とくに原音で聞いてほしかった、といふ監督の指摘通り、この作品に登場する、当時文革にて徹底的な避難の対象となった人々は、文革で否定されるくらいの知識人、資産も教養も残念ながら豊かな人たちで、その容貌、雰囲気からして格と華あり、話の内容もそうだがその話しっぷりといったらそんじょそこらの庶民からは出でて来ぬ見事なまでの白話(会話)、確かに原音でもっと聴ければ、と残念。芸術家の老人が文革紅衛兵による騒ぎ、廟仏閣の破壊を「野蛮人が燃えるもの持ち寄り火をつけてその周りを踊っているようなもの」と比喩したのが興味深い。確かにその通り。だがそれはそれで文化であることが文革の複雑なところ。文化といふのはけして高尚なものばかりにあらず。別な登場人物が同じ騒ぐなら今どきの若者がコンサートで人気ミュージシャンみて興奮して踊り狂うほうがマトモ、当時は毛沢東という象徴がいたが天安門の上に人民服着て立っているだけで踊りも歌いもせぬ、と揶揄。文革を「権力者が無知な若者焚きつけキチガイ騒ぎした」と言ってしまうは易しいが党中央の政治劇は別にしてもこの文化大革命の呈示した革命の問題は重要であり今だに解決できるものでなし。自らの党での権力闘争の最後にこの文革を用いた毛沢東といふのはやはり偉大か。ただ、いずれにせよ文革は若者らはいいように利用され中国にとって貴重な多くの人材が一掃され貴重な史料的価値のある財産が破戒され、結局はそれが党中央での権力闘争に集約されたことは茶番も茶番。この映画、この劉少奇失脚と林彪まではとても精緻にまとめているのだが、そこからが突然林彪の死、周恩来逝去と天安門事件毛沢東逝去と四人組失脚と断片的に進んでしまう粗さ、なぜ4時間の大作としてでもそこをもっと精緻に語らぬのか、とも思ったが、よくよく考えてみれば、このドキュメンタリーはけしてたんに文革を否定して終らせるような浅い視点でなく、もっと深い中国理解がそこにあり。もし林彪失脚からを描けば登β小平らによる巻き返し、開放改革……であり、それを描けば今度はそれが肯定となり文革を暗黒の時代とせざるを得ず、勿論経済的には豊かになっているがいまの路線が中国においてどう作用しどう評価されるのかが一党独裁という問題も含めて何ら結論が出ていないのだから、この作品があくまで文革とそのなかでの毛沢東の象徴性という部分だけに焦点を当てた、ということは非常に正確なこと。それにしてもこの監督らの仕事にはただただ敬服。吉野家で牛丼。星巴珈琲にて一喫。吉野家、最近はあちこちにかなりお洒落な出店続くが台湾での成功のあと10年以上前に香港に新出したものの何故か繁華街から外れた湾仔、沙田に消極的出店しただけで数年がたち、ようやく尖沙咀で客足つかんで、とかなり時間を無駄にした感あり。香港は日本のようなカウンターで3分で食べるのでなく、ファミレスのようにテーブルでのんびりゆっくり食べているのも興味深い。SABU監督『幸福の鐘』看る。工場が不況で突然閉鎖された男が偶然に偶然がかさなり数奇な出来事続き……と。ただ最後がなぁ、あそこにもっていったか、という感じ。あれだけ眉間に皺寄せた主人公、一言も喋らず、実は、って。
▼South China Morning Post伝えるに今週始めだったか香港政府公開した非典型肺炎発生の住宅地のリスト、なぜか山頂に住む感染者一名あったことがリストから外されていた、とスクープ。それが偶然のミスなのか、こういった情報提供作業の不完全さ、限界なのか、それとも敢えて山頂という超高級住宅地を外したのか。おそらく後者であろうが、この肺炎、かつての日本人駐在員夫人による「下界」発言の通り、人口密集地だの老朽化した公共団地だので感染、というのが印象であって、それゆえに香港島は東区の比較的人口密集地だけ。ミッドレベルであるとかは比較的安全なら山頂など最も安全であるべき、ということ。だが実はそこでも感染者がいて病院に収容され自宅では家族が軟禁状態なのだが、それが隠蔽されていたわけ。