富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

2004-04-01から1ヶ月間の記事一覧

四月三十日(金)晴。早晩ジムにて鍛錬しつつ志ん朝師匠の「真景累ヶ淵」より「豊志賀の死」を聞く。圓朝作の怪談話聞きながらの運動も奇妙。前半多少説明が過ぎるのと新吉の富本の師匠・豊志賀とお久との会話がやたら「ですます」調の現代語であるのが気に…

四月廿九日。先帝御誕生日。ところで瘴癘(しやうれい)といふ言葉あり。M君調べると「人ガ山林ノ間ニ到ル接觸ニ因リ熱蒸ノ毒氣發スル所ニ生スル疾病」つまり「気候・風土のために起る伝染性の熱病。風土病。」(広辞苑)にて杜甫にも「江南瘴癘地,逐客無…

四月廿八日(水)曇。晩に沙田の競馬開催あり馬券のみ購入しジムにて久方ぶりに二時間きちんと鍛錬。灣仔の北京水餃皇に食す。韮菜猪肉水餃のみ僅か八件食すがやはり食べたりず帰宅途中にジャスコの中島水産にて小鰭と鯛の握り寿司購ふ。閉店間際にて6件に…

四月廿七日(火) 昨晩読みし荷風先生日剰昭和十三年の大晦日書抜き。戦の足音忍び寄る年の暮れ荷風先生浅草界隈珍しく朋伴連れ立ち楽しげに過される。晦に浅草に集ふ人たちの苛しき暮しの中での束の間の幸ひまで眼に浮ぶ如し。 十二月三十一日。陰。朝の中…

四月廿六日(月)早晩に九龍の北方風味の茶餐庁に食せば店内のテレビに見入る客多し。北京の全人代常委にて香港〇七年の行政長官並びに〇八年の立法会選挙につき直接選挙否決。午前の早い時間のこの決定で午後には全人代常委副秘書長の喬暁陽氏来港し香港の…

四月廿五日(日)曇。朝八時半に起きてしまひ朦朧。沙田競馬場。QE II Cup開催日。日本馬の参戦なく日本からの客少なし。月刊『ハロン』S編集長昨年の疫禍の最中での開催と同様に来港。メンバー席折からのパドック大改修で場内狭き上に大陸からの田舎漢多し…

四月廿四日(土)曇のち小雨。昼にジム。午後九龍にて用事済ませ昏時時間持て余しさしてすることもなく美孚より6番のバスに搭れば太子旺角の渋滞甚だしく佐敦まで一時間余要す。地下鉄なら7站十二分の距離。埋立地の九龍站に参り城市高爾夫球會=City Golf…

百樂潮州酒楼 壽桃包

四月廿三日(金)昏時ジムに参らむと銅鑼灣に下りればZ嬢より来電あり酒場East Endに落合いステラ麦酒一飲。晩に門司よりK先生の奥様千葉に住ふ令妹と来港にて先生いらした当時の知人ら集い利舞台の百樂潮州酒楼にて晩餐。百樂は利舞台から交差点渡りし先…

四月の気温三十度は58年ぶりとか

四月廿二日(木)快晴。気温摂氏三十度に至る。四月の三十度は1956年以来半世紀ぶりのこととか。晩に読んだ月刊『東京人』五月號に都立大など廃しての首都大学頭狂の総長に成る西澤潤一が新構想語る提灯記事あり。出版元が都市出版株式会社といふ『外交フォ…

中村彝と富岡鉄斎

四月廿一日(水)曇。愛媛の一度もお会いしたことなき畏友S君より愛媛美術館にて開催の「中村彝の全貌」並びに富岡鉄斎の展覧会図録等贈られる。中村彝は余と郷里同じくし明治六年だか創立の小学校は同じ。小学校に薄暗き史料室あり其処に中村画伯の写真と…

四月廿日(火)旧暦三月初日にて穀雨。朝日の写真ニュースに京都醍醐寺のしだれ桜、その親桜は日本画奥村土牛の「醍醐」に描かれた名桜ながら樹齢百五十年だかで枯死まぢか、その蘇生にと住友林業筑波の研究所にてこの醍醐寺のしだれ桜のクローン苗による栽…

農歴三月初一。閏二月終って暦通りにまさに春爛漫。晴。摂氏廿七度まで上昇し凪風なく空気淀む。イラクで人質となっていた三名はイラクでの当時「とんでもないところに来てしまった」といふ気持ちよか解放され日本に戻ったところで「とんでもないところに戻…

四月十八日(日)昨日の暴雨嘘の如く晴れ渡る。気温廿四度湿度六十度と過し安し。市大會堂。昼までフィリピン映画“Gagamboy”観る。或る青年が間違って蜘蛛飲み込みスパイダーボーイに変身し、この青年と仲悪い相手はゴキブリ飲み込み悪敵となって、と超B級…

四月十七日(土)昼まで市大会堂にて韓国の金基徳監督の02年の映画『海岸線』観る。北朝鮮との国境の沿岸警備隊の物語なり。敵は北朝鮮の筈が気負った兵士が付近の漁民をば敵と勘違いし銃殺したことに端を発し気が狂い除隊させられし兵士(張東健)が警備隊…

四月十六日(金)曇。昼に灣仔。古い町並み残り節句祝言の贈答状の印刷屋多く風情ある利東街は政府の「再開発」計画にて存続の危機にあり通りの古い建物に横断幕掲げ解体反対。この通りの「靠得住」にて茘湾艇仔粥食す。まことに美味。北京の若き男娼ら描く…

四月十五日(木)曇。いいねぇ志ん朝。iPodってぇ薬籠みてぇな大きさでさ、それで何千って音曲聞ける電子機器ってぇのかね、それがあってさ、音曲ばかりぢゃつまらねぇってんで落語、これだよ、やっぱしね、江戸っ子なら粋に落語でも聞いてやろーってんで志…

四月十四日(水)気温廿六度迄上昇と天文台の予報に瞞され小雨に風強し。半袖シャツ肌寒く早晩CentralのMarks & Spencerにて厚手のシャツ購ふ。十年だか前に無印にて購ひたる同型のシャツも映画鑑賞と夏の冷房対策に草臥れ果て恰度買換えの時期も満つ。この…

四月十三日(火)曇。朝六時半起床。初更に尖沙咀。文化中心にて映画“Song for a Raggy Boy”観る。昨年の映画祭に愛蘭の少女ら収容する教会施設での修道女による少女虐待の物語ありしが今年のこれは同じ愛蘭を舞台に三十年代ダブリン郊外の同じ耶蘇の教会施…

四月十二日(月)晴。映画鑑賞連日の如し。科学館。マレーシアのドキュメンタリ“The Big Durian”観る。87年の「暴動」が主題。サルタンを長としマハティールのマレー人政権が長期にわたり君臨し華僑が経済を握るマレーの独特の社会。その構造変化の難しさ。…

四月十一日(日)快晴。尖沙咀。文化中心に往きアニメーション『冬の日』観る。人形アニメ作家の川本喜八郎氏の発案にて芭蕉の連歌「冬の日」を実力ある映像作家たちが映像作品にて連歌形式に作品にしてゆくといふオムニバス。一連の作品を陳べた後に各作家…

四月十日(土)薄曇。尖沙咀。Space Museumの演講庁にてドキュメンタリー映画“Chinese Restaurants: On the Islands”観る。香港生れでカナダに住まふ關卓中なる、この映画のドキュメンタリーの制作者は元コンピュータ技術者にて謂る中年憂鬱症にて仕事辞め映…

四月九日(金)薄曇。井落にてゲリラに三人の日本人拘束とか。じゅうぶんに予期されたこと。イスラム諸国にとって友邦たる日本は米国の側につき彼らを裏切った、とゲリラ側の主張に復す言葉もなし。自衛隊=軍でなく民間人をば捕虜とすることの効果性。朝届…

四月八日(木)晩に尖沙咀にて薮用済ませ二更に市大會堂に辷り込み山下敦弘監督『リアリズムの宿』観る。映画の自主製作する二人の若者の余りに単調な鄙びた温泉行き描き台本読んだだけでは「つまらない」内容がじゅうぶんに面白くなるのは演出の良さかと感…

四月七日(木)陰鬱なる曇。香港は牛乳が高価だが最近、蒙牛集団なる会社の製品市場に出回り味佳し。中国有数の乳製品メーカーでCMかなりキテおり印象深し。昏時記者倶楽部にて麦酒一飲し東涌線にて葵芳。葵青劇院。台湾の蔡明亮監督の映画にのみ出演続け…

四月六日(火)久が原のT君、昨日は東都より金毘羅歌舞伎に日帰り!だったそうで、T君も天婦羅蕎麦の「ヌキ」嫌いだそうな。入谷畦道の狂言でも直侍丑松の雪の別れに「天や玉子の拔きで飮むのも、しみつたれた話だから」とあり、とT君。だろう。早晩に記…

四月五日(月)晴。朝寝貪り『談志の迷宮、志ん朝の闇』の残り読む。随筆としてもここ数年に読んだ中で最佳か。昼にZ嬢とZ嬢が未だ始点から終点まで通して歩いておらず余は二週間前のMount Butler Raceにて走ったSir Cecil RideをMount Parker Rdの分岐点…

農歴閏二月中日。清明節。薄曇。アタイの仲良しの竹ちゃんが今日は昼の部で朝から舞台があるってのにきっとレコと一緒なんだろう、連休で旅行だなんて洒落込んで、そのぶんアタイがとばっちり、竹ちゃんに「富っちゃん、四日の日、朝の舞台お願いね」なんて…

四月三日(土)曇。上野は寛永寺の両大師詣御車返の櫻をば愛でた久が原のT君より報せあり。両大師は花見客の雑沓甚だしき上野公園とは通り一つ隔てただけで上野駅に出入りの鉄道の轢む音聞こえる程の静寂のはず。其処に御車返の櫻あり……と此処まではかつて…

四月二日(金)全人代常委での香港基本法「法解釈」に抗議する香港政府庁舎前での座り込みに対して警察が強圧的な排除。97年の変換前まで実は香港政庁庁舎は入り口に鉄扉すらなく24時間誰でも進入通り抜け可といふ、まさに公共空間であったものが、今では批…

四月朔日(木)大雨。昨年の四月朔日は忘れるに難き一日なり。三月からの疫禍の最中にこの日沙田居住の高校生が香港政府が香港をば疫埠に指定と網上にデマ流し香港政府これ否定し非常事態と携帯電話会社通じ疫埠指定はデマと伝言流し否定に躍起。晩には芸人…