2001-04-01から1ヶ月間の記事一覧
四月三十日(月)晝すぎより快晴、天晴れ、今年最高の摂氏31度とか。佛誕節なり。海で日がな一日たまった雑誌を貪り読んで過ごす。天皇賞ではテイエムオペラオーが快勝とか。すごい馬だ。しかしこのカナカナ表記って絶対に速そうに思えない、カタカナ表記は…
4月29日(日)ランニング倶楽部の面々と大嶼山、梅窩まで船、貝澳から芝麻湾半島の海岸線を歩き大浪湾、この辺鄙な数軒の漁民が暮らす集落にてかなり奇抜にバーを営むJoe氏なる御仁がいたがバーはすでに畳まれ、住人に尋ねれば閉じてすでに数年とのこと、Joe…
4月28日(土)沙田にて競馬、Whiteが出場停止始まり、いかに今季はWhite中心にレースを組み立てていたか痛感、White抜きでは全てが穴馬に思え勘も冴えず、それにしてもWhite不在なら7出場にて3332211と上り調子で入賞を続けたFraddも困ったもの。香港では珍…
4月27日(金)徹夜明け快活谷は祥興珈琲室にて早餐、馳名せ古典的な茶餐廰なれど客疎ら。
4月26日(木)雑事に忙殺される一日、百年ぶりかで遊び以外で徹夜するはめとなる。
4月25日(水)雨空、快活谷にいてまたわざわざ沙田まで夜競馬に行くとは我ながら呆れるが、 見習いのYT鄭君が通算54勝であと一勝にて見習い卒業、間違いなく今晩じゅうにはと思い、R2のDirtは鄭君の騎乗する游侠本色が先行、それをWhiteの勝招が直線で刺しに…
4月24日(火)曇。父親に持病あり中国のよく効く漢方ありそれを贖うよう頼まれ灣仔の中藝、Q嬢の紹介で割引を得、これまで孝行などしたこともなく、それが初めてが父のけして軽くはない病の薬とは我ながら悲しきもの。中藝などに行くと季節的にカシミアが安…
四月二十三日(月)曇。香港中文大学が愚かにもこのご時世にホテル学科創設し(創設などという言葉は勿体なく学科増産)構内に26階建て600室のホテルを企業と合弁にて経営、学生の実習に用いる、と。少なくとも香港が80年代後半の一流ホテル建造が始まる前、…
四月二十二日(日)雨。生憎の天気沙田競馬場、国際G1の女皇盃は独逸から参戦せしSilvanoがWohler騎乗にて国際rating116ながら同123の仏馬 Jim and Tonicを破り一頭、女皇盃そもそも1975年に開催され始めしQueen Elizabeth II Cup にて97年以降もその名称残…
四月二十一日(土)曇。香港一年のうち最も湿度が高く不快な日、愛猫のPHコントロールの成猫餌を購い、晝から風呂屋で按摩、数日前の新聞を拾い読みすれば劉健威氏も先日の『哈哈上海』をドキュメンタリとしての質に厳しく疑問呈し、デリカシー欠ける監督本…
四月二十日(金)曇。Runners Clubの宴会にて銅鑼湾は益新飯店、かなり呻吟して考えた料理を呈したが参加者減り飽食気味にて味覚欲鈍る。白酒君、週刊香港K君来宅、干葡萄をジンに漬けておいたのだがその葡萄の甘みが出たジンを滴らしこんだウォッカ(創作…
四月十九日(木)曇。中央アジアはキルギスタンのAktan Abdykalykov監督のBeshkempir(英題はThe Adopted Son、中題は吉爾吉斯少年行)、今回の香港映画祭の中でこれが私の最優秀映画か、この監督、かなりエロスに対して思い入れと美学があり、子どもを撮る…
四月十八日(水)雨。競馬は一年以上のスランプ脱出か、不快指数120%の快活谷にて順当に勝馬が的中、R1はDyeのRed Commander、R4はDyeの富萬家で複勝、Woodsの幻奔は11倍をきちんと複勝で押さえ、この二頭でQP、R5はHarrisonの大家旺とDyeのTop Winner、R7…
四月十七日(火)賈樟柯監督の『站台(Platform)』を観る。賈の生まれ故郷である山西省の田舎町を舞台に文革末期、共産党の宣伝音楽隊に参加していた若者たちは党のプロパガンダに従い謡い踊るが、もちろん本当に好きな音楽はポップスであったりして夜な夜…
四月十六日(月)晴。Z嬢と大嶼山は東涌から大澳まで途中空港を眺めながら発着の騒音にも気分を嘖まれながら歩く。大嶼山北側の海岸線で意外と歩きやすく三時間余にて大澳。巴士で島を縦断して梅窩。フェリーにて戻る。夕方、週刊香港連載の原稿を呻吟。香…
四月十五日(日)晴。A御大とI氏の両夫妻と藍田からウィルソントレイルに入り春の彼岸の墓参りに賑わう華人墓地と将軍澳を眺め清水湾道まで歩く。かつての国民党部落の調景嶺、陸の孤島と云われしものが今ではすっかり形跡もなく超高層マンションの建設が…
四月十四日(土)今季ドリアンを初めて食せばイースター前でなかなかの熟し具合、味はまだ浅いがこれは98年以来のドリアン当り年の予感あり。香港映画祭にて沙田の競馬を逸するがため予め馬券を買い、Z嬢と海防道街市にて徳發の牛南面と牛丸麺。太空館にて…
四月十三日(金)百年ぶりに寶雲道を走る。ドリアンアイスを食べていたので走るとドリアンのおくび、けして気持ちいいものではない。Shau Kei Wanの香港電影資料館で王家衛の『阿飛正傳』を今度こそ途中寝ないで全編見ようとZ嬢と出掛け、維多利亞公園をバ…
四月十二日(木)山口瞳の随筆はだんだんと氏の病ひがひどくなってゆく。微熱が続くとかカラダの何処其処が痛いとかそういうことだけではなくて、最後まで一度も休載せず書き続けている中で文章が、である、一読しただけでは文意が解らぬことが徐々に多くな…
四月十一日(水)曇。当る日は当る。R1でWhiteの自知之明、これは固かったがEganのSpeedy Fowardも押さえていて、単勝とQとQP、R4でSt-Martinの紅鑽石にて単勝、Coetzeeの好力と併せてQとQP、R6は2,400mながら自信をもってまたCoetzeeで鑽石群英で単勝、14…
四月十日(火)小雨。Z嬢が嗅ぎつけた砲台山の福建料理・閔江春小館(英皇道185號)、まず清炒通菜が供されたが一口食べて油が良いから美味い、続いて三杯鶏も大蒜を上手ってるが鶏が骨から滑るような軟らかさ、いい鶏だ、蒸茸豆腐も豆腐がカラリと良い具合…
四月九日(月)雹が降る。何年かに一度、春のこの不快な高温多湿の雨天に雹が降る、雹は不吉で相場まで荒れるそうな。数日前に銅鑼灣のWatheson街にあるレスリー張國榮が経営者だということで数年前に開業して話題を呈した料理屋が通りかかったら全面改装し…
四月八日(日)湿度百度の曇空。ふと最近、山口瞳の『江分利満氏の優雅なサヨナラ』を読んでいる。週刊新潮に連載していた「男性自身」の逝去直前の部分だが、連載していた頃はほんときらひな随筆だった。氏が毛嫌いする部分(その対象たる人)への悪意にも…
四月七日(土)雨。Grand Nationalである、英国の7200mの大障害レースであって、40頭の馬が出場する、中山の大障害なんて比べ物にならない過酷なレース、というわけで(もないのだが)、年に二度週末に快活谷で、ランニング関係の連中で快活谷のStable Stand…
四月六日(金)雨。T氏とMandarin Oriental HotelのChinnery Bar、久々に姿勢のいい給仕、黒服でいかにもきちんとした格式のバーで修業しましたという英国青年、グラスの扱いなど手並みは格別にいいが、カウンターの陰でバーの角に坐った私たちから見えると…
四月五日(木)清明節である、清明節といえば正月、清明、中秋、重陽……とかなり大切な節句のはずで商売も休みをとるのが習慣、さすがに今日漫ろ歩く路上にて熱気(イーヘイ)があり中環の回春堂にて涼茶を啜ろうと思えば休み、尖沙咀の海防道街市の徳發にて…
四月四日(水)つくる会の歴史教科書つひに文部省検定を通過す。こういう癪をもつ者が居るのは日本に限ったことではないが、この教科書の出版社が扶桑社つまりフジ産経グループであり、この教科書のメンタリティーは極右の癪ではなく日本の自民党的なるもの…
四月三日(火)そういえばDeep Purpleの夜、中学1年の時にPurpleを我に紹介してくれたT君、彼のことを思い出し、高校を出てBostonのバークレー音楽院だかにベース奏で留学して確か20になるかならないかの夏に一度会っただけだったのだが、ふとインターネッ…
四月二日(月)曇。新聞のテレビ欄を眺めればワイドショウで成駒屋逝去を謳うは日テレの僅か一番組のみ、殆どが倉木麻衣ちゃんの大学入学ネタ。勘三郎が亡くなった時は確かその晩か翌晩には神谷町がゲストで山川静夫が司会で「勘三郎さんを偲んで」を特番で…
四月一日(日)曇。旅行中の配達を止めていた新聞がまとまって玄関に届き、起きがけで瞭然とせぬまま何時の日の新聞かも判らぬまま一面に成駒屋の道成寺の写真、咄嗟に歌右衛門の逝去と覚醒、日を見れば本日の新聞にて逝去は三月末日に84歳、最後の舞台は平…