富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

四月十三日(日)曇。疫禍続き精神的な疲労ないとはいえず。ふと気がついたマスク着用の効用。まずバス停での排ガスに効果覿面は勿論だが大気汚染の香港ではマスクしていれば鼻のなかが汚れないほど。具体的にはどれだけ今のマスクが高性能か、といえば鼻クソが黒ずまずせいぜい灰乳色なほど。愕き。そして映画館の厳寒のなかでマスクするとかなり呼吸が温かく楽。この疫禍過ぎ去ってもマスク離せぬかも。午前、週刊香港の連載原稿呻吟。昼から映画看るのにタクシーにて中環、天星小輪で尖沙咀に渡り文化中心に赴けば上映作品異なり見たい映画は尖沙咀東の科学館と判り上映時間五分前に慌てて科学館。香港電台制作のテレビドラマ『香港香港』から81年の『江湖再見』と83年の『蒼生』、それにこの『香港香港』の前シリーズである有名な『獅子山下』の『小童老同』看る。『獅子山下』にては『小童老同』が少年の麻薬問題を取上げているように貧困であるとか社会道徳などが取上げられていたのが『江湖再見』は10代の中学生の非行と妊娠を取上げる。興味深いのは日本で3年B組金八先生での杉田かおるの妊娠が79年、マッチ髪型した若者が多い83年の香港、この妊娠したA子に友人B子が「深センに行けば堕胎が安くできる」と提案しているのも興味深い。?小平復活し四人組追放、華国鋒失脚し開放経済唱れた第十一期三中全会の開催が78年、80年に経済特区開発が決定され深センの都市化進むのだが、その三年後には中学生に深セン堕胎が話題になるこの進展ぶり。この妊娠したA子は彼と結婚して愛でたく出産するのだが半学半勤の旦那との口論の最中、夜泣きした赤ん坊うるさく泣き止まず不意に枕で赤ん坊の泣き声抑え、B子はチンピラのレコとなりのだがそのチンピラに別なナオンがいることに腹立ち二人に硫酸だか浴びせ、A子とB子が再会した場所は鑑別所。『蒼生』は80年代の香港、中国の開放経済の恩恵で経済発展著しいなか佐敦の廟街を舞台に、まだまだ生活環境苛しき貧困があることを物語る。3時より香港電台製作の別なテレビドラマシリーズで『郷曲』といふ農村描いたドラマと『Goodbye Suzie Wong』といふ映画『スージウォンの世界』の主人公・酒場の女スージーのその後の半生描いたドラマ看る。スージーは湾仔での酒場女していて麻薬に溺れ更正施設での物語、張敏儀女史プロデュースで期待したが、Suzieが余りに普通のオバサンすぎてドラマとしては面白味缺ける。銅鑼灣のSony Style訪れ、先日買ったデジカメのMemory Stick用のPCカード購う。小売業深刻な打撃といふがそごうのあるビルの16階にかなり地味に存在するはずのこのソニーの直営アンテナショップはソニーの一人勝ち象徴するかの如く盛況。帰宅して夕食。自宅にて夕食かなり久々。夜9時から湾仔詩藝にて台湾の鄭文堂監督『夢幻人生』看る。アルタイ族の男とその家族、都会の孤独な若者の物語だが93分の映画で人間関係などかなり理解できず、帰宅して調べたら『瓦旦的酒瓶』なるテレビドラマあり、これの筋を読めば(こちら)この『夢幻人生』で判り難い登場人物の関係がなるほど、と理解できるのだが、映画だけでは山の物語と都会の孤独とはわかっても、せっかくアルタイ族のミュージシャンYu Lao Yu Gan、莫子儀と呉依亭の美少年少女コンビ、それに古本屋の主人役が戴立忍といいキャスティングでも筋が漠然としすぎて活きないであろう。莫子儀は鄭文堂にとって楊徳昌監督が張震を見出して育てたような感じなのだろうか。帰宅して統一地方選挙、東京都は当然の如く石原の圧勝。さいたま市議会選挙では北区にて立候補した畏友吉田一郎君(月刊『香港通信』元編集長)惜しくも落選。石原の当選は、これだけ思想的には毀れている人でありながら実際に首長として政治が毀れている中では実際の都政改革が期待できることを期待するには石原のような輩じゃないといけない、という都民の支持。それにしてもこんなのが都知事に選ばれ、その改革に期待するしかない、のならもうかなり末期的。ただ一つだけこれは注目に値することだが歌舞伎町の有力な台湾系資本家であるとか、私の近くでも華僑で日本に帰化した友人であるとか、第三国人の一員であるはずの当然石原を激嫌しそうなのに石原支持。石原を否定することは簡単だが、では石原にかわる都知事を選べぬのだったら何もいえぬはず。都知事選に当選だけなら青島幸男でもできたわけで永六輔なら石原に勝てるかも知れぬ、が、実際に都政運営しこのひどい状況で改革をできるか、となると実務的には石原を越える「スター」は存在しないのかも。吉田一郎君は最下位ながら8議席に10人立候補し最下位当選との票差は3500と2500だかで千票さ。政党支援も資金もないのだから善戦も善戦。ちなみに彼の首長は全開の大宮市議会選挙立候補の時から、今回のさいたま市への合併、政令指定都市化のなかでの大宮存続、で彼はやっぱり大宮市民の会の会長。大宮市バーチャル亡命市役所なんてサイトもあり。
▼多摩在住のD君より米英のイラク攻撃での生々しき被害者の画像のせたサイト教えられる。これが戦争の現実。米軍の「アゴ、脚、枕付き」に参加した従軍ツアー記者の報道ぢゃなく、これを見ないといけないが目を蔽いたくなるのは事実。なぜこれが赦されるのか……戦争は平和である、というジョージ・オーウェルが『1984年』にて書いていたプロパガンダは本当だったのですね、とD君。

非典型肺炎。香港だけで4月12日現在、1,059名の感染者、死者32名、医療支出だけでHK$250Million/日(4,000万円)、164便の飛行機欠航、26,000名の旅客減、深センとの羅湖の境界を通過する客は97,500名減、10,000社が倒産の危機……これがたった一人の運んできたウイルスから災いする。
昨年末より広東省にて謎の肺炎広まる。白酢が効力あり、と酢ブーム。
2月22日 64歳の広州中山大学の感染症専門の医者が来港。結婚式参列のため。太子の京華酒店9階に宿泊。この医者がIndex Patientとなり感染拡大、7名の海外からの旅行者がこれに感染したまま離港。
2月24日 衛生署、この医者入院する廣華医院を検査。
3月4日 この医者が亡くなる。
3月6日 京華ホテルに宿泊して、その後ハノイ訪れていた米国籍中国人、香港に戻りPrince of Wales Hospitalに入院。13日に死亡。
3月8日 Prince of Wales Hospitalにて医療関係者の感染広まる。
3月11日 衛生署、この感染症について初めて正式にコメント。
3月13日 ハノイにてその感染者を診断したWHOの医者がSARSについて警告。
3月19日 非典型肺炎と思われる感染者、Prince of Wales Hospitalへの入院相次ぐ。いくつかの学校が休校措置。
3月22日 九龍地区のアモイガーデンの住民に感染者、Prince of Wales Hospitalに入院。
3月24日 Prince of Wales Hospital視察した医療管理局高官が感染。
3月25日 教育統籌局、香港の全幼稚園、小中学校の休校措置決定。
3月26日 アモイガーデンで感染増大始る。
4月1日 14歳の作製した疫埠記事がインターネットで広まりパニック。アモイガーデンの感染者、日に237名。
4月2日 WHO、香港、広東省への渡航自粛を要請。
4月3日 教育統籌局、学校の21日までの休校措置延長決定。
4月4日 英国航空カンタス航空、香港への直行便欠航決定。
4月8日 九龍のそのマンションに隣接する公共団地で30余名の感染。ゴキブリによる感染か。
4月10日 70世帯に対して14日より10日間の軟禁措置決定。アモイガーデンE座の住民、軟禁措置解かれ帰宅。ウイルスはこのマンションE座のトイレの下水で拡散と解明。
4月11日 香港の空港から出発する全ての搭乗客の体温検査開始と決定。
こうして並べると深刻な時代だが、Z嬢曰く、これだけの疫病がわずか1,000名余の感染で済んでいることは客観的に評価されるべき、と。確かに。
13日の蘋果日報、1面で大きく「國泰準備全線停飛」とキャセイパシフィック航空の飛行全面停止?、実際はそこまで至らぬものの、キャセイのCEOが社員に対して現在42%のフライトが運行中止しており19機が待機、正常運行は30%のみで通常は日に30,000名の搭乗客が現在は10,000まで減っている困難な状況を通告、毎日の損失額はUS$300万、と。これについて野村證劵の分析ではキャセイは現金がHK$130億で、負債比率は3割、かりに毎日US$300万の損益が続いても手持cashで18ヶ月となり、今後フライト削減が続き最悪の場合、全面飛行停止になっても3ヶ月猶予あり、倒産を含む深刻な経営危機には至らぬ、と。そういう内容でその見出し、どうにかしてくれ(笑)。
いずれにせよこの打撃、香港がこれまで蒙った危機のなかでは、かつてのコレラ蔓延、日本軍による香港占拠に続くほどの戦後最大になりつつあり。経済危機であるとか文革の影響受けた香港暴動、天安門事件、中英合意による香港返還などあったが、少なくとも海外からの来港者がここまで急減し市街が閑散としては第三次産業は壊滅的打撃。