富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

2001-10-01から1ヶ月間の記事一覧

十月三十一日(水)Halloweenは古代ケルト人のSamhain祭が起源にて新しい年と冬を迎えこの日の夜に死者之霊が家に返ると信じられていたものがキリスト教に取り込まれ暦といえばゴレゴリウス四世がローマ教会の祭日に加え万聖節の前夜祭として位置づけられた…

十月三十日(火)曇。世田谷のT君より歌手Hの香港版CD送りしお礼にと鈴木敦史『クラシック批評こてんぱん』(洋泉社)並びに永江朗『批評の事情』(原書房)届く。洋泉社新書かなり興味津々小浜逸郎『なぜ人を殺していけないのか』並びに玉木明『ゴシップ…

十月二十九日(月)曇。普段より憂鬱な月曜日の朝に昨日までの好天が嘘のようにどんよりと曇り未明には驟雨か。尚のこと憂鬱。週末の疲れか夕方恐ろしく暖かい牛乳珈琲飲みたくなり銅鑼湾禮頓道の星巴(Starbucks)、珈琲を飲んだら食欲湧きSharp St. Eastの…

十月二十八日(日)晴。早朝寶雲道馳す。寶雲道に入りお決まりですでに往復を終えたI君と会いT君が九龍から走りに参り30キロ(寶雲道4往復)している最中と聞きすぐさまT君と遇う。あとでI君の網上書込みみればH氏も走っていたとのこと。シーズン開幕…

十月二十七日(土)晴。昨晩回転寿司にてふと感じたる事は板前の手袋にて(かつては薄い透明のビニールの簡易的なものだったが今では手術にて執刀医が手を挿頭し看護婦が手に被せるあの粘着したゴムの手袋である)あれを見ると薄気味悪く手術だのフィストフ…

十月二十六日(金)晴。昼にH君に手渡すブツあり北角、H君と百年ぶりに適当にそのへんの日式料理屋Tに入り野菜ラーメンなるものを注文すれば湯麺かと思えば味噌スープに麺、その上に茹でただけのモヤシ、椎茸、青梗菜が盛られたもの。美味ければいいがス…

十月二十五日(木)快晴。重陽節。南岸へバスにて参ろうと中環に赴けば重陽の墓参りと日曜休でないが故に中環の楽園を得られず行き場を失ったフィリピン女中たち大挙始発バス站に長蛇の列。第一巴士のマイナー路線に運良く飛び乗る。海岸にてKazuo Ishiguro…

十月二十四日(水)快晴。競馬なき水曜は寂しきもの。ジム。

十月二十三日(火)晴。久方ぶりに中環ヱリントン街の大清清湯南にて牛腑のカレー食す。上環の九記、尖沙咀の徳發、灣仔鵝顎橋街市の恵記と並び大清は牛南の名店。九記は知らぬが恵記は回教ハラルの店にて徳發のある市場も他に比べハラルの精肉店ばかりとや…

十月二十二日(月)Starker演奏によるKodalyの無伴奏チェロ組曲、ドボルザークのチェロ協奏曲、バッハの無伴奏チェロ組曲(これで同作品4枚目か)がamazon.comより届く。早速MP-3に落したが銅鑼灣の雑踏や地下鉄の騒音にてチェロ独奏は掻消される。数日前の…

十月二十一日(日)快晴。久々に走行会の面々募つての捷歩にて朝Tsuen Wanに待合せ今回はたつての願いにて飲茶をしやうと大帽山麓の川龍の村落は端記茶樓。中秋節から清明節まで涼しい時期だけ歩くZ嬢も参加。端記は閑静とした山あいの村落の茶樓にて茶を啜…

十月二十日(土)快晴。学者と呼ぶのもおこがましき御用学者・加藤寛が『日本経済の再生は近い』とまた節操なきオベンチャラ、加藤にこれしか芸がないのは当然のこと故いちいちメクジラ立てるもおこがましき事ながらこの拙書を出版したるは勁草書房、もう少…

十月十九日(金)薄曇り。日本のR大学から香港中文大学に留学せしY君と会い日本人倶楽部がHennessy Centre屋上にて今月末まで開催のビアガーデンにて歓談す。Y君の話を聞けば真摯に某業界への就職を希望しておりその業界でお世話になっている方を参考にな…

十月十八日(木)晴。上海にてAPEC開幕近し。会場が看板にShanghai, ChinaとありChinaなる「略称」ばかりで一向にPeople's Republic od Chinaの正式「国家」名称見当たらず。人民共和国なる名称じたいがrepublicは市民人治に基づき人民共和国なる物言いは厚…

十月十七日(水)快晴。ポラロイド社倒産。デジカメ等より精緻な即席画像装置の登場と普及故か。余りの即席さと写真としての質の悪さ、そして写真がベロンと出てくる分かり易い態度が寧ろ愛嬌。それがアンディー・ウォーフォールなどによりアートとして使わ…

十月十六日(火)快晴。暴走する車の排気ガスにいつも不快に思える香港の街も北京から戻れば澄んだ大気に遠くまで摩天楼や九龍の山脈が見渡せ爽快。2002年度版のタイムシステムのリフィール届く。毎年更新される葡萄酒指南の頁は毎年この頁のみ捨てず頁を重…

十月十五日(月)晴、極めてHazy。朝遅く建国門外の秀水市場。京客隆は北京のいかりスーパーか紀之国屋というわけでU嬢お勧めの焼栗を購う。1斤14元と高級品。秀水市場にてカシミヤと云われるセーター見るが触れれば安物の混合羊毛であること明白、友誼商…

十月十四日(日)曇。北京マラソン。ハーフマラソンに参加。早朝Crowne Plaza HotelにてT氏、N夫妻、R嬢と待ちあわせ歩いて天安門前広場。この朝はマラソン関係者のみ広場への入場許され、法輪功の諸君は不在。法輪功の走者探すが見つからず。陽気な伊太…

十月十三日(土)晴。朝早くジョギング。ホテルを出て故宮に向い東華門、これより入城し堀に沿い走るといつのまにか午門に辿り着き早朝からこの数余多の観光客の奇っ怪なる走者への視線を浴びながら天安門潜り天安門前広場に放り出された感。北京飯店より王…

十月十二日(金)晴。早朝、空港快線にて空港。某ラウンジにて新聞乱読。港龍航空900便にて北京。予想以上の大気汚染と光化学スモッグ?、Hazyな空に驚きながらタクシーにて王府井は王府井飯店に投宿。某機関にて旧知のU嬢によるご手配。客房は安い煙草の臭…

十月十一日(木)晴。午前中百年ぶりに寶雲道を走り日頃の走行不足におっかなびっくり二往復16km走る。キロ当たり6分余とかなりゆっくりだが気候がいい所為もあるが呼吸も乱れず走れ安堵。そごうの旭屋にて生まれて初めて日本の競馬誌『優駿』を購う。墨魚…

十月十日(水)曇。香港賽馬中心サイトのフジヤマ館長、活力小姐夫妻、Z嬢に今朝石家庄より列車にて北京に動き航路香港に戻りしトレーダーBO氏を交え快活谷競馬場の満貫樓にて食事&競馬。8レース中3レースにてそこそこ儲かるがTだの3TだのDTだのといっ…

十月九日(火)曇。かつてH社のM氏より近未来の電脳環境としてモバイルなどなくなり各人がICカードのようなものを持ち歩いていればどの電脳や通信機器などを前に立てば自動的に電脳がそのカードからのデータを読み込み各人用の作動し始めるといった話を聞…

十月八日(月)快晴。合州国が阿富汗を爆撃す。パンドラの匣を開いた者は悪魔のテロリストなのか正義の合州国なのか。マスコミがこの報道に沸き返る中『信報』は一面2/3ほどの記事のみにて実質的社説である『林止行専欄』にては下記の如き言葉の論証とは!敬…

十月七日(日)晴。九月十二日の雪辱戦とばかりにDashing Winnerは馬主C氏のお誘いをZ嬢とともにうけ陽明山荘住人I氏に従い山荘に氏を尋ねC氏夫妻の車で沙田競馬場。馬主席にて観戦にてレース前はパドックに初めて入る。第七レース1650mのダートに登場せ…

十月六日(土)薄曇。百年ぶりに昼前寛ぐ。MDプレーヤー四年程前に購いし録音可が機種と昨年購いし携帯用の最小型保有しつつも携帯頻度は頗る低くふと路上にて二手電化製品携帯電話類買取りの看板掲げし者に現物を見せると小型はHK$100にて旧型はHK$50と。携…

十月五日(金)曇。陽明山荘I氏より頂き日本橋は銀装のカステラを食す。随分と久々の銀装、こんなに甘かったかと驚く。早天朝日新聞を眺めれば大江健三郎君が9・11について語りテロル発生にあたり二人のアメリカの知友の声を聞きたいと願ったと語り始めるは…

十月四日(木)晴。昼に太古城にて近頃評判の北方支那料理・翡翠拉麺小籠包、水餃はイマイチ、手打の麺のコシ、紅油抄手、小籠包は及第にて価格は廉、正午には満席にて流行るも納得。M君より携帯に電話あり一部上場の某K社倒産の噂ありと。午後になり其れ…

十月三日(水)快晴。夕方gymへと向えば道すがら駆友I君より電話あり大陸より戻った由happy hourの誘いありgymをいとも容易く断念し丁度Cnetralにて蘭桂坊はSchnurrbantなる独逸酒場にて落合いKonig Pilsenerを飲む。独逸の勇ましき女給がたっぷりと時間を…

十月二日(火)快晴。志ん朝逝去の報に接す。江戸の落語奇跡的に志ん生より志ん朝に遺継されしがもはやこれまで。噺家にて63才の死は余りにも若く円熟の志ん朝を聞けぬことはまことに不幸なり。もはや談志の芸風の孤立無援は孤独となりぬる。朝日に建築家・…