富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

2002-07-01から1ヶ月間の記事一覧

七月三十一日(水)曇時々雨。中環を数日ぶりに訪れ先週までは生活圏であった街でなんとなく落ち着く心地。Body Shopにて先日在庫切れであった商品受け取りB&Oにてリモコンの修理依頼するがどちらも接客の心得大したもの。ジム。引越しで外食と即席食続き今…

七月三十日(火)雨。引っ越しの雑多なる用に時間割かれ百年ぶりにジム。引っ越しにて鍛えられたかウェイトを重くしても耐える。五年ぶりかでG君と会い尖沙咀はHumphreys Aveの老舗韓国錦城飯店。佐敦のバーR。荷風日記昭和九年読む。 ▼W杯日本戦にて観客…

七月二十九日(月)70年代に建造された大規模な公共住宅団地であった北角邨が「再開発」となるにあたり住民の移住が促されすでに団地は閉鎖。北角波止場のあたりこの団地や古い上海床屋やカフエなどすでに閉業せし店の造りのみ残り、貴重な香港の都市風景に…

七月二十八日(日)晴たかと思えば驟雨を繰り返すこと度重なる。晝すぎまで荷物片づけ一先ず段ボールの類全て開封し荷物並べる。夕方まで外出せず家に留まるは数年ぶりのことなり。鍵の取り替え内装の残った工事など済ませ晩にZ嬢と北角の加藤にて寿司。赤…

七月二十七日(土)雨。島東に引越。午後より大雨となり大幅に遅れ夕方荷物搬入終了す。どうにか電脳と音響関係のみ接続し一晩だけの荷物を開封し近所の日式料理にて麺餃子の類ひ食しもう二度と行くまひと思ふ。

七月二十六日(金)薄曇。午後に黒雲立ち込め大雨となり気温少し下がりて夏には避けたき尖沙咀は海防道高架道下の冷房もなき徳發にて牛南麺。藪用済ませ二更にCaine RdよりConduit Rdまで八年余にわたり幾度上り下りせしことか中環エスカレータを上るも今晩…

七月二十五日(木)晴。夕方ジム。ウェイト少し重くする。銅鑼湾霎東街の何洪記にて馳名生腸及第粥食す。滾粥に生の腸と生レバーを加えたものにて具が新鮮でなければ「命がけ」にて信用おける粥屋に非ば食してはならぬ粥。上環生記、旺角景記、佐敦和味それ…

七月二十四日(水)晴。あまり深い話をするわけではないが何となくお互い世の中の何に関心があるのかはわかっている(であろう、と私は思っている)S嬢より突然、西東三鬼の句集(朝日文庫)を贈られる。三鬼については戦前にその句が当局より弾圧された事…

七月二十三日(火)晴。晩に銅鑼灣住人S氏と銅鑼灣Parklane HotelのバーGeorge & Co.にて一飮し百年ぶりに居酒屋一番。何ら奇を衒ふこともなき純粋なる居酒屋「でしかない」一番が寧ろ珍しく思えるは香港にて毎日一軒は開業しているであらふ日本料理屋もし…

七月二十二日(月)曇。養和医院牙科にて歯治療。科長Walter Li医師の趣味なのか待合室は書斎のように東西の書籍が並び新聞はNew York Times日曜版まで置かれ思わず昨日のNew York Times Book Reviewなど読み耽る。小学生の頃に近所の歯科医で週刊読売連載の…

七月二十一日(日)晴。午前書斎片づけ曝書。晝にかけてジム。ジムにてGatorade飲みふと懐旧せしことは初めてGatorade知るは二十年余もまえの信州白馬にて夏登山の折に同行せし中学生の小賢しき輩どもが日本にて発売されたばかりのこの粉飲料を飲み狂ふを麦…

七月二十二日(月)曇。養和医院牙科にて歯治療。科長Walter Li医師の趣味なのか待合室は書斎のように東西の書籍が並び新聞はNew York Times日曜版まで置かれ思わず昨日のNew York Times Book Reviewなど読み耽る。小学生の頃に近所の歯科医で週刊読売連載の…

七月十九日(金)曇。自動車で北角七姉妹道通れば運転手S氏かつて百福道に上る路地に美味なる大排档数件ありと物語る。大排档は屋台の小料理屋にて档(腰掛け)を店の周りに排した、なる意かと察す。大排档「非衛生的」と食物衛生なる小賢しき観念横行し政…

七月十八日(木)曇。黄昏に廟街通り抜ければまだ夜陰も漂わぬうちより街頭には娼婦と云ふにも稚き少女たち数数多企ち呆けその情景カフェー猥雑なること日に日に甚だしく遂にはカフェーより女給街頭に溢れ私娼となりし昭和七、八年の銀座の如し。往時よりこ…

七月十七日(水)雨。Rolex腕時計修理に中環Jardine HouseのRolex香港社に赴けば流石に世界に名だたる時計製造業社にて顧客服務部は何処の航空会社がラウンジかと見間違えるほどに落ち着いた気品あり坐り心地よきソファがかなり余裕ある間隔に位置し壁に広告…

七月十六日(火)雨。 ▼(東方日報)12日に日本人男性二人が偽US$100札230枚を銀行に持ち込み札が偽造と発覚し御用となる。フィリピン絡みで警察の調査によると今後US$400萬の両替を計画していた、と。犯行として特筆すべき「甘さ」少なからず。まず香港の市…

七月十五日(月)快晴。照りつける強烈なる陽射しと香港にしては70%とかなり乾きもし、日陰に入れば風もありまるで豪州パースの夏の如し。この季節香港を襲う台風は二つとも日本に向う。昼食少なくジムへの道すがら灣仔の歩道橋の下にて小販の焼売を下品に立…

七月十四日(日)快晴。昨晩『噂の真相』初めて康夫ちゃんの東京ペログリ日記最初に読まず巻頭から読み始めしかもペログリ日記を読む途中にて寝入る。おそらく初めてのこと。康夫ちゃんの知事日記としては必読なのだが首都高の非常帯に車を止めてPGだとか朝…

七月十三日(土)快晴。朝八時に寶雲道にて片道4km走る。この毎土曜朝のジョギング言出しの酒場トンズラI君ちゃんとおりペース会わせて雑談しつつ走行いただき感謝。黄泥涌道に出て黄泥涌水塘まで歩いて上り(途中まで走っていったI君と別れ)紫羅蘭山まで…

七月十二日(金)晴。美孚に晩藪用あり一年ぶりに美孚訪れ茘枝角の公営プールにて泳ぐが水は気温より生暖かく爽快さなど微塵もなし。一泳ぎすれば汗をかくほど。またプールは呈祥道に接し大気汚染甚だひどく水面に顔を出し呼吸するたびに走る大型車の排気を…

七月十一日(木)晴。今晩と明晩政府の康楽及文化署の主催にて返還五周年記念のInternational Rock Concerts……名前もダサいので興味ももたず二晩ともお座敷を入れてしまえばなんとこの出演は日本からファンキー末吉先生の(といっても先生は現在北京人だが)…

七月十日(水)晴。ContaxのG1の修理上がり牛頭角の京セラ。観塘の工場街に光化学スモッグの如き目にちかちかと太陽は黄色くウルトラセブンに現れた街のやう。馬頭圍の教育署課程発展処。ジム。ファインダーが毀れる直前にG1にて撮った写真出来上がる。試写…

七月九日(火)晴。インターネットを使った悪質なる企業宣伝は先日源吉兆庵にて発生したが(六月二十七日、二十八日の本日剩参照のこと)今日受取りしは80年代バブルの花形システム手帳大手のTime/sytemにて余は1982年よりこれを愛用せしが毎年その翌年のリ…

七月八日(月)晴。灣仔は鵝顎橋の街市を通り抜ければ香港人営むお持帰り専門の刺身屋あり店名を「お好み」といふ。リーガル香港ホテルにて「うどん用?か朱塗りのドンブリにて鱈照焼丼など前衛的な料理を供す」高級日式「朗田」(Rodaなる女の名)だの「禾…

七月七日(日)晴のち雨。西貢は北譚涌。久しぶりのトレイルにてHATの三氏北譚涌より萬宜水庫への上りより走り我も平地と下りは走りつつ歩けば百分のところ八十分ほどにて後塵を行くが暑さ猛々しく浪茄湾に至れば草臥れ西湾山を上れば熱魘ひどく普段なら軽や…

七月六日(土)曇り時々雨。酒場トンズラI君の発案にて朝八時に寶雲道にてランニング。H夫妻、T君など参加。昼にZ嬢の見立てで中環は擺花街のVincent Sumにて壁照明購ふ。ジム。夕方尖沙咀にてB君と某バーにて開店前に入れてもらい飲む。夜ケーブルテレ…

七月五日(金)晴。晩に日本人クラブのレストラン「さくら」の座敷にて伯剌西爾優勝祝賀といふことで日頃何かとお世話になりしQ嬢、I嬢、D嬢招き気分は紀文でZ嬢と会食。H嬢よりワイン差し入れあり。四年後の伊太利もしくはセネガルの優勝を願ふ。 ▼長…

七月初四日(木)快晴。Z嬢と灣仔はJohnston Rdと灣仔道のY字路にある宵夜には適した飯屋・生記飯店にて夕食。鹽局鷄、猪潤は美味。芸術中心にて"The Cup" 小喇嘛看世界盃(監督:Khyentse Norbu、2001年)を看る。印度ダラムサラに亡命せしチベット仏教の…

七月初三日(水)快晴。 ▼経済紙『信報』29周年の特集にて民主党党首・季柱銘曰く「董建華是北京傀儡」と。然れど傀儡とは「人の手先になって『その意のままに』動く者」なり。董建華君が香港の政制を破壊し続ける様北京中央が驚くほどににて「意のまま」ど…

七月初二日(火)快晴。W杯2006の予想掛け率を一晩睨み2006年の優勝をイタリアとする。これで2006年まで四年間伊太利が優勝を楽しみに死なないで生きていけると思った(……と大宰モード)。大宰といへば桜桃忌も何年も気がつきもせぬまま六月を過ごす。高校…