富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十二月十六日(月)快晴。昼までに三名の香港原居民馬狂と昨日の香港馬大活躍を話す。三名とも失礼な がら日ごろそれ程の冷馬的中なき人士ながら三名とも昨日はOpympic Expressの46倍かPrecisionの66倍のいずれか「当然、とった」と。香港馬が来ない訳なし、と自信に満ちた表情。香港の原居民らにしてみ れば香港馬の活躍で「買ってなかった」とは言えず、本日はかなり多くの虚言人士いると察す、が、彼らが買っていたら46倍も66倍の高配当のわけなし。 まぁご祝儀として事実追及はしまひ。ちなみに昨日の沙田競馬場の入場者数は55,451名(だが実際には余がI君迎えに出て再び入場したので55,450 名かも)で昨年より8%増加、と。4,436名、まぁ日本人と大陸からの中国人の増加か。東京は中野よりY君来港。尖沙咀Kimberley Rdの巷仔記に鹵水鴨でも食そうかと参るが辺りに店見つからず。電話するが電話も通じず移転か閉業か。Chatam Rdの京菜・泰豊楼に食す。鉄板羊肉、雲呑鶏、甜酸魚片、菜肉水餃など。日本よりの土産にとPhitenのチタン腕輪、首輪、岩波書店の雑誌『世界』、そ れに文庫本カバーを頂くがコンサイスなる会社の 製造発売する発泡PVCなる素材の文庫本カバーの あまりの質の高さに独り感動する。日本のこういった企業の直向な技術開発こそ世界に誇れるもの。帰宅の車中にて『世界』読む。夜も10時すぎに隣家の子の 弾くピアノの音、壁伝いに騒々しく苦情申すと、いかにも善良そうな母現われ愛想よく申し訳ないと宣い即刻ピアノの音は止む。一瞬、優しそうな母の表情だが 先々週だかピアノ練習を拒む娘に発狂したが如く怒りヒステリックに叫ぶその母の声を思い返せば、一見善良そうな市民こそキョービには狂気あり、怖い怖い。
▼十五年ぶりかで読んだ『世界』に「私はなぜ憲法を守りたいのか」という題で加藤周一大江健三郎といふ、 いかにも『世界』らしい対談あり。大江君サイードチョムスキーを紹介し(サイード政治的主張が最近知られるようになってきたが植民地主義が終わっても 帝国の文化的な帝国主義が世界を支配しようとしている(現に「されている」のだが)といふサイードの文化 論がまだ彼の政治論と結びつけて理解されていない、といふ大江君の主張には同感しつつ、大江君が思っているほどサイード政治的主張だって知られてはおら ず)そのあとかなりさかんに樋口陽一先生の憲法論を引用(樋口陽一憲法-近代知の復権へ』東大出版会)。 この近代知とは立憲主義の確立であり、ここで<8月革命>説が紹介される。これは「1945年8月のポツダム宣言受諾が革命であり戦前の連続ではない」と いう主張で、これが当時の東大法学部の学生らの主張であり、その主は若き丸山眞男であった、といふ、ほんと(^^;)って神話のような話。確かに、大江君 が紹介する樋口先生の積極的な憲法論(現憲法が「戦勝国の押しつけ」だからダメといった「自虐的」改憲論こそ間違ってい るといふ)の指摘は興味深いもので、1945年の6月に米国加州桑港にて国連憲章が作成され、その憲章には「正しい戦争がある」といふ原理 と107条に「敵国条項」もある(悪い戦争を行う日独枢軸国など成敗、無害化し軍国主義でない国とする)の だが、その二カ月後に広島、長崎に原爆が投下されて=実際に核兵器が使用されてみて本当に「正しい戦争」があるのだろうか大きな疑問が提示され、その疑問 の上に日本国憲法ができたこと=「正しい戦争」もしないといふ憲法。相手国側からの「正しい戦争」により敗戦し日本の国家体制が造り変えられることとな り、「正しい戦争」によって造られた新しい日本の憲法が「正しい戦争」も認めない点にはパラドクスもある(=押しつけ憲 法論)が、この戦後の一時期に核兵器の惨禍を目の当たりにして「正しい戦争」などないのだから戦争じたいを否定しようとした憲法が作られ た、そのプロセスが大事、だから(個人主義でるとか基本的人権の尊重がすでに「彼ら」の財産となっていたのに対して)この核戦争の結果産まれた憲法九条こ そ1946年に出来た日本国憲法の重要性というのが樋口先生の主張のはず(二度引きだがご容赦)。と、こ の樋口先生の積極的な解釈を汲めば、確かにこの憲法は財産。ただどうしても余は「大日本帝国いづれかの時点で消滅して新しい国家が成立したという「仮 構」を設定しない限り戦後の日本政府の法的正当性が保障できない法理上の概念」とはいえ「1945年8月のポツダム宣言受諾が革命」などといふ主張は理解 できず。東大法学部などといふのは戦時下の日本にあってですら軍部の厳しい管制から隔離疏外され綿々と美濃部博士以来の伝統が温存された社会にて、この対 談の相手である加藤周一氏など法学部ではないが医学部でレジスタンスどころか東大医学部が信州上田に疎開していたため、その地で中村真一郎など相手に知的 隠遁生活を送っていただけ、そのような人たちが戦後になってポツダム宣言受諾が革命、と宣うは一笑に付す。獄中死した三木清であるとか治安維持法で検挙さ れ獄中にあった宮本顕治がそう言うならまだわかるが。当時はポツダム宣言受諾=敗戦といふ決断にとって真の大事は國體=天皇制護持であり、連合国側とは水 面下にて日本が宣言受諾の場合に天皇制存続有無の可能性が質され、米国はベネディクト『菊と刀』に見られるように強い自我持つようでいて予想以上に管制に 整い易い日本民族の統合において象徴としての天皇の利用価値をすでに見抜いており天皇制存続の意向あり、それによってポツダム宣言受諾=敗戦があったので あり、つまりは國體=天皇制の護持=ポツダム宣言受諾であり、それの何処が理論上であれ革命なのか。Revolutionの意味での革命とは「従来の非支 配階級が支配階級から国家権力を奪い社会組織を急激に変化すること」(広辞苑)であるなら、國體=天皇制 の護持が懸命に図られたポツダム宣言受諾など革命に値せず。むしろ「従来の非支配者階級を解放し社会組織の変化を図りつつ、その改革実行のために國體並び に政治装置は温存し効果的に利用する」のがポツダム宣言から図られた戦後日本の経営。革命など起きなかったし、東大法学部が8月革命と思っている最中、皇 居二重橋前にて土下座する皇民多し。大江君は「戦前からある天皇制という制度」といふが、制度ではなく橋本治的な言い回しだが「天皇制に象徴されるなんだ かよくわからない、赤ん坊の安心感のような甘えと心地よさ」は戦前から戦後までポツダム宣言受諾とか敗戦など全く関係なく綿々と続いたもの。敗戦直後に 『あたらしい憲法の話』を読み、その素晴らしさに感動したのも、親兄弟家族、ご近所から天皇陛下といふ、丸抱えしたその一つの社会が「無事に」むしろ昔よ り素晴らしいものになって残った=今日もある、ということが根本、けして革命の結果などに非ず。現実は羽仁五郎君に倣っていへば「人民革命を経ていないこ とが今日の日本があらゆる問題に解決の糸口すらもてぬ最大の原因」かも。……と15年ぶりに『世界』など読みつい饒舌。
▼昨日基本法23条立法に対して主催者発表6万人規模(官憲側は12,000名と発表)の立法化反対集会並 びにデモあり。主催者側は5,000名ほどの参加を予定し、カソリック教会が反23条の祈祷集会を開催しデモの出発点となったビクトリア公園は「偶然に」 親中御用団体が開催する慶祝集会がいくつか重なりカソリック教会による祈祷の最中に親中団体が獅子舞だの銅鑼や鉦(かね)太鼓打ち鳴らしハンドマイクによ る司教の説教にも大型スピーカーより歌流すなど妨害。89年の天安門事件に続く97年返還後最大のデモ。競馬場の入場者が六万人と思えばかなりの数の市民 の世論といえる。が、香港政府に傭われる御用弁護士曰く"I know that some people are sincerely worried." で「憂慮している人もいくらかはいるが」となってしまう。これと同じのは、日本でいへば中教審による教育基本法見直し。公聴会「一日中教審」全国5カ所で の開催日程を終え「一連の公聴会では(略)計46人が意見を述べた。鳥居泰彦会長は5回を振り返って「基 本法を変えることが『五十数年前の侵略戦争の再現の引き金になるのでは』との反対意見もあったが、それが大多数だとは思わない」と総括。「むしろ学校制度 の弾力化や家庭教育の充実など、教育の改革について具体的な提言がたくさんあった」と語った、と(朝日)。こういった世論は世論にてすでにお上の方針には 逆らうなといふファシズムが罷り通るのがご時世、香港も23条立法反対は「一部の」市民の異見といふ見方、とされることは容易。アジアは解放されるどころ か「須く」シンガポール型の民主主義否定型の管理国家化に邁進する(この「須く」の用法は誤用……笑)。 かういつた政府専制が成立つのは執政者が市民による民主主義よりも優秀である徳政、賢人人治主義の場合のみであって、どう考えても日本や香港だのの愚人政 体では成立し得ず。国家が民主主義の手順に従わずこういった愚政続ける場合にそれに対抗する手段はテロに行き着かざるを得ず、それ故に愚かな政権に限って それを恐れ国家公安維持に走り反政府的な行為、言論厳しく取り締まるもの。結局、国家にとっての敵は外におらず、内なる敵に対しての弾圧こそ目的、だが、 それをすることは天安門事件にみられるように国家の信用著しく墜落する故に米国の如く終焉なく外部に敵を作り続け、それを成敗をすることにて国家が国民保 護するが如き立場を演出、そのタテマエでもってその意図に従わぬ不良分子を弾圧して国家安泰、といふわけか。「須く」野暮なり。