富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十二月二十二日(日)快晴。冬至。昨晩珍しく三時頃まで夜更かし朝寝して九時すぎに起きる。昼前に七 日のLauntau Islandのトレイルレース以来で山を走る。Mount Parkerの峠まで30分歩いて登り淺水湾まで40分。大譚の水塘より淺水湾峠までの快適な引水路に鉄柵設ける工事進む。引水路とはいえわずか二尺ほど にて僅かにハイキングなどが通るばかりの山道に「安全のため」鉄柵など設ける香港「赤字」政府土木署の作為理解できず。「安全のため」なら23条立法取り 止めよ。冬至とはいへ日向におればけして汗ばむほどではないが陽が肌を刺すほど。ひとけのない海にて沢村貞子『貝のうた』新潮文庫読む。沢村貞子が芝居家 に生まれ学問好きから左翼演劇に入り特高の取調べと革命思想で結ばれたはずの夫の裏切りから運動から遠ざかり東宝の性格派女優として売出し終戦までの回想 録。沢村貞子といえば余には小津の 『秋日和』(60年)での佐分利信の妻役が印象的。最も見てみたいのは山本嘉次郎監督で黒沢明が助監督の『馬』(41 年)。懐かしい名前であるが小沢栄太郎東野英治郎東山千栄子といった俳優たちもかつての 左翼演劇分子。沢村貞子が綴る通り結局は自由と平等のための左翼運動が党利党略のための組織と化した点に問題あり、けして国家による治安維持のための弾圧 による崩壊に非ず。さすがに帰路は走る元気もなく『貝のうた』読みつつバスにて赤柱で乗換えを待っているとZ嬢より携帯に電話あり有馬記念の中 継NHKでやっているが録画するか、と。録画頼み馬券買ってはいないが一番人気のファインモーションは来ないでシンボリクリスエスですよ、と言って Shau Kei Wan経由にて帰宅したら「ほんと馬券買わないと当るねぇ」とZ嬢。タップダンスシチーファインモーションが交互にハナとなり3角でタップダンスシチー が逃げ切るようでいて直線に入ると完全に脚が乱れ減速、そこにペリエシンボリクリスエスが見事な差し。単勝370円は堅すぎたにせよ馬単シンボリより総 流しして20,630円とれていたら快感だろうなぁ。夕方銅鑼湾。聖誕節祝ふ異教徒の数余多。街に流れる聖誕曲で「もろびとこぞりてしゅはきませり」と邦 訳の歌詞過るがキョービの若い人に「諸人挙りて主は来ませり」といふ美しき文語の歌詞は解るものかと思ふ。IKEAにて照明器具購いQuarry Bayの竹源越南餐廰にて食し帰宅。シナ人が家族団欒の冬至と異教徒でも聖誕節重なり親族など「挙る」者多し。近所より発狂したかの如く騒ぐ家族の奇声聞 えどいて何が「聖夜」か冬の静けさが支配する冬至なのかと思ふ。伝統もなにもなし。ただ消費活動の一環として踊らされるばかり。
▼一昨日に吉事あり。Mark-6が JackpotにてHK$4,600万だか特賞金嵩み携帯にて投注しようとしたら携帯に残る投注一つあり。はて何かしら?と見たら水曜日の競馬最終レース 馬券購入したつもりが最終確定しておらず、結局外れたのでHK$100得した気分。馬券外れ馬券買ってないことを喜ぶとはこれほど悲しき競馬はなし。
▼雑誌『世界』にて福岡「愛国心」通知表について季博盛(リパクソン)弁 護士(在日本朝鮮人人権協会会員)の文章読む。それにしても小学6年の社会科の通知表の評価に
・我が国の歴史や伝統を大切にし国を愛する心情をもつとともに、平和を願う世界の中の日本人としての自覚を もとうとする。
・我が国の歴史や政治、国際理解に関する社会的事象をより広い視野から考える。
・我が国の歴史や政治、我が国と関係の深い国の生活や国際社会における我が国の役割を理解している。
という「観点」が並ぶのだが、たかが小学6年の小僧に何を期待するのか。この評価項目がかなりマヅい点は、 初等教育という公教育の場にあって国籍だの民族だのといった制約なく平等に基本教育がなされるべき場にあって在日、外国籍児童への配慮なきことはまず許さ れる問題。更にかりに小6でかなり考察力豊かな子がいて日本の歴史や伝統も理解し郷土としての日本を愛し世界平和を願うがゆえに思考の結果<国家という装 置としての日本>に反感を覚え、この子に反日的言動があったとした場合、結局のところいわゆる知力なき者が群衆幻想として抱いているにすぎぬ愛国心なるも のはこの子に希薄とされたら、この子の評価は悪くなってしまう、といふ、それくらいこの評価観点は教育の評価基準としては愚劣なものなのである。福岡市の 校長会は教育者として何故にさういふことが理解できぬのか。しかも、この「観点」一読すればわかる通り(日本国憲法前文 にも優るとも劣らぬ……汗)係り結びが不明瞭のかなり拙い日本語。具体的にいえば「我が国の歴史や伝統を大切にし」「国を愛する心情をも つ」なのか「我が国の歴史や伝統を大切にして且つ国を愛する」「心情をもつ」なのか、「平和を願う」のは世界なのか「世界の中の日本人」なのか、なぜ国を 愛する心情は「もつ」が平和を願う日本人としての自覚は「もつ」じゃなくて「もとうとする」なのか、歴史や政治は社会的事象のなのか、我が国と関係の深い 国についてはその国の生活の理解だけでいいのか、また「我が国と関係の深い国の生活の理解」となぜ「国際社会での我が国の役割の理解」が一文で並列される のか。この程度の日本語しか書けずに「我が国の伝統を大切に」とは笑止千万。このような日本語に疑問も抱かぬ福岡市の校長会の知力の低さはどうにかならぬ ものか。マトモな日本語もかけぬ学校長、できることといえば教育委員会への諂ひばかり。歴史というのは無批判に「大切にするもの」に非ず「歴史から学ぶこ と」が大切、伝統は残る価値のあるものが淘汰のなか生き残るものであり、包括的に見た世界のなかでの「我が国」の理解が大切なのであり「我が国」のみの歴 史だの政治(日本の政治の何処に学ぶ価値があろうか?)などの理解は無意味、世界を理解するには関係が深 かろうが浅かろうが「国家」などという範疇で区分されたものでなく各地域の総体的相対的な理解が必要なのである。せせこましく「我が国」だの日本人だのと いう「些細なもの」に無理に価値を与え理解に努めようとするは野暮。季弁護士の調査を読み知ったあまりに浅薄は事実は、結局のところこの通知表の福岡市で の普及、じつは思想的なことよりもこの校長会(任意団体)のなかの公簿等研究委員会には福岡市より研究補 助費が支出され通常の通知表の印刷は各校負担にもかかわらず、この校長会作成の通知表使うと印刷費が福岡市から別途支給される、ということ。この「愛国」 通知表使えば印刷費が浮く、という、思想的などころか結局その程度のレベルでこうした愛国教育がなされるという真に馬鹿馬鹿しくも、それ故に更に嗤えぬ 話。
▼先週日曜の基本法23条立法化反対集会デモに対して本日は政府御用団体が23条立法推進決起集会開催。驚 くはその参加者確保にて親親派の福建中学など校長名で保護者宛に社会理解のため子女との参加促し元培僑中学校長にて教育署総発展主任に招聘されている葉某 も公職でありながら培僑中学にてこの支持集会への参加を扇動。晩の報道を見ると結局主催者発表で4万人。かなりの大多数が親中派団体による招集なのだろ う、参加者が質されてもおらぬのにカメラに向って「自分の意思で参加した」だの宣い舞台でも「みんな自発的に23条立法を支持している〜!」とシュプレヒ コール(笑)。昼に走っていてRepuls Bayにて御用政党民建聯の「没有国家、没有我家」(国家がなかったら私の家もない)という横断幕あり。世界でも稀な共産主義国家の御用政党なのだからエ ンゲレスの『国家、家族、私有財産の起源』くらい読むべきでは? 国家はなくても家族制度は早くからあり。家族制度が発展して権力装置となり国家装置へと 「発展」する。集会では国家の安全が自分たちの安全、などと叫んでいるが国家にこれまでどれだけ瞞され不幸を授けられ中国から逃げて香港に生を求め今更ま た瞞されようといふのか。不幸極まりなし。