富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十二月十八日(水)曇。自宅にてハッピーバレーの競馬テレビ観戦。三週続けて競馬場に行かず。ことに 今晩は実力差のない馬が張合いとてもテレビ観戦では馬が見えず小額だが赤字。フジキセキを父にもつThe Archiever一番人気の3.2倍だかで5着、本調子には遠い霍達の初騎乗も原因だろうが初戦から5戦2冠3負と安定せず。
▼人気映画俳優の梁朝 偉主演した『英雄』なる映画の宣伝にと"B International"なる雑誌にて「天安門事件の際に自分はデモに参加しなかった、なぜなら中国政府は正しかった……人々のために善かれと安定を 維持したのだから」と発言。香港の人々にとって痛手として残る六四に対して人気俳優のこの北京政府正当化発言がかなり話題に。しかも基本法23条が争点と なっている敏感な時のこの発言、わざわざ芸人がこの時期に?とは尋常でなし。一瞬、今後の芸人活動の基盤を党に依存する作戦か?とも思うが、それにしても 充分人気実力ともにある俳優であり人気稼業でこの発言はかなり異常。よくよく記事を見ると『英雄』といふこの映画について梁朝偉は、この主人公が「泰の国 王を殺すため刺客として遣られ、この国王が暴君ではあるものの唯一その時代に天下統一できる人物であり、この刺客は恋人や友人の願いも裏切りこの泰の国王 を殺せず……のちにこの泰の国王が六国を平定し中原を築き以来平和に」という筋を紹介。そこで暴政と思えても大局的に見れば平和を維持するような権力もあ り、とその例として、実はインタビューでも「例として挙げれば」に続き前述の言及となる。つまり正確に読めば中国政府は暴力的であったり非民主的である、 が大局的に見れば現状で中国の安定を維持するためには……といふ芸人にあってかなり究極的な域での思慮。けして諸手を挙げて中国政府に媚びたわけでもな く、寧ろ中国政府には非難も感じられるのだが、でもこうした中国政府必要悪という考え方もあるが、それはそれとして天安門事件は政府が自国民を弾圧した事 件として反感をかったわけで「中国政府が正しいからデモに参加しない」は極端すぎるし反感かって当然か。ただただマスコミはこの「中国政府正当化」ばかり を揶揄。きちんと発言の全容を取上げれば「まだ」反感も少なかろうが芸人という立場で野暮なマスコミ相手、いずれにせよマスコミの餌食。天安門事件のあと 世界的に中国政府への非難が高まった時に登β小平が「一党独裁や非民主的な点など中国政府が非難されるが現状ではこうして中国の安定維持をしなければ香港 とて東アジアとて巻き込む混乱が起きる」というような言及をしていたが、実は中国政府を非難する者(我も?)も 実はその圧政により自らの保全がなされている、というパラドクス。
▼月本さんが日記にて余が数日前に綴った キャセイ機での日本人日本旅券にてスッチーを叩きし事件を取上げていた。富柏村を畏友と紹介されこそばゆい思ひ。まだ三、四度しか月本夫妻にはお会いして いないが本当に畏友として感覚にて物語れる御仁。月本氏、この旅券事件について曰く「日本人であるということをもっとじんわっっりっくりと、体に染み入る ように考えたいと思うなあ。それはもちろん日本語を使う人々だ、という一点からはじまるのだ。しずかに体のなかから聞こえてくるものを意識化していきたい と思う」と。御意。余はこの日剩にて「わが国」をかなり罵倒しその「国民」のあまりの腑甲斐なさ、不見識を罵りもするが、弁明に非ず、日本にも美しきもの あり。それは日本語といふ言葉にあり、思考であり振る舞いであり、ただ自然に風土として醸し出されるもの。アイデンティティを体言することが菊の紋章の旅 券で他者を叩くことではどうしようもあるまひ。ノーベル賞の田中氏など日本のさういふ自然体のよき例か、とふと思ふ。
▼築地H君より十六日に言及せし八月革命説について指摘あり。これは法理上の学説であり要するに「国体は変 更された」ということを法律上にどのように位置づけるか、というような議論であったか、と。つまり東大法学部に象徴される法学界においては「大日本帝国」 がいづれかの時点で消滅して新しい国家が成立したという「仮構」を設定しない限り戦後の日本政府の法的正当性が保障できない、というような話であったよう な、とH君。ポツダム宣言受諾によって大日本帝国は国家主権を連合国に委任し国家としては存在をやめた、ということか。確かにポツダム宣言受諾というのは 大日本帝国政府の公式な決定なので法的正当性の根拠にはなろう。が、現実には衆議院とか戦前からずっと続いているわけだし政府も瓦解せず政府解釈としては 「革命」などない、国体は護持される。いずれにせよ本来、レジスタンスして戦後日本を建設すべき勢力が「ポツダム宣言受諾によって国体は変更された、とい うことにしておこう」という程度の認識で終わってしまい、ただ明るい未来、新国家建設を夢見ていただけで、実際に本当の革命など失敗し(というか何もして おらず)、これが今日に至った、と。結局、天皇に象徴される綿々と続く國體(実は明治の頃に創生された幻想なのだが)は維持され戦犯とて軍人以外は将来的 に復帰し首相にまでなり、国家は表面的には敗北したものの無粋な軍部だけが除去され結果的には「勝った」輩も多し。米国に足を向けて寝るわけにはいかず。 その米国の半世紀後のこの世界平和のための軍事行動、当然参与すべき、か。
▼H君も全教の教研集会全体会開催断念について岐阜の自治体「右翼が騒がしいので集会は許可しない」とする ことは「集会の自由」を冒したのは右翼ではなく自分たちといふことに気づかぬか、と。「面倒に巻き込まれたくない」くらいしか考えらぬのだろうが、この会 場使用許可取消しは行政処分であり「巻き込まれてる」ではなく市なり県なりはもう当事者。明確な違憲行為。行政体として許されまじ。むしろその集会の思想 信条にかかわらず会場提供、どんな圧力にも負けぬ姿勢を貫くべきであり、そこでかりにその自治体に被害あれば堂々とその損害賠償をして加害者の罪を追及す べし。
▼H君より伊丹万作の、今度の戦争ではみんなが軍部に騙されていたという、事実そうかもしれない、が騙され ていた、といって済ましている奴は次ぎもまた騙されるだろう、騙されたなら騙されたことについての責任をとらねばならない、というような文章のあることを 教えられる。そう、こうして責任もとらず、かといってまた騙されないための得策も図らず、では騙されるばかりであるし責任の転嫁はできず。