富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十二月三一日(火)薄曇。朝、摂氏九度。第十甫路まで散歩して陶陶居にて早茶。陶陶居は清末の1880年開 業にて葡萄居といふ原名だったものを「樂也陶陶」の意より陶陶居と。巴金や魯迅先生も茶一服。かつては白雲山九龍泉水を用いてこれを炭火でことことと沸か す。数年前に幸福樓なる飲食企業に買収されかなりエグくはなったが四階まで爆満。支払いをめぐり今にも殴り合いになるのでは、といふほど興奮して従業員と 遣り合う客の喧騒もあり。地下鉄の黄沙站の近くの寝具屋に上質の蕎麦殻あり枕を作るべく蕎麦殻購う。窃盗犯らしき男、警察と私服の公安か非番の軍人らしき 者に追われ被捕される。路上にて堪忍したのか踞る男、逃げも反抗もせぬのに警官ら警棒で殴る、蹴るの、ありゃ必要以上の暴行。法治いぜんの岡っ引き社会の 現実垣間見る。清平路にて落花生もきれいで1斤購ふ。沙面西端に位置する米国総領事館前は公安による「テロ防備」厳重、付近には査証移民業の代理店少なか らずビザ申請などの人々群がる。昼前に一旦ホテルに戻る。CCTV10見る。英語普及狙った専門局だがNHKのビジネス英会話の如きnegativeな 「間違えないで英語を話そう」というような番組なく、ただただ「英語での」番組を流し米国の生活や文化、アメリカ流ビジネス理解など皆無、全ての英語に中 文の字幕がつき音楽ビデオは英語の字幕。英語という言語が自己を自由にし将来有効な手段であるこの国においてはこの局の放送を辺境の地にて毎日眺め英語学 習する者がいる。日本が見習うには必然性の環境も異なれば今更遅きことでもあり。昼すぎにチェックアウト済ませ珠江沿いを散歩、広州児童図書館前より「人 渡」といふと恐いが渡船にて初めて海珠に渡る。的士で広州四大酒家の一つ、前進路にある南園酒家。早茶も昼餉も終わり下午茶Afternoon Teaは14時半からで40分もあり、と中途半端な時間、周囲は茶を飲みつつ日がな下午茶の始まる時間を待つ客たち、のんびりした午後、下午茶まで待つ時 間もなくこの時間に出来るものといへば葱油餅に皮蛋痩肉粥くらいで仕方なくそれを頼むと餅も粥も美味い、マジに美味なものを食べさせていただいたと感激し ていたら14時半の下午茶の時間となり椰子タルト、菓子餅、ついでに亀苓膏まで食す。バスで人民公園前、ここが既存の地下鉄1号線と一昨日開業した2号線 の乗換站、乗降客多いわけで1号線のホームは車両両側にホームあり両方開くというのは良案。地下鉄で黄沙、歩いてホテルに戻り荷物携えホテルの送迎バスで 広州東站。東站のある天河区の発展凄まじいものあり。広州にかぎらず北京、上海もそうだがインフラ整備の困難な旧市街が置き去りにされたまま郊外に新都市 建設著しく、旧市街には開発の見込みもない最悪に近い老朽化した環境が残る。清平街市あたりの泥だらけの地面で豚の臓物を刻み血が汚水に混じり流れてゆく 生活と新都市の高級マンションでの快適な生活、この貧富の差の拡大は共産主義中国の現実。T819列車で香港戻り。一等(普 通)よりHK$40高い特等車は1、2席配列でおしぼり、「香港の」新聞(官報の大公報と文匯報、売れてないHK Standardは当然として中国政府に毅然とした態度を維持する信報まで搭載)、おかわり自由の珈琲、お茶と至れり尽くせりでお得。車内に子連れの家族 数組、子どもはキチガイのように騒ぐが親は一切怒らぬどころか母親の喧騒も凄まじくただ黙っている父親。列車では、而も特等車ではどういう風にすることが マナーであるのか教えるのが親でないか。ただ叱るのではなく、面白い話を聞かせるとか美味しいデザートを食べさせるとか。アタシが子どもの頃は祖母の歌舞 伎見物につきあわされた芝居帰りの車中、そうやって祖母は「ああ、やっぱりグリーン車って楽だねぇ」と。親も野暮なら、こうして躾もされぬまま育った野蛮 な子どもが大きくなると思うと末恐ろし。帰宅して読んだ週刊読書人に信州大の山本哲士教授が今月二日に逝去したイバン・イリイチ追悼の一文を寄せている。 イリイチのことなどカソリック教徒のクロアチア人の父親と敬虔なユダヤ人教徒の母親の下にウィーンで生まれナチス人種法に追われバチカンで神学を学びバチ カンと決裂し……という生涯を自分が何も知らなかったと痛感。山本教授のこの文章、読んでいてイチイリの様々な姿が映像であたまに現われるほど秀逸なるも のながら、ここに綴ればほぼ全てを書き写さねばならぬ。もう一つ週刊読書人に痛快なる一文あり。作家の森巣博氏が姜尚中氏と対談した『ナショナリズムの克 服』集英社新書について自ら紹介文を書いているのだがご本人の「チューサン階級的頭脳」では理解できぬことが日本には多いそうで、例として挙げるのは、曽 我ひとみさんの夫・ジェンキンスさんの「日本への帰国」問題とか(森巣氏は「アメリカ国家の徴兵を忌避して北朝鮮に逃れ た」とあるがこれはで在韓米軍に所属していたのだから徴兵忌避としたのは森巣氏の誤りか)、中国残留孤児の「来日」とかマスメディアによる こうした言語誘導が罷り通り国民の思考能力が著しく低下、と森巣氏。低レベルなのはマスメディアが先か国民が先かわからぬが、森巣氏続けて「日本のメディ アは仏ルペン、墺太利ハイダー、豪州ハンソン、和蘭のフォルティン等を「極右」と指定するのに何故「中国人犯罪者民族的DNA論」を展開する石原慎太郎に 対して「極右」と形容しないのか」と。御意。この『ナショナリズムの克服』発売十七日で五刷6万部と売れ行き好調だそうである。日本にもこの本が売れるほ どの理性の土壌があったのか、と驚きつつ、もしかするとナショナリズム復興に躍起となっている人たちが反面材料として読んでいるのでは?という気もしない でもなし。二日も広州で中華三昧、あっさりと蕎麦でも茹でて食べようかと思ったらこれぢゃ年越し蕎麦かと思ったら、ちょうど十年もまじまじと見たこともな きNHK紅白歌合戦が今年はCable-TVのNHK World Premiumで流れており、年老いた所為か突然子どもの頃の大晦日を思い出す。大晦日は稼業忙しく手伝いをしつつ手が空けば正月用の注連飾りを買ってこ いだの、売掛けのままになっている集金をしてこいだのと、親が店を閉めて片づけなどしていると紅白も始まる頃。蕎麦屋の最後の最後の出前で蕎麦をとり慌て て蕎麦をかっ込んだもの。それが高度経済成長の頃とは異なり年々景気も大晦日のそんな活気も失せ始め、紅白が始まる頃には自宅で家族団欒となり、紅白など 見たくないと裏番組を見ていたら帰宅した父が紅白を見なければ年が終わらぬようなことを言い、見ないと言ったら珍しく父が激怒し余は部屋に閉じこもったこ ともあり。当時の紅白は視聴率70数%という時代、みんなが紅白を見ていることをうすら恐ろしく思った次第。それ以来、紅白というものをまじまじと見たこ ともなし。紅白にて「今年はいろいろ苦しいこと悲しいこともありましたが来年こそは」と願っても何も真摯に改革も変革もしておらぬのだから来年が変わろう はずがなし。和田勉が紅白ほどひどい番組はないと豪語していたが(といふか年末の紙面で紅白について自分に語らせた朝日 新聞こそ下らない、とも揶揄)演歌とか楯の会の制服かと見間違う衣装の谷村新司「昴」歌う姿とか下らない曲の合間の掛け合いの応援合 戦……。十数年前、余が彼の局の音芸部にMプロヂューサーの恩恵で仕事いただき出入りしていた折、隣の島が紅白担当部署はもうまるで日本の芸能の全てを牛 耳っているノリ、「ああ、この人たちが『あの』諸悪の根源なのだ」と感じ入ったもの。そんなことを考えながらテレビの紅白を見れば五木ひろしが「おふくろ の子守唄」とか唄ってみんなで北朝鮮拉致被害者の劇的な帰国を思い出している。僅か数カ月の滞在で強ばっていた表情が次第に活き活きとして将軍様のバッチ 外し日本に居残りたいという表明をしたことは事実、だけど何が「国民の」共感を呼んでいるかといえば「やっぱり日本は素晴らしい」と久々に思えたことへの 安堵感に他ならぬ。赤が勝とうが白が勝とうがどうでもよし。Smapの中居君の音痴で不景気の鬼が退散でもするならいいが。新之助君、来年の大河ドラマ武 蔵の出演で審査員席に居るが成田屋で彼ほどの格であれば紅白の審査員などするよか成田山の寺奥で元旦の日の出まで法要し日の出とともに参拝者の目前に現わ れ睨んでみせるとか真言密教で加持祈祷するとか、さういふことができないものか。紅白の審査員で毒にも薬にもならぬコメントなどしてくれても風邪も治ら ず。日本の最もマヅい点はこうして年の暮れで勝手に禊ぎしてしまふこと。それで年が明ければまた新たな気持ちで、などと。結局こうして何も変わらぬままた だ年月ばかりが過ぎてゆく。
▼あれだけ商売盛んな中国において本屋のみは相変わらず少ない。新聞はほぼ官報であり雑誌規制も厳しく書籍 はかつては新華書店、現在は大都市には「書城」なる大型書店。書城の存在は出版と読書文化の隆盛のようでいて書籍販売を束ねる役割あり。表現手段としての 出版と放送を国家が抑えるわけだが、その点からいってインターネットなるものは中国のような一党独裁の管理国家にとって最も扱いづらき存在。北京での半年 前だかのインターネットカフェの火災を契機に建物の安全管理を口実とした網琲店規制徹底した結果か市内にインターネットカフェ見当たらず。家庭での Broadbandなど普及も未だならず。
▼中国のピアノの貴公子・李雲迪、テレビの紹介にで語るに目標とする音楽家カラヤンと。芸術性ばかりでな くビジネスとしての音楽を確立したことが尊敬に値する、と。正論ではあるがショパンコンクールで優勝して数年の若手のピアニストが語ることか、もっと技量 に精進が先ではないか。どうであれあと一年流行るかどうかが限界、今のうちに言いたいことを言っておくことも可。
▼昨晩SCMPにて日本を憂ふ記事読む。まずSean CurtinといふGlocom Platformなる東京のシンクタンクの研究員、日本の人口推移、2005年に127.5mにてピークを迎え2050年には104.9m(1億人)にまで減少、ただし可労人口は87.2mから57.1mまで減少し当然65歳以上の老人人口が18.3m から33.3mにまで増加し人口の31.8%が65歳以上という高齢化社会となることから、必然的に就労移民を受け入れないことには日本の産業社会、また 経済が維持できないことは明白なのだが、今もって移民を受け入れ難い環境、と。このままでは日本の衰退は明白。次にFumiko Mori Halloranなるホノルル在住のライターが日本人の英語下手を非実用的な英語教育より述べる。英語を学ぶことがアメリカの文化と生活の理解のような文 化体系に問題あり、と。19世紀このかた西欧の外国語学ぶことが外国に追いつけ追い越せで、また外国語が浸透することが日本文化の衰退と感じられるような 風土にも問題あり、と。確かに英国の教育方針に「逞しい英国人の育成」や「英国の文化や伝統の理解」などといふのは聞いたこともないしオランダやスウェー デンで愛国心が教育の指針といふのも知らず。カナダの高校生用の日本でいふ公民の教科書を見ればカナダ現代史のなかでカナダ政府の外交判断であるとか外交 折衝の失敗も含めた成果の事例事細かく紹介され学生はそれを自らが見て外交政治のノウハウとカナダ政府の理念と現実を知ることになる。最初から漠然と「愛 国心」などと宣ひ事例としてでも日本政府の外交の甲乙など紹介できぬ日本の程度低き教育とは根本的に異なり、いずれが実際の学習の意義があるかは明白。最 後に富士ゼロックス会長であり経済同友会代表のYotaro Kobayashi氏が小泉改革が掛け声ばかりで実態を伴わぬことに叱咤……とこのような厳しい日本に対する指摘が日本の新聞でなく海外の新聞でされてい ることの現実。海外が理解したところで(といふか理解できているのだが)日本ぢたいに何ら現実の理解なし。
朝日新聞に勤務する畏友より年の瀬の30日、山手教会で営まれた松井やより記者の葬儀に参列と報せあり。 松井女史の尊父が護憲、人権問題の集会などで会場ともなる山手教会創設の牧師でもともと一家は山手教会で寝起きしていたといふことをこの畏友より教えられ る。その御両親がまだご健在。畏友曰く、松井さんはこれだけの仕事をした人だから夭折というわけでもないし志半ばとはいえ「本望」といえるかもしれないが 90過ぎて娘を看取るというのもつらきこと、と。