富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十二月五日(木)壬午十一月初二日。朝起きれば世界は一面の濃霧。春三月の如き高温多湿。週刊読書人 に『家畜人ヤプー』を漫画化する江川達也の対談(宮台先生が相手)ありこの石森章太郎以来の漫画の『ヤプー』読む前に江川達也がどんな作家であるのか知ら ず、ふと銅鑼湾の古本屋に立寄れば『Bee Free!』十二巻セットでありHK$235にて購ひ帰宅してカレーなど食しつつ早速読み始める。昭和60年当時モーニングコミック連載といふがふだん週 刊漫画読まぬため連載すら当時知らず。NHKで日本の文化紹介みたいな、どうでもいい数分の「つなぎ番組」見ていたら結婚式のご祝儀などに結ぶ「水引」が テーマにて水引は「千年の昔から日本人が培ってきた人を思いやる心」と宣ふ。水引は確かに文化の域に達した紐結びであるのは事実、だがそれを日本人だから 培われた思いやりといったような結びにする。こんなのみて番茶など飲みながら「そうよね、こういった文化は他にはないのよね」といったことにふと和んでし まふ、その安易さがすごく不快。『Bee Free!』続けて読む。
▼マル=ウォルドロン、ブリュッセルにて死去(76)。18年ほど前に仙台のライブハウスにてこの孤高のピ アニストの小さなコンサートあり禅の僧の如き虚無感。ビリー=ホリディの最晩年の伴奏者、彼女の歌うLeft Aloneその後これの歌える歌手に巡り合えずふとジャッキー=マクレインがサクスで吹いて、これがヒットしたのだけれど、あまりにこの「レフトアローン のマル=ウォルドロン」となりすぎた感あり。その弔報の横に小さくイバン=イリイチブレーメンにて死去(76)、脱学校の社会など唱えやはり80年代前 半には反管理教育などで朝日ジャーナルなどでよく取上げられた思想家。いわゆる管理教育といった徹底した生徒の人権無視のような教育は当時心配されたほど その後徹底されなかったが「組合の自爆」による文部省と教育委員会のやりたい放題の時代を迎え日の丸と君が代の普及だけが評価され国民の知力を下げる指導 要領の改訂だの教育基本法の改訂など時代は終焉を迎える。その横に防衛大職員が大麻所持・栽培にて逮捕、「自宅内で乾燥大麻約7.1gを所持していた」の を現行犯逮捕とはガサ入れも徹底しているが「裏庭に置いた植木鉢などで6月から12月3日までに大麻草6本を栽培した疑い」って、どうしてここまでわかる の?って。
▼南華早報の報道によると香港での珈琲豆消費量92年に年間388屯だったものが今年は1,200屯に上る そうな。確かにホテルの味も香りもなき珈琲か、珈琲専門店といへば銅鑼灣に一軒、もしくはそごうの地下のポッカコーヒーしかなかった香港も最近は星巴はじめエスプレッソなどかなり広まる。また不動産価格の低落も街角に カフェ出現をもたらす。星巴は香港にてわずか三年にて33軒と好調ながら、と紹介されるは唯一不振なるマカオの星巴。マカオといへば長くポルトガル領にて 珈琲も馴染み街には支那化したカフェも多し。そのマカオに星巴乗り込んだがやはり値段は倍以上でセルフサービスといふ点がマカオにて受入れられず閑散、 と。星巴はファーストフードかゆっくりした時間を売るか微妙なところだがマカオのこれは美談。……と考察始めるとファーストフードとスローフードの境界線はどこか?が難しい。例えば新宿の「つな八」で あるとか鉄板焼きの「ぼてぢゅう」であるとかとんかつの和幸であるとか。画一化されたメニュー、その簡素さなどかぎりなくファーストフードに近いのだが一 応は老舗然。
▼南華早報といえば一昨日だか香港土着の印度人末裔の少女(15)が香港特別行政区のパスポー ト申請したところ受理されはしたもののNationalityにChineseと記載された、といふ記事あり。何を根拠にか、といえば香港特区の 旅券申請資格に You are eligible to apply for a Hong Kong Special Administrative Region (HKSAR) passport if you are a Chinese citizen holding a permanent identity card of the Region and have the right of abode (ROA) in the HKSAR. とあり、ではこのChinese citizenとは何かというと突然、中国の国籍法になってしまう のだが、この国籍法第2条にてThe People's Republic of China is a unitary multinational state; persons belonging to any of the nationalities in China shall have Chinese nationality.とあり、ここではこのChineseは支那人の意味ではなく中国公民ととらえるべき。それ故、この少女のChineseなる記載 もあくまでNationalityであり民族を問うものに非ず。だがどうしてもChineseと書かれるとつい支那人を想像するはNaionalityと Race(民族)の不明朗なところにて、日本国籍をもつ場合に在日韓国人とてJapaneseと書かねばならず。それにしてもこの場合、旅券であるのだか ら敢てNationalityという記載も不要な気もするが、それを敢て記載するところもNationalismか。