富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十二月二十三日(月)晴。昨晩よりこの富柏村サヒトのserverであるvirtualave.netつながり悪く本日は終日ほぼつながらず。 日頃米国の覇権主義など非難しておりながらちゃっかりserverは米国のを利用するとは余も卑怯。それにしても外部からの攻撃多いのかつながらぬこと頻 繁にて今後のことを考えるとこの富柏村サヒトのserverの米国依存も再検討すべき。Repulse Bayを歩くと浜辺の一角に「寺」あり。コテコテの装飾施した道教の寺と思われており日本人始め団体観光客盛んに訪れるが実は獅子會(Lions Club)の寄進による拯溺會(水難救助会)の会堂にて確かに水難祈願の塔だの像だのあるが寺に非ず。た だしRepulse Bayという観光名所ゆえ「寺」とされ参拝する者多し。厳密には海に突き出た天后像が造りこそ新しいが天后を祀る宗教建築。此処を抜けようとしたら各界名 士寄進した水難祈願の像に90年代のバブル謳歌し昨年だかに倒産した銅鑼湾の新同楽魚翅酒家寄贈による「一翅同行」なる碑を発見する。「一翅同行」とは聞 えがいいが魚翅(鱶鰭ふかひれ)など喰っていたらサメに喰われて水難に遭ったが如き新同楽なり。姜尚中ナショナリズム』(岩波書店)読む。夕方Happy Valleyの山の手、低層高級マンション並ぶ一角より何処かで見たことのある年の頃は三十のそこそこ精悍な若者、坂を下りてくる。はて何処の誰かと思え ば先日亡くなった歌手・羅文の「助手」の阿東。癌の末期症状である羅文を渾身的に介護する阿東の様がマスコミに流れ羅文は阿東を財産相続人にまでしたが、 ふと思えばこのマンションこそ羅文の生前の住み処。阿東は其処で亡師を偲び霊を供養しつつお住まいか。美談。昼を食さず夕方に湾仔のQ麥にて坦々麺。『ナ ショナリズム』読了し夜は田中康夫『一炊の夢』(扶桑社)少し読む。扶桑社の本読むはおそらく初めてかも しれない。康夫ちゃんの本が扶桑社ということぢたい奇異だがこれは同社の週刊SPAの連載纏めたものである故。
姜尚中ナショナリズム』(岩波書店)。広義のナショナ リズムといふより日本の「国体」について。つくづく日本の「国体」とは立派なものであると思う。遡っても本居宣長である国体は明治期に醸成され1945年 までに和辻哲郎をして「集団意思が神聖な天皇を作ったのであって(略)国民の全体意思が天皇の意思となる ことこそ天皇の本質的意義」とまで言わしめるほどに成熟する。それを超克するには丸山眞男なのだろうけどあらためて「(1945 年の敗戦による)八・一五革命の巨大な転換をテコに「配給された革命」を主体的は変革へと転化させんとする丸山の並々ならぬ意気込み」(姜)というが、やはり「配給された革命」など有り得ないのあり、この段階で戦後日本の行く末に実は負荷あり。いず れにせよこの姜の本を読んで思ったことは、我が国の民を魅了する不可思議な力をもつこの国体なるもの、象徴的な意味で我が国の伝統の神髄のようなものだ が、あらためて考えてみればそもそも江戸中期までこんなもの存在していなかった、のであり、宣長の時に「からごころ」を捨て純粋な日本という国の髄に戻ろ うとしたことじたい、日本の国体の前提として消去すること不可能な相対的な「からごころ」があり。自然に生まれた風土思想に非ず、かなり屈折したアイデン ティティと言わざるを得ず。だから寧ろ大日本帝国にとって国体は教育勅語、軍人勅語を通じてあそこまで徹底して国がメンテナンスしないと維持できなかった ものなのであり、敗戦でも知識人の多くがあそこまで国体の呪縛にもがいた、ってわけか。で半世紀以上経った今でも亡霊の如く国体が日本の空を遊ぶ。姜が実 にいい指摘をしているのだが、戦後は国体を喪失したと認識している江藤淳がもし「新しい歴史教科書」だのに見られる「少なくても「近代」の奥に潜む深い寂 寥感など解さないあっけらかんとした歴史修正主義」を振りかざす「皇国の息子たち」が跋扈する(小林よしのり、とかね)の を見たら江藤はどう思うか、と。御意。「裁かれるべき「真の戦争責任者」が「近代文明」にほかならない」なんて江藤の主張を読むと江藤淳はきちんと読んで みないといけない、と思う。この本に愛国心について実に興味深き清水幾太郎の引用あり。長くなるが引用すると
昭和十七年十二月、私は南方から日本へ向ふ輸送船に乗つていた。六日の早朝であつたらうか、甲板にへ出てみ ると、目の前に陸地が迫つている。霞みに包まれた山々、潜水艦の荒れ狂ふ海を怯えた眼で眺め続けて来た吾々の前に、突然この山々が現はれたのである。誰か が叫ぶ。「九州だ、長崎の辺りだ」。漸く私は生きて再び日本の土地を見ることができたのである。私はこの長崎の山に抱きつきたくなつた。恐らく私の仲間は みな同じ気持であつたに違ひない。みな黙つて山々を見つめている。
……とここまでは実に「自然な」帰還者(清水)の手記である。が、清水が腐っても正直なのは、これに続く記 述である。
だが、この長崎の山々といふものを、私は生まれて初めて見るのである。懐しい日本、と言ひながら、この山々 は私にとつて見覚えのあるものではない。見覚えのないもの、初めて見るもの、それを私たちは抱きつきたい思ひで、撫でさすりたい思ひで眺めている。自分が 直接に接触したことのない土地や人間、さういふものと自分との間に何か特別の結びつきがあるやうに思はれ、懐かしいといふ感情に駆り立てられるのは、私た ちが幼時から受けて来た教育の力によつてであらう。
……と分析した。明晰。だがここで清水らしさが出る。
教育が、私と長崎の山々との間に特別な関係のあることを教へてくれたのであつて、もし自然のままに放置され ていたら、私は長崎の山々を見ても、決して特殊の感情を抱かなかつたであらう。
……と。清水は自分が長崎の山々に特別な感情を持てるように「教えてくれた」ことを有難がっている。だが、 そのそも本人と長崎の山々に特殊な関係などない。敢えて特殊な関係がある、とすれば、それは本来関係ないのに日本という国家にあるということで自分(国 民)とその山々には関係があるのだよ、とされた「特殊な」関係だけである。自分が子どもの頃から見慣れた故郷の風土としての山々に特別の感情を抱くのは自 然だが、見たこともない風景も「国家」という範疇であるだけの理由で「教えられた」から懐かしくなったにすぎず。清水はこの文章を「国家への結びつきとい ふものには、必ず何処かに人為的接着剤が働いている。ただ自然の傾向だけによるものではないのである」と社会学者らしく分析しているが、だから人為的だか ら悪い、とは言わない。いずれにせよ国家主義にとって教育が、ことに義務教育がどれだけ重要であるか、またその教育によって培われるものが自然ではなく人 為的な<地政>であることがよくわかる。
▼昨晩読んでいた『東京人』の「文士の食べ歩き」という特集で沢村貞子もあり。ふと思ったのは沢村貞子が学 校の生徒だった場合、彼女は日本の公教育が期待する意味では愛国心にも乏しく、反権力的で、日の丸も揚げなければ君が代も歌うまい。つまり福岡の「愛国 心」評価では沢村貞子など評価できないのである。しかし彼女の場合芝居家に生まれ育ち殊に東京(とうけい)の 下町の文化であるとか着物の粋な着付けであるとか誰よりも優れている。それがあの教科書の基準では評価できない。沢村貞子が評価できない、ということは正 当に日本の伝統など客観評価できてないといふことだね。