富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

ドソノ『夜のみだらな鳥』

農暦二月晦日。曇。やつとのことドソノ『夜のみだらな鳥』読了。

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読み始めたのは陽暦三月九日。遅読といふより物語の時系列や登場人物の変容、会話の中での主格のいつの間にやらの交替に遉がについてゆけず頁を戻つてはの繰り返し。二段組で四百頁超への長編だが物語の舞台と時間の大まかな全容つかめるのは半分ほど読んだあたり。ラテン文学ではガルシア=マルケスの『百年の孤独』でさうした変貌の世界には慣れてゐるつもりが、この『夜の』ではそれどころではない空間と物語の四次元的組み替へが当たり前のやうに繰り返される。主人公からして富豪のドン=ヘロニモに使へるウンベルトは雇ひ主の畸形に生まれた息子を幽閉する施設の管理者となるが自らも臓器摘出され不具となりヘロニモが別に所有する修道院ではムディートと呼ばれる唖の使用人で、さらに犬になつたり修道院に囲はれる薄汚ひ老女の一人となつたり、物語の語り手でうぃて語られる登場人物となり……それだけでもついてゆくのがやつと。筒井康隆氏をして「読んでいるうちにだんだん気が変になってくる」と言わしめたのだから。これが現代小説の最高峰だとすると、このあとに文学は存在しえるのか、といふ疑問すら生じてしまふ。

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