富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

令和

農暦二月廿六日。曇。出先に向かふ地下鉄のなかで日本が東アジアで唯一維持する年号が一ヶ月後の天皇代替はりで新しく「令和」になると速報を須磨帆で識る。普段、年号を使ふ習慣なき迂生には他人事。かといつて耶蘇の西暦使ふことも嬉しくないのだが。この令和が、これまでの元号が全て秦那の古典に依拠なのがはじめて国書で万葉集から、の報道。晋三も「それぞれの花を大きく咲かせる時代になつてほしい」と……唯一の安堵は新元号が「安晋」にならなかつたこと。新元号の一億総白痴に空かさず畏友・久が原T君が「嘉辰令月」と決まり文句あるやうに令月は通常語で特段の出典要せず、と。

未知のお方の丁寧なまとめが至便ゆえ引用させて頂く。『万葉集』を原拠としたいのなら感覚的理由で紹介し、その大元『礼記』を思想的理由で挙げたら両説相兼、実に立派な出典説明になっただろう。勘申者にはその智慧があったと思うが、政権がこれを自儘な思い入れで歪曲するから高説転じて妄説となる。

アタシは調べ物で香港大学の図書館にゐたが『禮記』で検索かけると、三歩歩いた書架にあり、これも何の偶然か。

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確かに『辞海』と『康熙字典』開いても「令」の字から何かしら「ほゝう」といふ納得も無し。


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図書館で舒國治の著作を漁る。

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台北小吃札記』と『宜蘭一瞥』の二冊さつと目を通すがやはり惹きつけられる筆致ゆゑ、平凡なネタでも読ませられる。

NHKの午後七時のニュース見てみれば陋巷の民草は新元号発表に老人は感涙に咽び……これは「また次の時代まで生きた」といふ感慨はわかるところ皆して「温かみを感じる」だの「平和になりさう」だの喜び……これは敗戦でレジスタンスもなきまゝ「新しい時代の到来」歓んだ心境と同じだが普段は新聞など読みもせぬのに号外を乱れ取り合ひ……これはいつもの中国人のマナーの悪さ以上に酷いぢゃないか。それにしても万葉集から、といふが梅花詠む歌の「初春の令月にして気淑しく風和らぎ」といふ序文の平文に過ぎず。これを元号決定に関はつた識者が「日本の風土に即した……」って令月愛でるのは朝鮮も秦那も希臘からシェークスピアまで一緒で万葉集すら原本は漢文で書かれてゐるのだから。官邸に呼ばれた林真理子は「日本人としての誇りを大切にしていきたい」と。だうであれ「初めて国書からの元号」は無理ありすぎ。NHKのNW9に晋三出演で「元号制定の舞台裏」なんてネタにニヤ/\と。NHKといへば天皇退位のスクープ流し2年前の夏には聖上御自らの退位に関する表明を流し今回の天皇退位で働きあつたわけで天皇退位に否定的であつた政府であるから今回、新元号決定の晩に晋三出演は晋三の手柄にヨイショでいゝ手打ちのやうなものか。テレビでは全国の「令和さん」取り上げられる。アタシ的には早大憲法学の川岸令和教授を挙げたい。


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令和の時代こそ平成の聖上の願ひ=立憲主義が新天皇とともに定着しますやうに。

山田孝男(風知草)「乱政」改めざれば… - 毎日新聞 https://t.co/DKjmlSihmv

もっともだが、永遠に栄える幸福など求めるべくもない。新時代の精神を挙げるとすれば、天皇、皇后両陛下が平成時代を通じて体現されてきた、<喜びも悲しみも他と分かち合う>という感覚だろう。虐待やひきこもりは、広い意味の政治問題ではあるが、「安倍政権のおごりの反映」でも「悪夢の民主党政権の遺産」でもない。長い間に形成された社会のひずみであり、社会全体で改めねばなるまい。世代交代の宿命か、近代以降、改元後の日本は不安定だった。明治は内戦。大正は政変、汚職。昭和は恐慌、テロ、戦争。平成も汚職、政変。しばしば大地震津波を伴った。「平成後」も胸騒ぎがする。新元号に浮かれてばかりはいられない。

晩に舒國治『台北游藝』読む。著者の青春時代だつた七十年代の台湾。私たちは国府蒋介石の末期から蒋経国がこれを襲ふこの時期の台湾、美麗島事件が1979年であるから、その後の民主化となる前のこの時期の台湾をほとんど何も知らない。日本から男連中が台湾に「視察」なんて聞くと「あら、お好きだこと」と今ではすつかり健全化された北投温泉を想像する程度。その時代の台湾をで舒國治はかう回憶する。

我所看到的七十年代是一個很台灣的年代欲一點也不本土所謂台灣乃在它的己逐漸離開四十五十年的半日據半聞南半外省所綜合遺留之平寧質撲風貌又已經歴了六十年的的欣欣向榮追求富裕的繁華衝刺……

戦後、国府入台で政治ばかりか経済、文化まで大陸化に圧倒された台湾は土着風土との二重構造で、それが1960年代の経済成長を経て、それまでのシステムが末期的に変化を欲してゐた時期。アタシの印象では閑かな文体ので舒國治がとんでもないビートの饒舌で七十年代の台湾を語る一冊。これほど欧米の音楽や映画などが流入してゐたとは。それがあつての八十年代からの台湾映画の勃興も頷けるところ。

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