富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

農暦三月初七

農暦三月初七。曇。よく紳士たるもの気遣ふのは身体の先っぽ、つまり頭、手指と脚先で具体的には帽子、爪と靴の手入れなのだとかいはれる。けして流行の最先端のものを着飾つたり気取つたりせずとも、きちんとしたものを手入れしてゐることが大切と。アタシにとつてはトラヤ帽子店の帽子があつて靴はリーガル靴店で十分。爪ばかりは自ずと生えてくるのを暇なときに手入れしていれば良い。

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陋宅の浴室温水水道管工事終はる。T師傳は実に仕事は丁寧で称賛に値す。毎日午前十時から正午、午後二時から四時と作業は日に四時間で計九日かかつたが。早晩に湾仔鵝頸橋。健康食品拉麺店にてO氏と鶏モツ鍋つゝき芋焼酎四合飲む。

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健康食品拉麺の入るC C Wuビルにあったオタク商店。この何だか知らないがMARVELといふディズニー映画キャラの全身大、着用プレイ可能のこれHKD43,800(62.4万円)で誰かやっぱり買ひたい人はゐるのかね

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Tonnochy Rd, Wanchaiにあるゴミ屋敷ならぬゴミ商店だが求めれば何でも必要な資材とか出てきそう。こういふ「入店困難な店」って大好き。

二更に銅鑼湾のバーSでジャックダニエル飲む。三更に入る時分に帰途につくと天気予報通りだつたが突然の雨。陋宅に戻ることに大雨。

萩本欽一さん「両陛下は恩人」 母が涙し、認めてくれた:朝日新聞デジタル
元記事は平成終末で「両陛下ありがとう」の記事だが萩本欽一のコメントより。

ITや携帯電話とか優れたものができるたびに笑いやコントのネタがどんどん無くなっていった気がします。テレビをITが追い越してしまったからテレビがつまらなくなってしまったとも思うんです。でも、それって分かるのね。だんだんみんなテレビ見なくなってきちゃったし。
発展や進歩って幸せのためになってるかというと違うような気がします。そういうことを思わせたのが平成という時代だった。豊かさが一番の幸せというわけでもないんですね。昭和はテレビの前に家族がみんなそろっていて、幸せな時代だったと思います。

アタシは街頭テレビで力道山の空手チョップの時代よりは遅く生まれながらに茶の間にテレビはあつたが正にカラーテレビ登場が幼い頃の記憶。カラーテレビを早々にゲットしたのは新し物好きの母方の祖母でカラーテレビの他、家業が駅前食堂だつたから冷凍庫つきの冷蔵庫も電子レンジも彼女は発売になると高額の家電をすぐに入手。祖母は松下電器贔屓。カラーテレビを買ふと「伊東へ行くならハトヤ」で一泊旅行が漏れなく賞品で祖母が連れていつてくれたがハトヤで温泉に入つたあとにスマートボールがありアタシに遊ばせるはずなのに祖母があまりに上手で「戦時中から終戦後、食料難で伯父さん*1が「玉突き」の店をやつてゐて、それを手伝つてゐたからね」と祖母。ハトヤで一泊した翌日、厚木だかどこかにあつた松下電器の工場見学が楽しかつた。アタシの家でも暫くして東芝のカラーテレビが茶の間に据ゑられ最初にカラーで見た番組がおそらく六世歌右衛門だと思ふが道成寺だつた記憶。それから「テレビっ子」で育ち中学の頃は高価なソニーの「ジャッカル」といふテレカセもお年玉稼ぎ入手して自室でテレビ見てゐた、いはゆる昭和のテレビっ子世代。それが高校の頃からテレビをあまり見ないやうになり大学の時はアパートの部屋にテレビがないことで随分と珍しがられたが昔の白黒のテレヴィジョンを粗大ごみから拾ひ、それを1990年に日本を出るまで骨董趣味の部屋に置いて荒れた画面でときどきテレビを見る程度。香港に来てもテレビは面白くなくテレビとは距離を置いてゐたが昨年、ネットで日本のテレビがストリーミングで見放題となり時々は暇つぶしにテレビを見るやうにはなつたが、もはや昭和のあの頃のやうな家族団欒の茶の間の一番上座にテレビが据ゑられみんなで同じ番組を見て大笑ひしてゐたやうな「テレビが全て」の時代は萩本欽一氏のいふ通り、昔のこと。さういへば家族の団欒=テレビも大晦日に紅白が始まつてからやつと帰宅できた父が年末=紅白なのにアタシがコント55号の「紅白をぶっとばせ」だつたか裏番組を見てゐて、紅白を見るのだとかなり叱られたことを、ふと思ひ出した。と思ふと欽ちゃんも昭和のあの時代にテレビの中でアンチテーゼを突きつけてゐたことになる。その後の素人起用だつて萩本欽一。欽ちゃんはテレビの黄金時代を懐かしむがITどころかテレビやラジオで素人が気軽に参加して玄人裸足で脚光浴びる時代に先鞭をつけたのが萩本欽一であり感慨も一入であらう。

*1:やゝこしいがアタシの父母が、この祖母の伯父の家に夫婦養子なのでアタシのこの家の祖父は母方の曽祖母の兄で祖母の伯父さんにあたる