富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

ベトナム姐ちゃん

農暦三月十三日。先週金曜からずつと雨模様続いたが久々に晴。数日前から朝日新聞デジタル版を久しぶりにネットビューワーで購読開始。定期購読は毎日新聞にしてゐるがJALマイレージが中途半端にあり、これはAeonでの食材購入でAeon CardがJALと提携してゐて加算されたポイントだが、飛行機は同じOne WorldでもCXなのでJALのマイルは殆ど貯まらない。6,000ポイントなんてホテル1泊にもならず、そこで朝日新聞の2ヶ月購読があつたので、それの利用。まぁAeonで買ひ物して新聞が読めるならお得だが。燈刻にFCCにて早酒独酌。新潮文庫『百年の名作』第6巻1964〜73年読了。

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川端康成「片腕」 康成の変態性の極み。
大江健三郎「空の怪物アグイー」 やはり大江はアタシはダメ。
司馬遼太郎「倉敷の若旦那」 司馬遼の世界で食傷感。
和田誠「おさる日記」 秀逸なる短編。お見事。◎
木山捷平(1904〜1968)「軽石」☆
野坂昭如ベトナム姐ちゃん」 さすがの饒舌。◎
小松左京「くだんのはは」 SF作家の印象強いが左に非ず。◎
陳舜臣「幻の百花双瞳」☆
池波正太郎「お千代」 そんな善人がいるか……悲しいほど。
古山高麗雄(1920〜2002)「蟻の自由」☆
安岡章太郎「球の行方」 国語の教科書に載りそうな少年時代の回想で。
野呂邦暢(1937〜1980)「鳥たちの河口」 私はかういふ風景小説苦手。☆
☆印はこの作家の作品は短編とはいへ初めて読む。

少年のころ僕は、家の庭を這っていた蟻を一匹つかまえて、目薬の瓶に入れて、学校に持って行って放したことがあるのです。そして僕は、蟻の、おそらく蟻にとっては気が遠くなるほどの長い旅を空想しました。
今の僕は、あの蟻に似ているような気がするのです。
兵隊と慰安婦の出会いなど、蟻と蟻との出会いほどにしか感じられないのだ。また、僕と小峯(同じ部隊で戦死)との結びつきにしても、たまたま同じ目薬の瓶に封じ込まれた二匹の蟻のようなものではありませんか。

 これは古山の「蟻の自由」より書き抜きだが、かういふのを名文といふのであらう。そして野坂の、この第6巻の書名にもなつてゐる「ベトナム姐ちゃん」である。冒頭から

占う気持はてんからなく、ただ、「アイスメルシャンプー、アイスメルシャンプー」と酔ったあげくにわめきたて、泣きじゃくっていたジュニアの、膝まくらのままようやく寝入ったらしく、その所在なさに、机の一輪ざしの、埃まみれの造化の花弁、一つ一つむしりとり、むしるうち思いがけず、「スキ、キライ、スキ、キライ」拍子とるように口をついてでる。やはり弥栄子も女の子、とおい昔、野の花にあてもない想いたくした記憶が、少年そのままのジュニアの表情に、よみがえったのか。

 ……まったくシチュエーションがよくわからない。たゞ野坂らしい江戸の戯本のやうなリズムの饒舌が心地よい。部隊は横須賀の米軍基地近くで弥栄子は場末のバーのホステスでベトナム帰りの米兵に無料で身を捧げる女、ジュニアはベトナム帰りで気のおかしくなつた米兵

真白き富士のベトナム姐ちゃん、おチンチンの行列、隊伍を組んで、かえってらっしゃい、ゴッドセーブザおチンチン、苔のむすまでおチンチン、ヘーイカモン!

 のなんて寂しい響き。その世界に浸りながら、さういへば去年まで「小説は苦手」といつてゐたわりに今年に入り小説をずいぶんと読むやうになつたが(それだけ書庫には多くの小説本が積んであるのだが)それを読んで一杯HK$50の、けして美味くはないが昨日のDr Fernなる酒場の1/5ほどの値段だからいゝのだがドライマティーニをちび/\と飲んでゐると昏刻はFCCの慣例でバーカウンターの客にだけ小皿にカナッペ供される。アタシの右隣には白ワイン飲みながら黙々とMacBook Proで書き物してゐる御仁ありカナッペは一皿に2つあつたがアタシは一つで結構なので一つ頬張つて小皿をその御仁のほうに「良かったら」と回すと「あ、もう食べたんですよ」でアタシはそれに気づゐていなかつた。

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先ほどから何を熱心にメモされてたので?と尋ねられ日本の戦後小説の短編名作集読んだので読後感をメモしてゐたと答へたが社交場であるバーでもアタシはまず他人に声かけることもないし誰彼と視線合へば微笑んで返す程度で酔客に声かけられても必要最小限の会話で済ますのだが、この御仁はお互い独酌で何かしながらちび/\と安酒に酔ふクチで御仁も寡黙な性格のやうだがぽつ/\と四方山話。相手はアタシが日本人なのはわかつてゐたが、ふともしかして?と思ひ「お国はどちら?」と尋ねるとドイツ。やはり。アタシは何故か独逸人とは相性が好い。Bといふこの方は水上スポーツが好きでRoyal HK Yacht ClubとHK Country Clubのメンバーなので、そちらに行く機会のほうが多いが香港に35年も暮らしFCCはやつと数年前にAssociate Memberで、やつと会員になれたといふ。記者倶楽部なのでジャーナリストだと入会も用意だが、といはれ、さういへばアタシは昔とつた杵柄で多少無理やりだつたがジャーナリストメンバーなのだつたと改めて気付く。帰宅して水曜晩はHappy Valleyの競馬。R1で5番人気の馬で単勝的中で幸先好かつたが、さういふ日は必ずダメに陥るものでR4では12頭だてで12番の最低人気、単勝167倍の馬が来てしまふやうな晩ではダメで元々。

The problem of Catholic narratives that can’t find synthesis, of “liberal” and “conservative” takes that feed angrily off one another, of popes and former popes as symbols grasped by partisans, is not the problem of the sex abuse crisis. It is simply the problem of Roman Catholicism in this age — an age in which the church mirrors the polarization of Western culture, rather than offering an integrated alternative.

The church has always depended on synthesis and integration. That has been part of its genius, a reason for all its unexpected resurrections and regenerations. Faith and reason, Athens and Jerusalem, the aesthetic and the ascetic, the mystical and the philosophical — even the crucifix itself, two infinite lines converging and combining.

Notre-Dame de Paris is a monument to a particularly triumphant moment of Catholic synthesis — the culture of the high Middle Ages, a renaissance before the Renaissance, at once Roman and Germanic but both transformed by Christianity, a new hybrid civilization embodied in the cathedral’s brooding, complicated, gorgeous sprawl.