富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

吉右衛門 の検索結果:

吉右衛門〈熊谷陣屋〉

…監督のものがあり初代吉右衛門の見事な直実を今でも見ることができるのだが映像フィルムの画像の粗さもむしろ良さもある。この映像を改めて見たが初代吉右衛門も大したものだが何といつても大成駒(当時は芝翫Ⅵ)の相模の物凄さ。当時はまだ三十二、三でもうすでにあの大女形にしかない型ができてしまつてゐるのだから。初代吉右衛門を思ふと、さっと見た目では初代の雰囲気など当代仁左衛門丈の方がそれ風で播磨屋の芝居の濃度は舞台でこその濃度であつて高解析のデジタル映像向きではない。それでも音声の良さは今…

スガが中止求めても東京五輪は開催されるとIOC

…する自治体多いなか水府は茨城ロボッツのB1昇格で祝賀パレードだとはあばからべっそん! *1:本間龍「祝賀資本主義のグロテスクな象徴」『世界』6月号 *2:「五輪スポンサーに雁首揃える大新聞6社に『開催賛成か』直撃」NEWSポストセブン5月22日号 *3:長井暁「NHKと政治と世論誘導」『世界』6月号 *4:ルビが多いのでデジタル版のテキストで読むのは難儀、やはり縦書きで紙面レイアウトが良い *5:当代勘九郎の祖父・勘三郎XVIIは歌六Ⅲの三男。兄に初代吉右衛門と時蔵Ⅲがゐる。

日暮里の師匠

…を見てゐても六代目と吉右衛門を見てゐないことが何れだけ口惜しいか。落語でその残念を感じるのは、文楽や三木助がすでに他界してゐて何よりも残念なのは「志ん生を生で聞いてゐない」こと。黒門町の師匠や三木助は録音でも楽しめるのだが志ん生だけは寄席での空気から志ん生なので、それを体感したかつた。小沢昭一とか山藤章二、森繁、若手ではジャズサックスの中村誠一さんとかが志ん生を語るのを聞いて本当に浦山しいかぎり。 さういふ「志ん生ロス」のアタシにとつては(前置きがこゝまで長くなつたが)このN…

直実と直侍

「香港商人が中国各地をビジネスで容易に往来できるのに最も困難は帰港」と大公報が香港市役所を叱る。香港政府が内地との往来を制限してゐることへの不満。「国内」なのだから中央政府の防疫基準に従へば良いわけである。地方は中央政府に隷属すべきは民主集中制として当然。台湾密航を祖国海警に捕まり内地から香港に戻され収監されてゐる反政府運動家につき若きリーダー格(李宇軒)が刑務所で公安警察の厳しい尋問受けてゐると蘋果日報。 常磐線では筑波山系の低い山並みに山桜が美しい。それに対して市街地では…

播磨屋〈須磨浦〉

…承してきたのが二代目吉右衛門といふ役者。疫禍でさま/\なものを失つてゐるなか、この〈須磨浦〉は疫禍がなければ現れなかつた播磨屋渾身の芝居であり、疫禍どれだけ疲弊してゐてもかうした見事な芝居を見ることでアタシたちは少しでも「ありがたみ」を感じ入ることになる。湛君といふ古典劇の評論者がかぎられた時間で余すことなく播磨屋のこの芝居の凄さを語つてくれたことは播磨屋の芝居もさることながら本当に聞いてゐて清々しくすら思ふほど。吉右衛門丈ご本人もきつと、この番組をご覧になるのだらうが湛君か…

池波正太郎『又五郎の春秋』

…父の初代又五郎は初代吉右衛門と従兄弟。父が若く亡くなり吉右衛門が又五郎を実子のやうに可愛がり育て、又五郎は実子を歌舞伎の役者にしなかつたかはりに三宅坂の養成所で多くの役者を育て、池波先生はその稽古場で又五郎の指導に熱い視線を送つた。その稽古場に又五郎が山田先生を連れてきてベルちゃんも真剣に若い役者の卵の稽古を眺めてゐたといふ。東宝歌舞伎のことなど貴重な記録。又五郎は幸四郎Ⅷが倅二人(染五郎と吉右衛門)を連れて東宝に移籍したから自分もそれに従つた形になつたが実際には自分の意思で…

仁左衛門〈女殺油地獄〉

…ない。歌六Ⅲから時蔵Ⅲには繋がるのだが、その時蔵Ⅲの兄が吉右衛門で弟が中村屋だといふのがピンとこない。先々代の幸四郎Ⅷと哲明勘三郎XVIIIが従兄弟といふことになるのだから。この歌六Ⅲからの家系は播磨屋で、だから吉右衛門が播磨屋なわけだが戦後、時蔵Ⅲの息子の錦之介が萬屋で銀幕のスターとなり当時、この家が挙つて萬屋となつたわけだが播磨屋は平成になつて又五郎丈逝去で吉右衛門(当代)一人となつてゐたところ当代の歌六Ⅴと歌昇の兄弟が萬屋から播磨屋に復帰で、これもまたやゝこしいところ。

農暦十二月十八日

…箇所である。おそらく吉右衛門丈もそういうお気持ちで、ここを演じておいでではないかと勝手に想像した。「演じる」と書いたが、吉右衛門丈の境地となると役を「生きる」とした方が適切であろう。義太夫節でも「語らずして語る」という禅問答の様な教えが有るが、眼前現れている〽世にも因果な」がそれなのだと思う。吉右衛門丈の細胞が由良之助の細胞になっている…。晩年の延若丈は一度も平舞台へ降りずに勤めたと聞くが、吉右衛門丈は体調万全ではない中を極力型を変えずいろいろな工夫をなさって勤め上げられた。…

農暦十月初五

…で「孤高の芸境にある吉右衛門が近代歌舞伎の極北を示す」「花も味もある仁左衛門の六助が豊麗な名演」と褒める。せめてこれを読んで見たつもりに。 ▼文藝春秋12月号で石原慎太郎の「三島由紀夫の『滑稽な肉体信仰』」を読む。もう少し深く三島の思想性に立ち入つたものかとも期待したが三島の運動神経がいかに鈍く見た目だけのものだつたかとか、それもあつて三島がどれだけおかしくなつていつたか、三島につき康成が何う言つてゐたか佐藤A作が鎌倉の別荘で自分を相手に何を語つたか、といふ話。同じ号で平野啓…

播磨屋〈引窓〉

…で歌六からすると初代吉右衛門は祖父・時蔵Ⅲの兄ゆゑ。歌六の息子が米吉Ⅴとなるが米吉の名は初代が(当代歌六の)曽祖父・歌六Ⅲで二代目が時蔵Ⅲ、それを継いで三代目米吉が(吉右衛門、時蔵Ⅲの弟)勘三郎ⅩⅦとなり、この当代歌六がそれを襲つたもの。その米吉君の歌六Ⅴ襲名披露を山川静夫があれは良かつたと褒めるのは昭和56年11月の歌舞伎座の〈一条大蔵卿〉。この大役のワキは勘解由役を勘三郎が務めるとなつたことで当時の大幹部が揃ひ鬼次郎に仁左衛門ⅩⅢ、常盤御前に大成駒、そして鳴瀬*1に我童Ⅹ…

農暦七月十七日

…禍で四部入替制。初代吉右衛門が昭和29年に亡くなり命日が九月五日で九月は播磨屋の俳名で秀山祭。秀山祭の始まりは意外と最近で平成16年、吉右衛門の生誕120周年に当たる年から。 昔に比べると歌舞伎で役者が揃はないとはいふけど播磨屋は別格で大和屋と澤瀉屋は異星人としておいても梅玉はこのまゝ枯れゝば一寸橘屋のやうだし錦之助も萬屋らしく文楽人形かと思えば松緑で菊之助は美しく高麗屋もお父っつぁんより面白い役者になるかもしれない。東蔵、又五郎に歌六はあぶらがのつて渋い演技を見せる。それに…

Topsのケーキ

…るのだが、すでに失つた、崩壊してしまつたものがああまりにも大きすぎる。 ▼異論抑へ「簡易総裁選」決定 自民総務会、予備選挙要請へ:いかにも簡易で選ばれそうな菅某である。https://t.co/uKQmHToFch ▼中村吉右衛門の<須磨浦> https://t.co/yREJmZAkFW ネット配信で垂涎の企画だが陋宅の茶の間にネットで見るのに3,500円は正直、高杉晋作。ネットのかうした映像配信は値段安くて何倍、何十倍の方に気軽に見てもらふ折角の機会にはできないのかしら。

新餃子いたゞきました

…日は先週金曜晩の中村吉右衛門を見る。大松嶋はスタジオで司会の高橋英樹と歓談してゐたが今回は播磨屋はスタジオに現れず昨年九月に歌舞伎座の秀山祭から〈寺子屋〉で、これなら〈劇場中継〉と何ら変はらず。播磨屋の松王丸。ひどく咳をする場面があるが、あれはコロナでは上演は憚られるところか。菊之助の千代も上手。幸四郎の源蔵が播磨屋と音羽屋の二人のレベルについてゆけてゐない。しかも番組の最後は「かういふ悲劇的な時代があって時を経て今の平和な世の中がある」とは意味不明。午後、木村屋でお遣ひもの…

㐂久水

…部兵衛に今回のやうに吉右衛門と仁左衛門といふ二大役者が並び十分な義太夫があれば、それ(だけ)が面白いものなのかもしれない。後日この〈合腹〉を映像なしで音だけで聞いてみたい。 ▼伊東豊雄先生の半生記より(朝日新聞) 仮設住宅の敷地の中に被災者が一緒に集まって食事をしたり本を読んだりできるような場所を作れないかと考えました。小さな小屋なら僕らでもできるはずです。「くまもとアートポリス」のコミッショナーを務めている縁もあって熊本県が資金と熊本の県産材を提供してくれました。第1号は仙…

折口信夫坐談

…次Ⅱや初代の鴈治郎、吉右衛門や猿翁あたりで芝翫(大成駒)や幸四郎Ⅶ、もしほ(勘三郎XVII)あたりはまだ若手。大阪出身の折口ゆゑ延若Ⅱや梅玉Ⅲ、若手の扇雀(鴈治郎Ⅱ)など上方役者への言及は細かいところ魁車(1875〜1945)への思ひ入れが殊更強いことが印象的。折口といふと神話世界や古典の学者といふ印象が強いが芸能の元は大阪の「にはか」にあり新派や喜劇に対する言及も面白い。 悲劇のほうが少なくとも日本では喜劇より高く評価されてゐるやうだね。 榎本健一が自分の一代記を演じたら、…

香港 すべてが叶う街

…が多く歌六③の息子が吉右衛門①、時蔵③と勘三郎⑰で当代の播磨屋、歌六⑤、この芝居に出てゐる錦之助⑥あたりは再従兄弟。時蔵⑤や獅童、勘九郎や七之助も同列といふことか。 【同志遊行】熱情滿出來!近14萬人挺 創新高 https://t.co/ZUNJeYO8De— 富柏村 (@fookpaktsuen) 2018年10月28日 台北でのゲイパレード。台湾は中共の圧力で外交もまゝならぬところ文化部長(大臣に相当)が同性婚合法化実現に向けての意欲。実現すればアジアでは初。政治的にも二…

…年がつい昨日のことのやう。高度経済成長のなか。画像は帰宅途中に北角で道路渋滞あり何かと思へば中共からのツアー客のバス待ち。歡迎強國朋友們!@fookpaktsuen: 歌舞伎:「壽初春大歌舞伎」端正、染五郎の義経=評・小玉祥子 - 毎日新聞 URL 夜の披露演目は「勧進帳」。幸四郎の弁慶は義経を守ろうという思いにあふれる。吉右衛門の富樫が弁慶の攻めを自在に受け、2人の問答が盛り上がる。……意味深w2018-01-11 21:41:14 via Twitter for iPad

東都4日目

…である。 そう思って吉右衛門丈のセリフを良く伺うと、物語が進むに連れてその調子が微妙に変わってくる事に気付く。それが巧まず自然に聞こえるのである。義太夫節では「色ドメ」というト書きの文末を大切にする。〽…聞き取る十兵衛」や〽…親の心を察しやり」等。 その後に吉右衛門丈のセリフが続くのだが、やはり当方の言い方が御意に適わないと、出にくい事と思う。その辺を良く考えて適切な言い切りをしなければいけない。 (中日に)吉右衛門丈より、「私もまだ研究しながら勤めているから、どうぞあまり心…

…、弁慶役者の幸四郎、吉右衛門(初)と祖母の思い出話やいろいろな著作で知つてゐて、3代目時蔵の子が長男から全部言へて、それどころか時蔵の父(歌六)の長男が吉右衛門で時蔵、腹違ひの弟が勘三郎で……とわかつてゐるから。自分が昭和50年代からの最後の黄金期の歌舞伎を見られたのだ、とあらためて思ふ。午後から北風強くなり今晩は気温摂氏15度以下。 ▼消費支出11月は1.5%減、と日経。ハワイに行ってる場合ぢゃないだろ、と思ふが第2次政権発足から4年で、まだ「改革道半ば」などと宣ふのだから…

… ▼今月の歌舞伎座、吉右衛門と菊之助の「籠釣瓶」、朝日新聞の劇評(天野道映)より抜粋。 菊之助は遊女というより女というジェンダーを描いている。声も体も凛としているが、ふと目を伏せる時、心はやはり血の涙を流している。それは不義理を嘆くのではなく、我が身の不条理を嘆く涙である。廓は社会制度そのもの。女は男の欲望の対象としてではなく、なぜ自らの意志で人を愛することができないのか。 ……これを一読して意味のわかる人がゐたら内容をわかりやすく教へてほしい。あたしにはこれがちっとも読み取…

摂氏3.1度は59年ぶりの寒さ

…伎座:〈石切梶原〉の吉右衛門、すでに極めつけの当たり役ながら美酒のように芳醇な味わい。玉三郎、松緑の〈茨木〉は玉三郎の叔母真柴があまりに淡彩。矢内賢二(都新聞)2016-01-24 13:16:31 via Twitter Web Client@fookpaktsuen: 日本人そのものが卑怯になってきている気がするんです。情けない日本人になってきた。原発の核のゴミはどこも受け入れない。沖縄の基地も同じ構造。同情はしても、それをなんとかしようという方向には行かない。戦前生まれ…

吉右衛門〈石切〉

…で今回は久が原T君に吉右衛門が兎に角好演だから見てと勧められ、目利きの彼がそこまで言ふなら、と最初の二つの芝居は間に合はず播磨屋の〈石切〉から。成る程、播磨屋の円熟みたっぷり堪能。筋ぢたいは面白みに欠け梶原平三演じる役者が良いことだけが頼み。今なら吉右衛門か仁左衛門でせう。もし辰之助が生きてゐたら、これを演じてほしかつた。続いて大和屋の〈茨木〉は、これを絶賛する人もゐるがアタシには大和屋で良さがさっぱりわからない。大和屋演じる老叔母は寒々しいほど枯れてゐるばかりで「実は鬼女」…

…五郎7、歌右衛門5に吉右衛門とずらり名役者並ぶ時代。幼い頃から相撲に詳しく同じ相撲好きの六代目に可愛がられ双葉山64連勝で負けた一番も六代目と升席で見てゐたといふ逸話は有名。六代目亡くなつたあとは梅幸に可愛がられ、もう一人田之助が忘れられないのが大成駒だといふ。尾上役の芝翫が急病で休演と決まり夜中に永山社長直々に田之助に電話入り明日の尾上代役と言はれ岡本町まで「これから教はりに行ったら?」って夜中に押しかけて怒られるよりは、とビデオ見て台詞覚へ翌朝、稽古なしで開演。それを大成…

Majority in China expect war with Japan

…いった」が「知性派の吉右衛門」は「抑制が利き、あまり悪ふざけしないのがいい」さうで道具屋甚三役に「やはり知性派の仁左衛門がつき合って、さらにその感が深い」といふ。何だか十七代目がたゞのバカのやう。また松島屋の仁左衛門(祖父)と千之助(孫)の連獅子は「切り立てたセロリの香りに似た爽やかさ」ってセロリに確かに香りはあるが切った瞬間で切り立てゝおいたら即に香りもない気がする……ヘンな比喩(かういふ比喩が赦されるのは康成か春樹くらゐ)。これに比べると「褒めてるのか貶してゐるのかわから…

…)、菊五郎(46)、吉右衛門(44)、孝夫(44)、團十郎(42)、福助(42)、玉三郎(38)とずらりと並び、若手が勘九郎(33)、時蔵(33)、八十助(32)と……年上から順では扇雀(藤十郎)のみ活躍中、その下の世代でも澤瀉屋が舞台に立てず成田屋、中村屋も鬼籍に。高麗屋、音羽屋が今や72歳で長老格だが当時の大成駒より年上だとは。H君の指摘は今年49歳の橋之助が当時の「花形」に比べて、どんな存在か、40代の役者でほかにだれがゐるのか、と指折るにも苦労する、と。御意。「脇役の…

節分に鬼も涙の成田山

…のが富十郎、菊五郎、吉右衛門、権十郎、勘九郎と豪華で、そのなかでも團十郎の、じつに大らかな小坊主のノリが実に爛漫。役者として意外で意外な姿を見せたのが新之助隠し子騒動。これももう丁度十年前のこと。当時「新之助君の隠し子は驚かぬが寧ろこの能筆に驚かされる」と拙日剰(こちら)。 ……と。(以下、二〇〇三年二月の富柏村日剰より引用)この本来なら孫と愛でる女兒を「お子さんの」といふ祖父の心境思へば哀切なり。(略)新之助君もさすがそのへんの青二才とは異なり立派なもので「おなかに子供がい…

震災チャリティー公演に見る歌舞伎役者の序列

…から藤十郎、菊五郎、吉右衛門、仁左衛門、勘三郎、下手は中央から幸四郎、団十郎、次のこれは誰?で時蔵……と並ぶ。俳優協会会長の芝翫が体調不良で参加できず副会長の藤十郎が上位なのは道理。で菊五郎が神谷町の挨拶を代読なのは音羽屋が協会の専務理事ゆゑ。専務理事といへば財団法人の場合、実質的トップが音羽屋なのか。まぁこれは「なるほど」だが気になるのは下手で上位にゐる幸四郎である。協会では一理事に過ぎぬのに成田屋より上位、年は確かに4つだか上だが。副会長と専務理事除くといずれにせよ弁慶役…

…代目歌六か母方の初代吉右衛門か、と思つたが命日は前者が五月で播磨屋は九月。三代目歌六の月命日(十七日)のことかしら。 ▼築地のH君が菅君……さういへば首相を小泉三世、安倍二世(岸三世)、鳩山三世……とナントカ何世とアタシが呼んで久しいが菅君は二世議員に非ず「菅一世」では呼び名として面白くもないし、ふと思つたのは(買いかぶり過ぎかもしれながい)管公に準へ「菅丞相」とでも呼ばうかしら(右の写真は十三代目)。で管相丞、H君指摘するに衆院議長横路君、参院議長江田五月、最高裁長官こそ普…

…菊五郎)の揚巻、初代吉右衛門の意休、福山のかつぎが九代目海老蔵(十一代目團十郎)で戦後の「助六」が始まり翌月が海老蔵の助六に芝翫(後の六代目歌右衛門、大成駒)の揚巻。その後、昭和20〜30年代ではあたしは壽海を除けば見てゐても見てゐなくてもピンと来る役者が續くが昭和37年4月に海老蔵が十一代目團十郎襲名で大成駒が揚巻、かつぎに新之助(現・團十郎)でこの公演は翌月まで(この時の筋書きがアタシの手許にあり)。昭和44年11月の現・団十郎の海老蔵襲名(十一代目の逝去から四年目)での…

…年の歌舞伎座での初代吉右衛門との大成駒の熊谷陣屋を見る。この時の大成駒は若干三十三歳、で相模を演じるが、今かうしてその大成駒の相模を見るとこれは戦後の前衛。戦後の寺山修司も唐十郎の演出であるとか李麗仙、太地喜和子といつた役者の芝居も昭和二十五年の大成駒の熊谷の相模の流れにあるやうに見える。ジンリッキー飲む。昏刻にZ嬢と尖沙咀東。一平安で早めの夕餉。香港でらーめんや餃子をば供す先駆けとなつた「一平安」も創業二十五年の由。湯麺(60ドル)のキャベツなど具だけ炒めたやうな野菜炒めが…