富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2010-05-09

五月九日(日)かなり久々に午前中、裏山を10kmほど走る。晝前から晴れ始める。山から下り鰂魚涌(祐民街)にT清湯腩が出来たのを知り(もうしばらく前からあつたのかもしれぬが)腩河を食すがフランチャイズで美味からず。牛腩など粗雑な料理のやうで実はどれだけ手間ひまかけぬと美味くならぬか、だ。午後、陋宅にて讀まづに積み上つた雑誌など整理。鉢植えのミントの葉でモヒートがぶ/\飲む。ネットラジオでクラシックはBBCのChannel-3ばかり聴ゐてゐたが紐育のFMクラシック局WQXRなどがネットラジオで活性化といふ記事を讀み早速聴いてみる。マーラーの六番が流れてきてバーンスタイン指揮の紐育フィルですって。紐育の局で出来過ぎの嬉しさ。晩にペニンスラホテルのGrace Vineyard Select Reserve Merlot 03年飲む。中国の、と思へばこれだけの葡萄酒作りは大したもの。野菜多く食す。
▼片付けしてゐたら昨年暮れの京都南座の筋書きあり。母がくれたもの。そのなかの上演記録(あくまで松竹歌舞伎のみ)で「助六」眺めればこの昨年暮れの南座は松島屋と大和屋だがこの二人での助六は平成十年の十五代目仁左衛門襲名披露以来。「助六」の戦後の上演記録はまさに戦後の歌舞伎史そのもの。昭和21年5月の東劇で七代目幸四郎助六、六代目(菊五郎)の揚巻、初代吉右衛門の意休、福山のかつぎが九代目海老蔵(十一代目團十郎)で戦後の「助六」が始まり翌月が海老蔵助六芝翫(後の六代目歌右衛門、大成駒)の揚巻。その後、昭和20〜30年代ではあたしは壽海を除けば見てゐても見てゐなくてもピンと来る役者が續くが昭和37年4月に海老蔵が十一代目團十郎襲名で大成駒が揚巻、かつぎに新之助(現・團十郎)でこの公演は翌月まで(この時の筋書きがアタシの手許にあり)。昭和44年11月の現・団十郎海老蔵襲名(十一代目の逝去から四年目)での助六も大成駒の揚巻。昭和50年には初代猿翁十三回忌追善で猿之助助六を演じたのも(これきり)成田屋の家芸と思へば凄いことで、昭和58年には孝夫の助六玉三郎の揚巻はともに初役。昭和60年には海老蔵團十郎襲名披露があり大成駒の揚巻(この年の十二月南座の同襲名披露が大成駒最後の揚巻)、仁左衛門(先代)の意休、音羽屋、神谷町、大松緑播磨屋梅幸と懐かしい。平成に入れば4年の助六團十郎)で新之助海老蔵)がかつぎ初役、その後、平成10年の十五代目仁左衛門襲名と玉三郎、12年の十一代目團十郎三十五年祭で新之助助六初役での雀右衛門の揚巻!の凄さ、16年にはその新之助海老蔵襲名での助六では雀右衛門の次はアタシ、と大和屋が揚巻で……と、どの助六も本当に印象に強い、強い。
▼ふと気になったのは「陳年舊酒」などの使ひ方での「陳」。「古い」の意味で「陳腐」の「陳」はどこか「珍」の印象もあるが「古くなって腐った」のが陳腐。陳言には「言葉を陳べる」の意の他に「古くさい言葉」の意味があり「新陳代謝」もそれ。
▼上海万博今一つ参観者数伸び悩み。入場券はすでに3.3千万票が売れてゐるといふが上海市政府は上海市民に対して「感謝上海市民対世博会的支持」で入場券お配りの由。何だか香港鼠楽園の二の舞ひのやう。七、八百萬枚配れば前述の前売りと合わせ四千万は一先ず確保だろうが今回の市民への入場券配布で興味深いのは上海での「臨時居住証」保持者(出稼ぎ)にも配つたこと。福利厚生や子ども公教育でも不公平あり臨時居住者だが万博の入場者増(の見せかけ)には動員されるとは何とも。

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