農暦十二月初四。晴。夕方まで陋宅書斎に籠る。昨年末の新聞貯め読み。東京新聞が正月から字体少し大きくなり読み易くなつた、と、昔なら数年前に大きくなる文字の級数に「その分、記事が薄くなる」と歯痒く思つてゐたが、これが「読み易くてありがたい」と思ふ老境に入つたアタシ。早晩にZ嬢と銅鑼湾。二日から三日連続の銅鑼湾、今晩は居酒屋一番でタクロバンA氏、日本酒F氏、Z嬢と会食。酒は酒田の麓井の純米吟醸、これが実に美味い。Z嬢帰宅し三人でバーS。Auchentoshanの18年物いたゞく。三更に入ることにお開き。
▼畏友村上湛君の日記好雪録で「歌舞伎座の初芝居」二日の記述読みしみ/\と昔を思ひ返す。三十年前の初芝居が17代勘三郎の熊谷、歌右衛門の相模、梅幸の義経、13代仁左衛門の弥陀六、芝翫の藤の方で「嫩軍記三段目」その大成駒の相模のすばらしさを湛君
冒頭、「相模は障子押開き」と、正面の銀襖を出るアユミの充実。「日も早西に傾きしに夫の帰りの遅さよ」と向こうを見やって思い入れ、膝を突き二重上に居定まるまで僅か1分かそこらの芝居に「人生」のすべてが見えてしまう驚異。
……と本当にこの筆致だけでも大成駒の相模が見えてくるから。金澤H君は演舞場で成田屋の「寿三升景清」を見てゐる。「いまやジャニタレのようにしか見えない若手役者のなかで左団次が昔と変わらず左団次で「ああ、歌舞伎を観に来たなあ」という気分になる」と、つく/\よく分かる、その気持ち。H君が歌舞伎見始めた当時(1988年)は役者が「戦後第一世代」まだ健在、第三世代にあたるその息子たちの花形世代、「中二階」ともいはれて「地味な扱ひ受けていた」が芝翫、富十郎など第二世代も今考へて見れば充実、更に若手で勘九郎や八十助、時蔵らがゐた当時。仁左衛門(84)、松緑(75)、羽左衛門(72)、歌右衛門(71)といふ大御所のあとに雀右衛門(68)、芝翫(60)、富十郎(59)、扇雀(57)が続き、花形が猿之助(49)、幸四郎(46)、菊五郎(46)、吉右衛門(44)、孝夫(44)、團十郎(42)、福助(42)、玉三郎(38)とずらりと並び、若手が勘九郎(33)、時蔵(33)、八十助(32)と……年上から順では扇雀(藤十郎)のみ活躍中、その下の世代でも澤瀉屋が舞台に立てず成田屋、中村屋も鬼籍に。高麗屋、音羽屋が今や72歳で長老格だが当時の大成駒より年上だとは。H君の指摘は今年49歳の橋之助が当時の「花形」に比べて、どんな存在か、40代の役者でほかにだれがゐるのか、と指折るにも苦労する、と。御意。「脇役の払底で歌舞伎の危機」といはれてゐたが主役も払底しつゝある。
@fookpaktsuen: URL EDWARD SNOWDEN, WHISTLE-BLOWER.
@fookpaktsuen: URL The pot and the kettle.
@fookpaktsuen: 知事埋め立て承認 即刻辞職し信を問え 民意に背く歴史的汚点 - 琉球新報 URL