富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-09-19

陰暦八月初一。アタシの部屋の窓のブラインドの紐はだいぶ傷んではゐたが昨晩つひに切れた。冷房は使はないから窓は広く開けてゐるがブライドを少し翳してゐるだけで硝子越しの熱気が少し遮断されるし午後遅くに西陽が入るのでブランドは重要。今朝、修理を業者に請ふと午後には来るといふので午前中に一時間ほど走る。午後来宅の職人はブラインド持ち帰り紐をつけ直す由。書棚から溢れ床に積んだ書籍気になり書籍も整理して久々に曝書。二十数年もお会いしていない浄瑠璃K君から古典劇M君経由で数年前にいたゞいた画像がいくつかあり昭和二十五年の歌舞伎座での初代吉右衛門との大成駒の熊谷陣屋を見る。この時の大成駒は若干三十三歳、で相模を演じるが、今かうしてその大成駒の相模を見るとこれは戦後の前衛。戦後の寺山修司唐十郎の演出であるとか李麗仙、太地喜和子といつた役者の芝居も昭和二十五年の大成駒の熊谷の相模の流れにあるやうに見える。ジンリッキー飲む。昏刻にZ嬢と尖沙咀東。一平安で早めの夕餉。香港でらーめんや餃子をば供す先駆けとなつた「一平安」も創業二十五年の由。湯麺(60ドル)のキャベツなど具だけ炒めたやうな野菜炒めが50ドルなのは「高すぎ」と思ふが、支店二軒設けても尖東のこの核シェルターのやうな幸運中心の地下二階の本店はそのまゝなのが立派。一平安を除けばしばらく借り手つかずの地下二階にも若者對手のパブだが出来て一平安に辿り着くには地下一階とその下の二軒の「店内を抜けて」いくやうで更に奥まつた感じ。スヌーピーカフェ。尖沙咀に日本人観光客多いなぁと思へば今日から大型連休。太空館。Jean-Luc Godard監督の映画“La Chinoise”(中国女)見る。中国の文化大革命が世界的に、ことに学生運動に影響与へた時代の1967年の巴里の夏。北京放送の法語放送が流れるがアタシも北京放送の日本語放送でさんざん文化大革命の栄光をば聴いたクチ。当時は世界的に知識人は、革新的社会運動と映つた文革が実は中共中南海での泥臭い数千年続く宮廷政変劇であつたとは。文革文革で社会変革運動として一つの意義はあつたのだらうが。「悪夢のやうな」革命の時代が終はり鄧小平の改革開放の時代が始まり文革は否定されたが最近、かつて紅衛兵になつたり毛語録振り翳した文革世代(日本でいへば団塊の世代だらうが)對手に革命歌など歌ひ当時を偲ぶサロンなど各地で人気の由。貧しくも心は豊かであつた、と。でこの「中国女」は巴里で左翼学生の一夏の思ひ出。今になつての反思ならまだしもゴダールが当時、かなり冷めた目で学生たちの革命思考をば捉へてゐるのが興味深いところ。ゴダール自身はこの頃に「商業映画路線との訣別」を宣言し(「勝手にしやがれ」や「気狂ひピエロ」などどこが商業映画か?とすら思へるが)この「中国女」の翌年(五月革命の年)にトリュフォーらとカンヌ映画祭での抗議活動など行ふのだが。全く偶然なのだけれど映画を見にでかける時に携へたのが週末の新聞と「朝日ジャーナル」の創刊50年復刊号だつたので我ながら嗤つてしまつた。朝ジャとゴダールぢや、あまりにあの時代的。帰宅してその朝ジャ読み終へる。スキゾキッズ浅田先生が語るは「外国に憧れたり、いわゆる高級な思想や文学や芸術に憧れたり、昔の高校生はとかく背伸びをしたがった」のがオタク世代からは急速にそれがなくなり、海外からの思想でも外国語では<物語>をなか/\読み取れないから外語への関心もなくなり、その代はりに「ディティールにこだわらずをえず、そこに露呈された無意識の構造を読み解く」やうな、コスモポリタンとはほど遠い、さういふ世代になつてゐる、と。ゼロ世代はそこで格差や派遣切りだの、現代の貧困に直面する。まだ徹底的に底が抜けてゐないからいけないやうな、すでに底が抜けてゐるのか、それすら皆目検討もつかない。
The Economist誌(今週号)は日本の民主党政権の記事でタイトルが“Poodle or Pekinese?”である。日本は外交で米国につくのか中国につくのか、と犬で例へられるほど。これに岡田外相がさつそく「我々、日本は秋田犬である!」くらゐ反論すればいゝのに。
週刊金曜日に「民主党の」山口二郎自民党の行く末について書いてゐる、と(この日剰には久々に登場だが)武蔵野D君が教へてくれる。朝ジャの復刊号を送つてくれたのもD君なのだが。自民党に三つの選択肢が、まづ新自由主義は党内にリーダー不在。今回、自民党で当選できたのは確固たる資金力をもつ=強力なスポンサーつきで当然かなりの右派。そこを頼りに産経新聞のやうな立場で生き残る選択肢もあるが、それだと二大政党の一翼にはなりえない。この十年、自民党が支持を減らしてきたのも歴史観や家族観などのイデオロギー色が強くなりすぎて政策選択の幅が狭まつたことも一因。一方のネオリベにはリーダー不在。自民党産經新聞化といふ形容は興味深いが綜合誌の喩への方が面白い。築地H君は自民党「文藝春秋」から「正論」や「VOICE」的立場に陥つた、と評してゐる。その文藝春秋民主党政権となつたらさつさと自民党時代とは決別で京セラ稲盛、寺島先生や榊原先生を並べ、そればかりか白土三平招いて崔洋一田中優子の鼎談で「カムイ伝」まで語らせた卓見? で自民党と一緒くたにされた?産経新聞といへば米長邦雄御大が「自民党総裁小泉進次郎しかゐない」は冗談ぢやなくて本気らしい(こちら)。端から見てゐれば小泉三世が未完に終はつた「自民党をぶつ壊す」を息子の四代目が完全には成し遂げる、か(嗤)。

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