富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

節分に鬼も涙の成田山

fookpaktsuen2013-02-04

農暦十二月廿四日。立春。節分の昨晩、十二代目團十郎ご逝去と知る。十二月に風邪で休演が三月の舞台まで早々に変更となり、これは大事か、と思つたが。それにしても都新聞も一面トップはいゝが「歌舞伎界の大黒柱」「豪快な「荒事」継承」と言葉が踊る。歌舞伎界の大黒柱とは大成駒(歌右衛門XI)や大橘(羽左衛門XVII)、大松嶋(仁左衛門XIII)であつて歌舞伎界でもちょっと不思議キャラの十二代目は大黒柱とは違ふはず。荒事も確かに他に高麗屋くらゐしか役者が見当たらぬ現状では幼い頃に父を亡くした夏雄さんが歌舞伎十八番を息子(海老蔵)に継承しただけでも立派な業績。この新聞では荒事の他に、と与三郎、三人吉三の和尚吉三、それに「将軍江戸を去る」の慶喜を当り役と挙げてゐる。与三郎は確かに自然体で面白かった。着物を羽織るのがこんなに自然に舞台で出来る役者も今では少ない。和尚吉三はあまりに夏雄さんの天然の芝居だし「将軍江戸を」の慶喜は役者の当り役云々といふ以前のホンぢゃないかしら。いずれにせよ十二代目團十郎をきちんと評価する記述は畏友・村上湛君の書かれたもの(こちら)を一読してもらふとして湛君の指摘通り、やはり印象に残る芝居は十二代目襲名披露での助六(昭和60年)。大成駒の揚巻、大松嶋の意休、紀尾井町がくわんぺら門兵衛、梅香の満江、花魁白玉が神谷町、通人が権十郎、白酒売が菊五郎朝顔仙平に播磨屋、福山かつぎが福助……と豪華な舞台で十二代目の助六には、やりたい放題に吉原で暴れまくり父の敵の意休に証拠の刀を抜かそうと悪態つく、その助六が実は大きな思慮あることをこの役者が演じると、こうもまるで築地小劇場のやうに?きちんと見せることが出来るのか、とヘンな感動。1992年には京屋の揚巻、左団次の意休、大松嶋はくわんぺら門兵衛で同じ助六演じてゐるが、この時、15歳の息子、新之助(現・海老蔵)が福山のかつぎ演じて、これの上手さに驚いたのも昭和37年に父、十一代目の團十郎襲名での助六*1に夏雄さんが福山のかつぎ役で出てゐるのだが、これが本当に不出来*2。それで昔、アタシの十一代目團十郎と同世代の祖母たちも海老蔵は「芝居が下手」「口跡が悪い」とさんざん苦言呈してゐたし、アタシが一番最初に夏雄さんを意識したのは昭和54年の(誰も覚へてゐないかもしれないが)テレビドラマ「午後の恋人」で、商社重役の夫(高橋昌也)に浮気された妻(若尾文子)が恋に落ちる相手が長唄の若い家元(当時の海老蔵)。これがまた感情は無い、台詞は棒読み、突っ立てゐるだけ、で「この人がのち/\團十郎?」と確かに心配。その團十郎が芝居では独特の芸風の域に達して、口跡の難も克服し湛君の指摘の通り「他人ならばこうはすまいと思われるほど母音をハッキリと、咽喉を開放して一言一言を丁寧に明晰に発語する」独特の台詞まはしとなつたもの。上述の昭和60年の團十郎襲名の助六と、当時あたしがとても記憶に残るのが昭和63年の大成駒が神谷町と演じた二人道成寺。さすがに大成駒の晩期、一世一代の道成寺とあつて所化に並んだのが富十郎菊五郎吉右衛門権十郎勘九郎と豪華で、そのなかでも團十郎の、じつに大らかな小坊主のノリが実に爛漫。役者として意外で意外な姿を見せたのが新之助隠し子騒動。これももう丁度十年前のこと。当時「新之助君の隠し子は驚かぬが寧ろこの能筆に驚かされる」と拙日剰(こちら)。
 
……と。(以下、二〇〇三年二月の富柏村日剰より引用)この本来なら孫と愛でる女兒を「お子さんの」といふ祖父の心境思へば哀切なり。(略)新之助君もさすがそのへんの青二才とは異なり立派なもので「おなかに子供がいて(彼女が)生みたいというので、どうぞと言いました。私は結婚を考えていませんが、それでもいいですかというと、いいですと言われました」と。この「どうぞ」って今どきの若者の口から出ぬせりふ。それも「お隣りに腰掛けてよろしゅうございますか?」ではないのだ。「この子、あなたの子よ、産んでもいい?」に対して「どうぞ」だ。黒澤明の『七人の侍』で扉のかげに隠れた相手から不意打ち武才を確かめようとされた五郎兵衛の戸の手前で立ち止まっての「ハハハ、ご冗談を」、あれに近い見事な台詞。さすが成田屋、格が違ふ。「わたしは結婚を考えていませんが、それでもいいです かというと、いいですと言われました」ってのもいいねぇ。(略、それに対して父)団十郎の「大変だが、頑張りなさい。自分がきちんとやればいいことだ」といふ言葉も立派。まことに立派な親子。(引用、了)十一代目を親にもち、その親を早くに亡くし、海老蔵といふ成田屋らしい息子を育てたのだ。勘三郎に次いで、また不世出の面白い役者が逝つてしまつた。
紅梅の紅きはまりて散れとこそ  村上湛君。
六法も三度戻らず十二代     と水戸の畏友J君。
節分に鬼も涙の成田山      とちょっと故・小沢昭一先生風に拙句。

敗北を抱きしめて〈上〉―第二次大戦後の日本人

敗北を抱きしめて〈上〉―第二次大戦後の日本人

團十郎さんが病床で読んで大変学ぶべきところ多かった、と仰ってゐた本がこれ。

*1:揚巻は大成駒、意休に蓑助XI、二代目猿之助の口上、紀尾井町がくわんぺら門兵衛、白酒売=曽我十郎に勘三郎XVII

*2:「これがさっぱりよくなかった。父のせっかくの晴れ舞台で、せがれが足を引っ張るようなことをやってはいけない。その苦い体験がきっかけで、やがて私は、本当に役者としてやっていこうと決心がついたのです」と團十郎の回顧談