富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十月二十八日(日)晴。早朝寶雲道馳す。寶雲道に入りお決まりですでに往復を終えたI君と会いT君が九龍から走りに参り30キロ(寶雲道4往復)している最中と聞きすぐさまT君と遇う。あとでI君の網上書込みみればH氏も走っていたとのこと。シーズン開幕を思う。昨日購いしMizunoのフラッグシップウェイブエキデン(笑)なるシューズ、初履にて往路は恐る恐る駈けたがさすが駅伝なる名を記した靴だけあってか爽快復路意識して飛ばし寶雲道自己ベスト更新す。某寄合にて山頂の某邸にて秋恒例の園遊会。マンションのプールで泳ぐ。Z嬢と寶雲道散歩し灣仔、皇后大道東の快楽餅店にてエッグタルト、馴染みのアウトドア屋にてトレイル用シューズ(昨年の秋に購入した靴の底がすり減り慣れたこの靴にて11月のTrailwalker終了せばそれからまた気持ちを新たに履くためのもの)など購う。日本人倶楽部にてランニング倶楽部のTrailwalker参加に関し打ちあわせ。ランニング用の腕時計、時代廣場の運動具店にて購うが店員が機智に富み商品知識なく訪れた私がまず手にした多少値の張る時計に対し目敏く使用目的が長距離走かと察し別な而も廉価の時計をこれにて充分と提示し私がちょいとNikeの一昨年からのデザインに浮気心を起すと「それは古いモデルにて液晶に見る難あり」と、結局この店員の差出した時計を購う。月刊『東京人』の特集が期し「落語いいねぇ」にてこぶ平と対談するは先日急逝し志ん朝、写真を一瞥すれば、ふと思いだすは亡くなる寸前の松緑石川五右衛門の役だったか、一瞥してああこの人はもう生先短くそれを承知で達観して芸道に精進しているという姿、志ん朝の姿もあの勢獅子のようなハリのある志ん朝を知るものには驚くほど病魔に悴れた姿。この人を相手に対談したこぶ平もさぞや。そしてその対談が終わり頁をめくると落語をやめられぬという談志師匠の単独インタビュー。あまりにも切実な特集なり。松緑に『東京人』といえば先月号で歌舞伎役者を撮影し続けた吉田千秋の特集あり、現・辰之助松緑襲名も近いが(先代の辰之助すら松緑存命はあったが松緑の名を継がずに逝去しているというのに、である)名代の名前が役者を大きくすることもあるにはあるが、吉田千秋の撮影した昭和32年のまさに働き盛り44歳の先代松緑の金剛杖を振り上げる弁慶の写真を見ると、この役者の大きさをまざまざと拝まされ、反対頁には十一代目団十郎助六にてこの写真を見れば孫・新之助が生き写しと言われ祖父を目指すと公言し確かにそれも叶うかと首肯けるが、話は戻るが辰之助がこの祖父の大名跡をとはちと早すぎはしないか。歌舞伎といえば今月の『噂の真相』に大和屋のホモセクハラの記事あり。話は大和屋の弟子筋の訴えによる師匠からのセクハラに始まり大和屋のホモ因果を求めた記事は梨園の御曹司でもなき大和屋が14歳にて彗星の如く歌舞伎界に現れ女形として成功していく影に後援会会長をした某資産家の愛児癖あり、この御贔屓筋の後押しで今日の立女形としての地位と名声があり……とそこまではいいのだが、森茉莉栗本薫ならこれを耽美な物語として描くものを、この野暮な記事は大和屋が自らの「肉体」をこの捧げ、その力を利用して伸上り、今回のセクハラ事件により自滅する、と。大和屋が旧来の梅幸女形では達しえずしかも大成駒が近代の演劇を歌舞伎の女形に持ち込み独特の世界を作ったにせよ梨園の御曹司たちの女形ではできなかった、まさに「美」なるものを女形として演じた(あれは演劇でなく大和屋の自我そのものなのだが)それだけで大和屋の功績は大きなもの。大和屋は役者であり役者の芝居がよければ何を利用しようが舞台に伸上るに問題なくセクハラもそういった市井の倫理通念を芸道の世界に持ち込むべからず。芝居は芝居がよければそれでよし。それを評価せず而も「自滅する」などとゴシップ暴露雑誌が断言するに値せず。正義を振り回すはいいが倫理を振り回すとは『噂の真相』驕ってはいまいか。大和屋を異常な犯罪者扱いすることでいったい何が生まれようか、マスコミの弊害。