富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十月十九日(金)薄曇り。日本のR大学から香港中文大学に留学せしY君と会い日本人倶楽部がHennessy Centre屋上にて今月末まで開催のビアガーデンにて歓談す。Y君の話を聞けば真摯に某業界への就職を希望しておりその業界でお世話になっている方を参考になる話を聞く事でも出来ればと紹介しようと思う。それはそうと日本人倶楽部の金曜日晩餐は母子家庭ばかり。旦那は何処へ。旦那は旦那で仕事という名目で飲食ご歓楽か。父を失いし母子が群団にて亭主抜きでまた愉しそうなるも感慨深きもの。それにしても此処ぞとばかりに子を遊ばせ主婦仲間で飲食歓談もよかれども子は階段の手摺りを滑り縄跳びにが他の子の首に巻きつき危険なことかぎりなし。子の抱き方ひとつみても「それはねぇアナタ……」と姑ばりに口を添えたくなる始末。Y君の話を聞けば聞くほど我幼き頃から途中にはニクソンショックなり石油危機なり不況こそあれ社会なるものは限りなく豊かになっていくものにして将来は自ら頑張れば幸せが得られるようなそういう希望を抱きしもの誰が自らより若きこの世代がこんな苦労することになろうと予想せなんだ。されど食うに困るわけでもなく少子化で家を出されるわけでもなく生きていく上での必要なる物が与えられた上でのこの社会的不幸はまだ耐え易きものか。知人より米国がもしこの「戦争」に負けたらという画像にてイスラム化されたニューヨーク、イスラム信者の如くターバンを巻き鬚をたくわえたブッシュ総統、顔を布で隠しアラビア文字の書を手にした自由の女神などの見事な合成写真届く。紐育での悲劇を思えばこういった遊びは非道なものという捉え方もあろうがパロディを想像する柔軟性、余裕こそマッド・アマノ氏でないが大切であり、表現の自由の最後の砦か、と思う。そういえば今回の合州国によるアフガン攻撃、これをラジオなどThe War against Terrorismと云っているが、これまでの歴史にこれほど一方的な主観での呼び方の戦争があったか。戦争とは朝鮮、ベトナム、南北、日清日露と地名で呼ぶのが最も客観的であり、さもなくば十字軍や薔薇、戊申、阿片といった象徴記号を使うべきものにて、The War against Terrorismといったまるで正義と悪の対決めいた語は間違っても使わざるべきものなり。本日の朝日新聞天声人語』でも語られし事は英国でMR. BEANにて著名なるコメディアン Rowan Atkinson氏がThe Timesへの投稿にて英国にて立法化されし反テロ法案にて「良識の如く」宗教的憎しみを煽ることを禁じる事項があり宗教すらパロディにして嗤うことが余儀なき真摯なコメディアンとして懸念を表せざるを得ないというもの。反テロにてこの事項は特定の人種や宗教の蔑視、攻撃にならぬよう良識的歯止めをかけているように見えるが実は反面自らが宗教を不可侵としその揶揄すら禁じる事に結びつきし事なり。全く以て正論。ふとこの「戦争」が呼び名、The War against Terrorismに代わる名はないかと思い浮ぶは米国と原理主義の戦いにて原米(げんまい)戦争、米原(よねわら)戦争という名は如何か。