富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十月八日(月)快晴。合州国が阿富汗を爆撃す。パンドラの匣を開いた者は悪魔のテロリストなのか正義の合州国なのか。マスコミがこの報道に沸き返る中『信報』は一面2/3ほどの記事のみにて実質的社説である『林止行専欄』にては下記の如き言葉の論証とは!敬服。アフガニスタンの「すたん」は国家家園或は草原地帯を示す土地の多義総称。中国は古来波斯(ペルシア)語にては「秦」を音するSin或はSiniと言われ亜刺比亜語にはSinj、トカラ(吐火羅)語圏と粟特語(?)が波斯語と相互に影響しあい、中国はCynstn、CnyatnそしてCinastan(支那地)と呼ばれ、これがまた古称「震旦」「振旦」「眞丹」「眞旦」の由来であり、中国を支那と呼ぶは梵語のCina(秦)の音訳を「指那」「脂那」や「支那」に「至那」(唐三蔵玄奘の訳法)とせしこと。またアラビア一帯のイスラム国家を一緒くたに視る傾向があるがイランはアラビア語にて回教ソンニ派の他国家とは異なりペルシア語を用いる葉派の回教。また阿富汗人は英語でAfghan、通貨はAfganiと通称されているが阿富汗の巴基斯丹大使が英語で「Afghaniは米国の強大な軍事力に屈してラディン師を交出させたりせぬ」と答えており反タリバン側の政府サイトにても阿富汗人をAfghaniと云うが何故か米国にてはAfghaniは通貨単位でCIAの"World Factbook"にても阿富汗人をAfghanと呼びたり。iがあるかないかの些細な事なれどAfghan-istanかAfghani-stanかは前述の土地を意味するstanとも係わること。そして更に興味深きはパキスタンの「すたん」もこれと同じならパキスタン人をPaksと云うも可なりしものを何故にPakistaniと云うかといえば(これに倣えばAfhanistaniになる筈)パキスタンはPaks族の土地にあらずこの地の主要族群即ちPunjab、Afghania、Kashmir、Iran、Sindh、Tukjaristan、Afghanistan並びにBaluchistanの頭文字並びに語尾を組合せたるものなりと1930年代に剣橋(ケンムリヂ)大学にて学びしパキスタニ学生が考証したものなり。これを読みペルシアに梵語と悠久の往昔からの物語を識り民族の混合など思えば現世の争い誠に貧しき出来事なりけり。夕方銅鑼湾のジム。佐敦にて藪用。夜遅く尖沙咀のHMWにてシュタルケルが演奏するコダーイ無伴奏チェロ組曲をさがすが在庫なし。HMWへの道すがら北京道といえばRed Lips Bar、Red Lips Barといえば雨の日も不快指数120%の熱帯夜もいつも涼しげに北京道からRLBに入る横丁の角で客引きをしてきたRLBの女将も最近は妖艶なら厚化粧にも皺が目立つと思っていたがたまに腰掛けていた程度だったバーのスツールのような椅子がいつのまにかしっかり坐り込む椅子へと変わっており女将もさすがに足腰の衰えを隠せず。それでも通りに立たぬ日なし。このバーには香港大の地理学科で教鞭をとる専門が日本の街道の研究という英国人の講師がかつて居り、10年近く前だが或る研究会の帰路このバーに誘われ訪れた事一度だけあり。その講師はこのバーがお気に入り、麦酒など飲みながらホステス相手に歓談す。ホステスもすでに年季の入ったお姐さんばかり、酒のご媒酌もままならず養命酒を水で薄めたようなカクテルを客の払いで飲み店の売り上げに貢献す。お姐さん方の余興の特技は客が麦酒を1パイント一気に飲み終わる間にアメリカの州名を全部早口で言うという芸当あり、これに挑戦し余が飲み終わるより先に言い終わりけるも事の外をかし。越南戦争にてさぞやアメリカの兵隊多く覚えし芸当なりしかと問えばお姐さん曰く朝鮮戦争なり、と。余は魂消て酒の酔いも醒めたり。