富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十月十三日(土)晴。朝早くジョギング。ホテルを出て故宮に向い東華門、これより入城し堀に沿い走るといつのまにか午門に辿り着き早朝からこの数余多の観光客の奇っ怪なる走者への視線を浴びながら天安門潜り天安門前広場に放り出された感。北京飯店より王府井抜けてホテルに戻る。ホテル近くの蘭州麺家にて朝食。103バスにて北海、中南海の中を覗いてみたいものと思いつつ北海公園を散策し北に抜けて郭沫若故居。北棟つきの見事な四合院にて門を入れば大きな銀杏、庭の樹木殊に柿が見事なるはまさに北京之秋。郭沫若の書斎は簡素にて趣味好き当代一の文化人の仕事空間。それでもこの二十世紀有数の書家でもある郭沫若の書斎の正面には毛沢東の天真爛漫な揮毫が掛かる。これほどの知識人、書家も天才奇才の毛沢東には敵わぬということか。資料を見れば郭沫若の生涯にも大きく影響するは周恩来、いつも中国のどこかで誰か尋ねたい故人の故居、資料館を訪れるとそこには周恩来の軌跡と写真あり遭遇する因縁。此処よりしばらく護国寺街を歩いて梅蘭芳故居。瀟洒四合院。この名優が絶世の女形と云われるが美しいとかそういう範疇でなく役者としてこれほどの器量は他にないのだとあらためて納得。あの目、あの耳、あの指先から武術役までその全てが完璧。若いうちから桑港凱旋公演での存在感など圧巻。日本訪問では戦前は歌右衛門(五代目)とその嫡男(これは現・芝翫の父にあたる五代目の福助か)との姿、そして戦後は沢瀉屋邸にて猿翁の踊り拝見の姿。ここでも京劇好きにてみずから女形もやったという逸話をもつ周恩来梅蘭芳に勝るとも劣らぬ華にて写真に現れる。護国寺街の旧・輔仁大学の校舎見学(現在は北京師範系の専門学校校舎)。道すがら恭王府花園に入るが幻滅。隣りの四川飯店も満員にて蒋養房まで出て羊房の家常菜の店にて餃子にて昼食。観光客の多い劉海胡同一帯もここまで来ると外国人少ないらしく昔の中国のような好奇心と親しみあふれる接客。更に歩いて后海をぐるりと回り宋慶齢故居。東京の旧宮邸を懐わせる見事な調度の邸。支那調ながら戦前のモダン建築にて内装はとくに見事。孫文が亡くなり威厳の宋慶齢。ここも言わずもがな周恩来の一派。中国共産党は建国までにこういった当代一の知識人・郭沫若、名優・梅蘭芳、本来なら亡命してもおかしくない共和国父孫文の妻・宋慶齢などを政協会議などで政府に引き入れ政治活動をさせるほど当時人々を魅了したものだったのだ。とくにこういった人々のオルグができたのが周恩来であり、その上に誰も太刀打ちできない鬼才・毛沢東がいて、いったいなんて組織だったのだ、と思う。この一帯はこういった本来、中共とは対峙する筈でありながら共産国家樹立に協力した秀人たちが中共より下賜された居住地であり、鼓樓西大街にある西蔵自治区政府の駐京使館とて本来は中共に従順していればのダライラマがここを在京の居場所としてたところ。意味深な一帯である。歩きすぎてホテルにて休息。黄昏に陽明山荘I氏の投宿する王府飯店にてI氏、T氏夫妻と合流、N氏夫妻現地集合で香港のランニング倶楽部の面々と朝陽区は安慧里にある香港の知友Y氏経営参加の薬膳火鍋屋・大紅灯籠刷鍋村。漢方を取り入れたスープは烏骨鶏が一羽そのまま入って素晴らしい出汁となり、それで鍋をする。