富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

四月二日(金)全人代常委での香港基本法「法解釈」に抗議する香港政府庁舎前での座り込みに対して警察が強圧的な排除。97年の変換前まで実は香港政庁庁舎は入り口に鉄扉すらなく24時間誰でも進入通り抜け可といふ、まさに公共空間であったものが、今では批判者から鉄格子に守られ孤立する砦と化す。夕刻中環のHMWにCD購いに立ち寄る。ソウルでBill WithersのLean On Meが目的の一枚にてソウルのCD棚見当たらず店員に「ソウルは何処?」と訪ねると「Korea!」といふ答え期待しつつもう一枚のお目当てはJazzフルートといへばHerbie Mannの名盤“At The Village Gate”だったがこの一枚並びに同じMannのJazz Mastersシリーズと“Nirvan”の三枚購ふ。Z嬢と早晩に外国人記者倶楽部の酒場にて待ち合わせステラアルトワ一飲。印度羊肉カレー食す。マンダリオンオリエンタルホテルの横通れば昨日の芸人張國榮君追悼の百合の花路上にまであふれ哥哥偲ぶワンフ未だ少なからず(写真)。市大会堂にて趙胤胤なる上海出身にて豪州にて修行中の若手ピアニストの独奏会。曲はモーツアルトAndante Grazioso、メヌエットトルコ行進曲にチャイコフスキの「四季」十二曲全曲に“Rhapsody in Blue”といふ「子供も聞きにきてね」の演目。客は三分の入りと奮わず。モーツアルトの三曲は「いったいどうしたの?」といふほどに不器用な演奏続ける。余の如き素人にも、左手のリズムに安定感があく主旋律が走ってしまいちぐはぐさが目立つ程。「ここぞといふところで」ミスタッチも少なからず。「四季」の演奏はだいぶ得意な面見せるが六月「舟歌」終わったところで休憩はいるのも疑問。而も休憩終わって客席の照明も落ちぬうちに趙君舞台に現れ演奏始めようとして慌てて照明変わる。少なからぬ客は席につけぬまま。チャイコフスキは得意とするのだろうがスラブ的に唸るところはもっと唸り抑揚あらばもっと秀逸なる曲もさらりさらりと譜面なぞる演奏。本人もちっとも面白そうでなし。客三分の入りへの動揺か何か気障りでもあるのか、だがプロとして許されぬべきこと。“Rhapsody in Blue”も音量はアジア人の洋琴奏者としてはかなりなものだが拍いてばかりで狂想的な破綻は感じられず。終わって舞台去り拍手に応じて再度現れたもののZ嬢共々「初見」と驚いたが趙君自ら洋琴の蓋閉めてアンコールなしの意思表示か。実際に花束だけ受取りアンコールもなく終演。まだ若くいろいろあろうが客の入り悪く冱えぬ舞台にて好演できてこそ将来への糧。余りの全てに関する粗さ。本人もさぞや悔しく不快なる晩であろう。できれば「ユンディ・リ(李雲迪)といふ芸域狭き「ショパン弾き」なぜあゝも持て囃され他のピアニストに関心がもてれぬぬのか?といふ日頃の疑問に応える逸材かと(チャイコフスキの「四季」十二曲の充実した演奏を聞かせてくれることで)多少期待したが残念。会場で配布のチラシで「中国ピアノ界の義太夫節」傳聰先生の古希祝演奏会四月下旬にあるを知る。傳聰先生もショパンで有名だが余は個人的にはこの人のモーツアルトこそ、と思ふ。演奏会終わり東区走廊経由のバスで太古城。畏友M君と待ち合わせユニーのあるCityplaza内のKenny Rogersなる店で一飲。明日必要な書類受け取る。帰宅して聴いたHerbie Mannの“At The Village Gate”絶品。殊に“It ain't necessarily so”こそ。続けて聴いたJazz Mastersシリーズに“The Peanuts Vendor”の曲あり。この曲聴くとどうしても昭和8年のヒット曲・川畑文子の「キューバの豆売り」の歌詞「ま〜めぇ、ま〜めぇ、お豆が好き〜」の珍妙なる歌詞浮かぶも老ひの故か。
▼日本語教える知人J君に聞いた話。J君のクラスに普段無口な三十頃の男性あり。構文の練習書かせると例えば「余儀なく」なら「我が国政府は戦況の緊迫を鑑み余儀なく学徒出陣を決定する」だの「友邦の期待通りドイツ第三帝国陸軍は帝国領拡大を続け」だの「帝国海軍の威力は連合国艦隊を陵ぎ……」と単に軍事オタクぢゃなく枢軸国側(笑)。昨日の男一匹トラック野郎といい中国人にも「日の本の帝の徳を戴けば」の面白い人あり。

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