富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

四月五日(月)晴。朝寝貪り『談志の迷宮、志ん朝の闇』の残り読む。随筆としてもここ数年に読んだ中で最佳か。昼にZ嬢とZ嬢が未だ始点から終点まで通して歩いておらず余は二週間前のMount Butler Raceにて走ったSir Cecil RideをMount Parker Rdの分岐点より黄泥涌水塘まで10km程歩く。Happy Valley迄下りてミニバスで銅鑼灣。午後遅くMatheson街の滬揚川なる上海料理屋。名の如く上海の字(あざな)滬に揚子江と四川の字を当て上海料理がいかにごちゃまぜか字の表す通りだが上海料理なるもの川菜をば山椒除いて唐辛子と落花生味にし杭州菜の肉料理は更に油っこく麺も歯ごたえなく今ひとつ何が美味いのか理解できず。この店も小籠包など有名だが武漢で食す包子に比べれば脂多し。ミニバスで北角。馬寶道街市の徳興隆にて豆腐花を食す。古汚ひ店は満員。近くに「日東麺包」といふパン屋あり。名前からして日系かと思ふが違ふようで、かなり美味い菓子パン売る。いくつかパン購い帰宅して湯に浸かりドライマティーニ飲みつつ今朝山歩きにふと持ち出した池波正太郎『散歩のとき何か食べたくなって』読み了える。何度読んだか。今読むと普通の著名人の美食談義なのだが昭和五十年代初めにはまだ珍しい書き物であり、その当時ですら池波先生は何が寂しいかといへば東京オリンピックで東都、京都や名古屋まで町並みが破壊されたと慨く。勿論、日本橋室町の天婦羅はやし、神田連雀町竹むらやいせ源、松栄亭に蕎麦のまつや、銀座の煉瓦亭も当時のままであるし外神田花ぶさの板前・今村氏が銀座に「いまむら」を出して池波先生の歩いた東都の味は辛うじて残りもするが、その昭和五十年代初の風情すらもはや四半世紀!も前のこと。videonews.comにて三月十九日収録の『噂の真相』岡留編集長ゲストの回を見る。午後遅い上海菜に晩飯の気に起きず日東麺包のアンパン一つ食す。美味。古川修『蕎麦屋酒』光文社新書読む。純米酒に蕎麦切りを手繰る悦び遠き日本を思い出すばかり。蕎麦屋で「天ぬき」=天婦羅蕎麦を蕎麦抜き、つまり蕎麦汁に天婦羅だけ入れて供される左党には人気の品ありこの古川氏も天ヌキでの一杯楽しむクチだそうだが余はどうも天ぬき理解できず。だいいち酒の肴として下品である。食べ方も粗野になりがちで丼ぶりに天婦羅の衣など残り当然きれいに食べれば腹ふくれ酒も不味くなるし蕎麦にいきつかず。高橋義孝先生の如き紳士もこれで一杯と文章にあり。天婦羅にだけはどうしても酒が合わぬと余は思ふから尚更なのだろうが。

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