富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

農歴閏二月中日。清明節。薄曇。アタイの仲良しの竹ちゃんが今日は昼の部で朝から舞台があるってのにきっとレコと一緒なんだろう、連休で旅行だなんて洒落込んで、そのぶんアタイがとばっちり、竹ちゃんに「富っちゃん、四日の日、朝の舞台お願いね」なんて勝手。それでアタイは日曜だってのに北角の小屋で朝から眠い目をこすって慣れない客相手に舞台こなして、とんだ日曜だよ、まったく。(……と此処まで浅草はオペラ館の踊り子風に) といふわけで昼すぎ灣仔。順發にて牛什でも食そうかと思ったら清明節で定休日。春園街の金鳳茶餐庁。単なる凍牛乳紅茶に牛酪麺包とハム入りオムレツながら何故これがこれほど美味いのか。実に美味い。香港一美味ひと覚える。但し他の店ならこれでHK$15くらいだが金鳳となるとHK$23と強気。当然。この満足感は久が原のT君昨日赤坂の「砂場」に食したに近きものかと独り合点。ジムにて久方ぶりに二時間の鍛錬。夕刻帰宅して最近余の好みは「氷なし」の酒の類ひ。ブラッディメリイにドライマティーニをば氷なしで一飲。チゲ鍋。テレビつけ偶然「新撰組!」見る。京目指す浪人組が中山道の宿場町・本庄宿にて宿割りで仲間のイザコザの話。四十五分間そればかり。会社で急な常務の出張ありホテルの手配できず常務立腹にどう対処すべきかといったまるで「課長島耕作」のサラリーマン漫画の如し。また「使えない」上司(近藤勇)を有するチームがその男をどう操縦することで経営者にまで持ち上げるには取り巻きが何をすべきか、といった処世術的。この筋の何処が「大河」なのかちっとも理解できず。晩に立川末広『談志の迷宮、志ん朝の闇』を読む。競馬もいいが立川末広の語る落語はいいねぇ、実にいい。ぞくぞくするほどに噺家が目の前に浮かぶ。ふと思い出したが一昨日の晩に趙胤胤のピアノ演奏会の帰りにZ嬢が趙君のミスタッチ目立ったことに「ホロヴィッツ先生だってミスタッチあるのだから」と言ったがホロヴィッツ先生の場合ミスタッチも語り草になる遉が大物。一音のミスタッチどころかそのままずっと和音とか続けても許されるのだからホロヴィッツ先生はピアノ界の志ん生だね、とZ嬢と笑ふ。ところで。これまでも何冊か落語に関する本読んだが立川末広のこれは秀作中の秀作。本当に落語が好きで噺家が好きなところがいい。それでいて高田文夫のように(高田氏は高田氏でじゅうぶん立派だが)自分がやりたいとならずあくまで客席の椅子に坐っている姿勢で而も強記ぶり遺憾なく発揮し語る。
▼四月に入り朝日新聞の社説が「国旗国歌」で始り他紙の社説に多事論争もちかけ讀賣に対峙し産経の主張に反撃……と勢いいいが「産経の社説にお答えする」って産経なんて誰も読んでおらず(笑)。ところで朝日に「転機の教育」なる特集あり「日の丸・君が代の攻防」なる記事で白かにされていることはじつは我が国の尊き国旗国歌を口実に実は目的は組合の徹底的排除」「運営しやすい学校づくり」。それだけ。愛国心など口上ばかり。すでに学校によっては都教委の通達を説明した校長に対して教員の間では反対も賛成もなく「何を言っても仕方ないといふ雰囲気が蔓延」と取材に応じた校長。この状況がいかに最悪であるか。もはや公教育に創造性も向上心も何もなくただ権力により(この権力とは政府与党ばかりか反体制側にもいえること)寸断寸断にされた教育「現場」あるのみ。この日本の現状に対比して紹介されるは韓国の国主導の徹底したエリート教育(中国も同じ)、その対極としての和蘭陀や瑞典での自由化された公教育。国旗国歌などといった「些細なこと」に起立したしないと敢えて敵つくりガンをつけて処分したのしないのとそれの何処が教育か呆れるばかり。
蘋果日報の蔡瀾氏の随筆に「iPod」といふ文章あり。要旨は旅の携帯。かつてはテープが進化してMP3に迄なり重宝この上ないがiPodが出て魅力的なものの大きさと重さでちょっと躊躇していたもののiPod-miniが出て知人に贈られ使ってみたらこれが重宝……とそれだけ。この随筆、専門学校のライター養成講座でこれ書いたら一発で「内容に乏しい」と×つけられる筈が香港一高い原稿料で蘋果日報に掲載される不思議。蔡瀾氏がもはや権威となり編集者とて誰も氏に甲乙の指摘できぬ寂しい状況あり。それにしても自ら企画するツアー旅行での報告、インターネットからの拾い記事の紹介だのこういったiPodなど誰でも書ける内容で……と思うが蔡瀾氏にしてみれば「自分はもう年だし何をしても勝手なのだ」と開き直るばかり。始末に負えず。
▼ところで昨晩も寿司加藤に参ろうと歩いた北角に大陸からのツアー旅行者の数多し。お揃いの野球帽だけならまだしも「迷子札」の如き氏名写真入りの札まで首から下げる野暮な姿。須臾く前のKevin Sinclair氏の文章(SCMP紙)にてHK Hotels Associationの代表者のコメントとして今日日の大陸からの旅行者の振る舞いは三十年前の日本人の如く突然の裕福さに海外旅行に出向くものの海外のマナーも常識も弁えず地元と同じように振る舞い顰蹙かうばかり……と酷評。三十年前の日本人なるものも其れ程酷かったのかと想像しつつそれぢゃ今がそれほどマナーがいいかとも思うが。もう三十年も前だろうか、日本交通公社よりサトウサンペイ著で『スマートな日本人』だかいふマナー解説本あり、このようなマナーすら知らず海外に出向く日本人多きことに唖然とした記憶あり。べつに西洋料理でのナイフとフォークを外から使うことの間違いなど間違っても恥ずかしくもなし(実際に使いたいナイフフォーク使えば給仕が黙って取換えるだけ)それより人に順番譲るだのホテルのロビーにスリッパやガウンで現れないといった当然のことが実は今でも香港の一流ホテルで平気でスリッパでロビー歩く御仁もいるわけで呆れられても仕方なし。民族的恥ずかしさといへばやはり須臾く前の陶傑氏の「唐人街」=チャイナタウンといふ随筆に、ローマ市が市内でのチャイナタウン建設を不許可といふニュースあり陶傑氏それを「善政」と評価し欧州のチャイナタウンを「癌」とまで揶揄。チャイナタウンなど出来ればどうせ多くの華僑がいくつもの華商會だの同郷親睦会だの組織して権力闘争繰り広げ華人マフィアが横行し福建と温州からの密入国者と高利貸、売娼の巣窟となるばかり、と。

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