富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

四月十一日(日)快晴。尖沙咀。文化中心に往きアニメーション『冬の日』観る。人形アニメ作家の川本喜八郎氏の発案にて芭蕉連歌「冬の日」を実力ある映像作家たちが映像作品にて連歌形式に作品にしてゆくといふオムニバス。一連の作品を陳べた後に各作家の作業風景写し作家らのコメントを収録。日曜朝からの上映に文化中心の劇場はほぼ満席。芭蕉らの俳句にて特に若い観衆に理解難しいのでは?などと思ったのは間違い、感性といふのは伝わるわけで、終演してからの拍手あり。触発。日本のこの素晴しい映像表現の手法があり、こういった作品が海外で上映され何か人々に与えること。小泉三世の自衛隊井落派遣も靖国参拝も何ら国益にならず。劇場出るとすっかり天高き太陽の光。文化中心の複雑な建物はその陽光で幾何学的な影を随所に描く。珍しくContaxの写真機携えており幾葉か撮影。暖かい風も心地佳し。初夏。Space Museumにて内田伸輝『えてがみ』観る。青春の気持ちはわかるがどこか頼りなき出演者ら見ていてまるで嘗ての自らを見ているが如し。一歩間違えれば狂ふ程で、音楽をしたいだの芝居がしたいだのと夢見ていた何人もの友人らの顔を思い出し、高校卒業したところで「止って」しまひ精神病んだ儘で数年前に亡くなった畏友H君のこと髣髴。フェリーで中環。昼食を逸しIFCのCitysuperにてハムとチーズの三文治とエビス麦酒。市大會堂にてドイツ映画“Love in Thoughts”観る。時は1927年の夏、ヒトラー席捲を待つ頃のドイツでの若者の「自殺会」の話。時代的に日本も若者の自殺増え死のう団が現れたのは37年。ベルリンにて十代の若者らが森の湖畔の別荘に鳩り朝まで泥酔気味にパーティ。ここで狂気的に集団自殺か……と余も嫌な想像したがさに非ず。パーティ主催した若者らがベルリンに戻っての出来事。自殺願望擁くAといふ若者による愛おしむ友人が自らの妹と同衾したことに憤りの惨劇。ただの耽美的物語で何故これが成人映画指定なのか疑問。自殺誘発?。夕方となり東涌線で葵芳。葵青劇院のカフェで大西巨人神聖喜劇』第五巻読始る。このカフェの経営が旧知のE君経営と珈琲砂糖のパッケージから識る。ブラジル映画“Madame Sata”観る。傑作。三十年代のリオデジャネイロ。実話。主人公Joao Francisco dos Santosは街の野良犬の如し。だが子連れの街の女を面倒見て、そのうえ生計立てられぬオカマも面倒見る優しさもあり。生業は男娼。鍛えた美しい肢体を武器に客を恐喝し瞞しては財布のカネ偸むのが目的。恐喝などで検挙され生活のためと知合いの酒場でクエアな舞台で歌い踊ったらその端正な肢体に豪華で性的な衣装が映え好評博す。だが一人の泥酔の客に二グロのオカマと罵られ銃殺して懲役十年の刑に服す。映画の筋は此処までだがこの実在の人、服役後にクエアな舞台に復帰、カーニバルなどで喝采を浴び女王として数々の賞に輝きMadame Sata(Madam of Satan=悪魔の女王)と讃えられ七旬の人生完うとか。……余の辿々しき筆にてこう綴ると単なる気持悪きオカマ映画だがうらぶれた街の生活の演出といい暗黒なる街の雰囲気、主人公の余りに均整のとれた黒き肌の肉体と実際の舞台演出の美しさ等々監督Karim Ainouzの感性と技量に恐れ入る。尖沙咀に戻り昨日訪れたWorksなるCD屋。購入したボブマーレイのライブCD(二枚組)帰宅して映せば同じCD二枚(笑)、マイナーの輸入版では致し方あるまひ、交換。ジャコ=パストリアスのCDもかなりあり。統一麺家(店内の菜単には京滬亭といふ名前もあり……不安)にて水餃麺。二更に科学館にて本日五本目で柬埔寨の“S21,The Khmer Rouge Killing Machine”なるドキュメンタリ観る。柬埔寨のクメールルージュ取上げた映画何本も観たがこの作品はS21なる強制収容所での話。そこに収容され数千分の一の奇跡にて死を免れた人と、実際にここで市民強制連行、収容、実際の殺戮にまで手を下した当時のクメール派の兵士が、この収容所跡地で当時の膨大な資料=殺された人々の写真や供述書などを手許に当時何がどう起きたのかを語る。ドキュメンタリの手法として当時のフィルムなど冒頭以外一切使わず全てこの実際に収容の加害者と被害者がこの収容所で語るだけを撮り続ける。寧ろそれが当時の凄さをじゅうぶんに語る。『ゆきゆきて神軍』であるとか同じ手法だが、このプノンペンではその殺す側と殺される側がもはや狂気を越えたところで断罪もない地平にお互いがあり、罪を越えたところで当時いったい何が起きたのかの証言に徹底していること。それが希望であり、この作品の意義のはず。それにしても驚くのはこの百万人単位の虐殺に於てこのS21といふ収容所だけで今から三十年前のこの殺戮の当時の資料が膨大な数で残っていること。残っていること以上に当時のクメールルージュが徹底して殺人の資料を残していること。これこそ当時、この政策に何ら疑いもなく正当なる国家政策であったことの証左なのだろうが。会場にて映画評論家・佐藤忠男氏ご夫妻をお見かけ。さすがに昨年の疫禍は見えなかったが常連なのは当然。終って深更の尖沙咀東を歩いてホテルに戻るご夫妻の姿ももはや映像作品の如し。
▼蘭桂坊の酒場Club 64、地主この店舗売却決め名の如く89年の天安門事件に触発された人々、藝術家の溜り場として蘭桂坊に知られた酒場が存続の危機。買手が親中資本とか……まさか。
▼教育統籌局に統合される迄の教育署署長・羅范椒芬女史(現・教統局常任秘書長)が講演にて董建華率いる香港政府は教育に多くの投資をしておりその最大の受益者たる学生は董建華を避難する権利はない、と発言。政府の無能なる高官少なからぬなか羅女史に信望厚くもあるがこの発言待つまでもなく昨年のSARSの疫禍にて教育署の対学校防疫措置についてインター校校長相手の会合にてマスク着用や検温が強制かといふ質問に対して学校独自の判断を認め理由としてインター校に通ふ家庭は教育レベル並びに衛生観念高きこと挙げ=つまり地元学校及び家庭を蔑視、その偏狭なる意識に呆れさせられたが所詮この程度の感性の持主といふこと。

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