富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

農歴三月初一。閏二月終って暦通りにまさに春爛漫。晴。摂氏廿七度まで上昇し凪風なく空気淀む。イラクで人質となっていた三名はイラクでの当時「とんでもないところに来てしまった」といふ気持ちよか解放され日本に戻ったところで「とんでもないところに戻ってきてしまった」といふ念ではなかろうか。人質となっている時の環境よりも、帰りのドバイからのエミレーツ便が機内「最後部に」坐って「その前方約五〇席は空席になっており、外務省の職員らが壁を作るように着席」し「機内では「撮影、取材は一切禁止します」とのアナウンスが繰返し流れ」ているのだから、これはかなりヤヴァいと判ったはず。結局、彼らの心労はイラクでの極限状態ではなく(解放直後のあの映像みれば画像として情宣用にナイフを首につきつけられたりする以外は待遇悪くなし)朝日で橋爪太三郎が指摘するようにマスコミが感情的に家族を追いかけ家族は救出して欲しい思いで発言が感情的になればそれをマスコミが取上げ今度は解放された人質が帰国となれば彼らは国内で家族が中傷されたことに混乱しストレスを感じる、といふ状況。同じ記事で斉藤貴男が三名の帰国時の記者会見中止は発言で揚足取られることへの警戒であり、それほど家族に対する中傷が強く、その中傷はといへば「中傷は家族が政府に刃向った映像が流れた途端に始った」わけで、これを斉藤氏は「多くの人が日頃の不満をお上(政府)に従順でない人にぶつけて精神を安定させた」もので「今回の人質事件で、戦争に反対する者は幼稚で、政府こそが頼れる存在だと短絡的に考える人が増えた感」と述べている。この危機的な状況。キチガイである。三人はイラクよか日本のこの状況に立ち向わなくてはならず。その状況を『世界』五月号の編集後記が見事に語っている。「日本国民にてテロと闘う覚悟はあると思う」だの「国民の皆さんも外出する際は心構えを」といった我国至上最大のバカ首相の発言を取上げ、編集後記は、自衛隊が人道復興援助に行くのになぜ国民がテロの覚悟をしなければならないのか、このテロの標的にされる蓋然性を高めたのは小泉政権対米追従政策であり、その米国の「復興」政策とて泥沼化するばかり、日本国内はといへば自衛隊の官舎に反戦のビラ撒いただけで逮捕拘留された活動家をアムネスティInt'lがその被拘束者を「良心の囚人」に指定したほどで、この「良心の囚人」とはかつての南アフリカや中国といった非民主主義国家での話と思っていたのが、それが自由と民主主義の国家=日本での話、日本の人権や表現の自由が侵害されているわけで(だがその侵害を放置しているのが国民であること……富柏村)「すでに日本は「有事体制」にあり、有事法制にいう「基本的人権に対する規定は最大限に尊重」など、この国の政府は一顧だにしない」と。事態は深刻なのである。だが『世界』など今どき札幌の今井君くらいしか読んでないのだから(笑)。この号の特集とて「いま、すぐ撤兵を!」だが国民の過半数以上が「米国の対イラク政策は間違っている」としながら「復興援助のため自衛隊の駐井は支持」という状況では「いま、まだ徹兵を!」が世論か。手にとって頁を捲っても「ロシア女性ジャーナリストが見た金正日」といふ記事など、偉大なる将軍様がいかに知的で思慮深く視野が広く人を虜にする魅力があるか、と「この期に及んで」誰が読んでも「これぢゃ偏向」と思わざるを得ず、この文章、なぜか最後は小泉首相の影武者を平壌で見た、金正日の韓国のそっくりさんが韓国で敬意を表されている、といふ、まるで本論と関係ない面白可笑しい話題で終る、これを紙面に載せる岩波編集部も諸君や文藝春秋と同じく常軌を逸しているとしか思えず。『世界』に話を戻せば今年初春の印度でのWorld Social Forumでのアルンダディ=ロイ女史の基調講演が全文掲載されているのは貴重なのだがロイ女史の翻訳(本橋哲也)が岩波新書でのロイ女史の著作の時と同じで、です・ます調、だ・である調と「ですとか?」「じゃない?」など口調の混同が激しく、とても読むに絶えず勿体ないかぎり。講演でのロイ女史の語りかけの雰囲気を活かす意図なのだろうが、むしろ文章では読みづらいだけ。そんな節々脆弱さの目立つ『世界』の、この五月号で最も貴重なるは自民党衆議院連続八回当選で官房副長官環境庁長官務めた志賀節先生が買いている「小選挙区制が日本を破壊する」といふ文章。これは一読に値。小選挙区が、地元の県連の支配が強まったことで党本部の公認が取れても地方組織が公認候補支持せず対立候補擁立ができるほどとなったこと。つまり国政がこれまで以上に地元利権で候補者が決定すること。小選挙区制度が派閥解消どころか党の一議席を得るためにこれまで以上の派閥支配が強固となったこと。民意反映だの全くの誤謬で実際には例えば岩手県。連続四回落選した候補(玉沢徳一郎先生)は比例代表制(東北区)で自民党比例区五位で目出度く当選果したが、その手段として二十年来の地盤である岩手一区から敢て小沢一郎先生の四区に鞍替え、当然の如く自爆候補となるが、それも当選困難な選挙区に立候補する見返りに比例区では上位に位置。それも玉沢先生が森派でるからこそ、のこと。その結果、小沢12万票に対して僅か3万票の得票で同じ衆議院議員に当選できること。これこそ一票の格差。しかも比例区で敢て玉沢先生を!と支持した有権者以外、誰も支持しておらぬ候補が当選してしまうのが比例代表制。志賀先生曰く「権力者によって恣意的に捩じ曲げられる選挙で」は日本国憲法にある「国民は正当に選挙された国会」など有していないことになる、と指摘。御意。この民意とは程遠い選挙「作業」は「翼賛選挙の再来」であり「投票率の低下に拍車かける悪選挙法による悪事例の続出は、民主政治の終焉の到来を思わせる」と志賀先生。自民党防衛族タカ派だった箕輪登先生による「自衛隊イラク派兵は違憲」訴訟だの、野中広務先生の戦後の平和への追憶だのと自民党の老先生らが真剣に今の自民党政治の危機的状況に警笛鳴らす、この時代。

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