富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三月廿日(日)快晴。春分。HK Distance Runners Club主催の三月恒例のマウントバトラーレースあり参加。陽明山荘の坂登り大潭のダムまで一気に下りパーカー山の峠まで登り少し下ってセシル卿乗馬道を走る15kmのマウンテンマラソンにて二月末の香港マラソンから全く走ってもいなかったが家にいてもうだうだするならとジョギングのつもりで参加。気持ちよく走る。思い出すは二月末の香港マラソンで完走し、せめて父を喜ばせようかと夕方自宅に電話せば突然に伯父が出て父が朝、救急車で病院に運ばれたと知らされ翌日より意識遠のきたりし事。走るも父の供養かと。シンガポールからI氏参加されK氏、T夫妻とA君と灣仔の北京水餃皇にて昼前から餃子食し麦酒で喉潤す。金鐘のレーンクロフォード百貨店にてTUMIの鞄の修理出来たのを受取り帰宅。見事な快晴で心地良し。午後家事済ませ夕方まで午睡。起きて眠気覚ましにドライマティーニ飲む。芸術新潮だの料理雑誌などたまった購読誌何冊も読む。チーズonクラッカー、サントリー「角」の水割り、氷なし。母からファクス来る。
春告鳥の初声聞いて旅立ちぬ その姿は見えず 今 悲し
と母の詠歌あり。晩に昼に続きI氏に誘われ天后のPoppy'sに西洋料理食す。客多し。客層がとても香港の典型的公務員顔ばかりなのがこの店の特徴。
蘋果日報日曜版に連載される「星期天休息」といふ陶傑氏のコラムが興味深く董建華辞任を述べる。香港の末代総督のクリス=パッテン卿が董建華辞任を聞いたのは上海に滞在中で香港返還に際して中国政府から「千古罪人」とまで喧られたパッテン卿は「だから、それ見たことか」と嗤ったであろう、と。今回の董建華辞任までの経緯は84年の恰度廿年前の中英合意にまで遡れるわけで中国は英国植民地の色彩強い地元指導者や官員をば登用することに難色示し愛国国粋的な陶傑氏のいつも指摘する「土共」をば育て英国側が推挙のリディア登β蓮如「女」男爵を抵み二番手候補の陳方安生をどうにか受け入れたものの陳女史も董建華の愚政についていけず辞任、でダークホースの曽蔭権がまさかの董建華の後任となったわけだがドナルド曽蔭権ぢたい香港植民地政庁の典型的地元官僚で返還直前に英国から爵位受けた時点で本来は返還後の行政長官にまで抜擢は誰も予想せぬ事。結局は香港政庁の官僚抜擢しての結果に廿年間の中国側の祟りの如き執念も元の鞘に収まる結果となった事。それにしても先日の財務長官・唐英年の新年度予算発表の際に唐英年の母と妻が傍聴席に陣取りビデオ機回して夫の雄姿をば撮影する、その「文化」がほとんど幼稚園の卒園式の保護者並みの感覚との指摘。全くその通り。本人の独立した人格以前にその家族主義、例えばパッテン卿は知っていてもパッテン卿の親が何をしていたとか誰も知らず。それに比べて全て父はどうした、母の出自はと。その発想の貧困さ陶傑氏鋭く指摘。
納采の儀の「新鮮な鯛」は「鮮鯛(せんたい)」をみなさまのNHKが視聴者にわかり易くするために「新鮮な鯛」と言い換えたのだろうか。「鮮鯛」は「干鯛」に対する「生の鯛」のことで「新鮮」とするとやはり意味が違う気がするが。

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