富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三月十二日(土)妹が父の貴重品入れたセカンドバックを整理するとカード入れに小さなメモありレシートかと広げれば父の手書きで「避けて通ることのできない老いならばすべての不安を受け入れボケやカラダの衰えを道づれにとことん生きるのが俺の人生だ」と綴られる。優しき笑顔ばかり見せていたが心中、本人の生への意欲の強さ厳しさを今頃になり知る。昼にひとり菩提寺神崎寺訪れご住職にご挨拶。真覺院豐茂道玄居士といふ戒名戴く。真言宗の「真」で院が冠につき真言宗豐山派の「豐」に父の俗名から「茂」をとり道玄居士とは有難いかぎり。帰宅。寺での通夜のため夕方位牌と遺骨とともに寺に向かふ。タクシー会社の旧知の運転手氏は偶然なのだが五軒町といふ市街の町の、父が最初に自宅構え余も子どもの頃に育った旧宅の前を通り頑固な父がいつも市街抜けるのに通ったカソリック教会の横を抜け大通りに出るのかと思えば鳥見町の横丁を走り父母の結婚の披露宴催された竹葉といふ昔の料亭の前まで通り抜ける。雨もあがりいくらか暖かくと安堵。昏時、寺の鐘が鳴り通夜の開始。控え室より本堂に向かへば美しき明紫の夕焼け。日暮れにとたんに寒風が吹き始め寒さ厳し。本堂に上がられた参列の方々で百名となり焼香は本堂前の寒い外でも始まり施主に代わり外の焼香台の前に父の遺影を持ち坐る。次から次へとすっかり老けられた懐かしい方々から同窓で地元で商売などする旧友、いろいろ事情あり父のところに多年、顔を見せなかった人まで焼香続く。目を腫らした方、涙ながらの方。父を没くしたことの事実よりもかうした皆様の温情に感無量。埼玉から来られた九十余歳の大叔父など参列の方見送りお手伝いの方も帰られたあと家族で位牌、遺骨とともにタクシーで帰宅。蕎麦茹でる。飛良泉飲む。

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