富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三月廿七日(日)復活祭のこの季節の曇天続くこと例年の如し。映画見続けるも例年の如し。科学館にてBahman Ghobadi監督の“Turtles Can Fly”を観る。米軍のイラク征伐を舞台にした伊蘭制作の映画。米軍の侵略前夜の伊蘭に近いイラクの難民キャンプが舞台。主人公は「サテライト」といふあだ名の少年。このキャンプで多少の英語、衛星放送受信の技術に最も長けた少年にて大人を差し置いてこのキャンプをリードする。このキャンプの子供らの多くは地雷回収しクルド側に売ることが生業。手足もがれた子供も少なからず。米国の明らかな侵略攻撃のなかでのキャンプの悲惨さをば少年らの生活で見事に描く。秀逸なる作品。今年の映画祭で最も記憶に残る作品と断言可。次に観るつもりの映画にすでに時間もかぶっておりこの映画の余韻あり悪臭が鼻につく海岸を尖沙咀まで歩く。映画俳優らの手形埋めたAvenue de Starsといふ何語だかわからぬ(シャンゼリゼ水戸に勝るとも劣らず)中文名は「星光大道」がこの海岸線であること初めて知る。香港芸術館では巴里オルリー美術館から持ち出しの印象派名画大展あり入場券売り場に列で余は昨年末からずっと参観しよう思いつつ明日が最終日の現代中国画の黄永玉傘寿御祝の展覧会訪れる。切符売場は印象派展は行列だが黄永玉の特別展と常設展の切符は並ばずに購入可で安堵。切符渡されると印象派も参観可でどうなっているのかよくわからぬが兎に角ラッキーで黄永玉をじっくりと観賞。さっきの映画のあとにこの黄永玉ではもう今日の精神力の限界。かなり厳重な警備の仏蘭西印象派展もちょっと眺める。一昨年のオルセーで観た作品が香港でといふのも面白いが同じ作品でもオルセーがあの建物の構造でやわらかい自然光が擦りガラスを通して展示室に至るのに対して香港のこの美術館では重苦しい室内の上に暗い照明と背景の塗装されたベニヤ板の配色の難。スターフェリーで中環。FCC。ドライマティーニ1杯。遅い昼食にトースト1枚。連日の映画で運動不足で外食続き明らかに肥満。減量考慮。中環はフィリピン人御女中の人混みも復活祭でかいつもより彼女らの祝祭派手。午後遅く市大会堂にて田壮壮監督の“Dalamu”観る。これは田壮壮監督初のドキュメンタリーでNHKのハイビジョンで放映された『天空への道』の映画版。雲南省からチベットに至る峡谷の茶馬街道で生活物資運ぶキャラバンと一緒に街道に点在する村々でそこに暮らす人々の独り語りが延々と続く。なぜ人々がここまで物語るのか。キャメラを前に涙を流して語る。殆どが彼らの住居の中で自然光が明かりとりの窓からさす中、晩の暖炉の灯りに照らされて。その答えは「田壮壮が目の前にいたら誰でもこうして物語を始めてしまふ」とこと。田壮壮の魅力が人を物語らせているのだ。会場にも田監督の姿あり。拝みたくなるほど道者の如し。フェリーで尖沙咀に戻る。尖沙咀のスターフェリー埠頭といへば法輪功の諸君による布教宣伝と中国政府非難広報の聖地だが、その傍らに中国からの旅行者対象なのだろうか「中国共産党退党支援センター」なる組織?の運動も登場。『大紀元』なる反共産党新聞の無料配布も盛んでこの団体が法輪功と同一組織なのか別なのか友党なのかわからぬが中共の「党員」など皆利権絡みで党員になっているわけで(日本の自民党と同じだが)今さら香港に旅行中に退党真剣に考える「党員」もいるとは思えぬが香港の言論の自由バロメータとして注目すべきか。尖沙咀といへば尖沙咀の歩行者蔑ろにする地下道網のうちシェラトンホテルから潜る地下道は地下にあった「するめ烏賊焼きとポップコーンの臭いが混じり悪臭放つ」ジャンクフード街と小熊園なる地下遊園地が閉鎖。廃墟と化すが此処に「そごう」が出店とか。いずれにせよあの悪臭と陳腐な遊園地の装飾に遭遇せぬだけでも心地よし。スペースミュージアムの会場で李一凡監督のドキュメンタリー『淹没』観る。三峡ダム建設で水没が決定した奉節市街。揚子江重慶川下にある古鎮で揚子江から急な石段を登りきると旧市街の依闘門がそびえる。依闘門は杜甫の詩からの命名とか。その奉節の市街の人々の活気ある暮らしから始まり水没が決定しての賠償問題や古いカソリック教会や商人宿の人々の移住を追われる日々を克明に記録する。揚子江を上り下りする船から荷揚げする荷方の勇壮な男たちが奉節から立ち退く人々の家財道具の荷方となり最後はダイナマイトで破壊された市街の瓦礫運びとなる姿が象徴的。このような千年の歴史ある古鎮まで潰しての三峡ダムの建設。昼のトースト一枚でさすがに空腹感あり。それでも厚福街の唯一麺家にて水餃麺のみで我慢。低カロリーで腹持ちもよからう。科学館。亜爾然丁のLisandro Alonso監督の“Los Muertos”を観る。南米の森林。半ズボンの少年らしき遺棄された死体。キャメラが物静かに森林を進むと今度は全裸の死体。ローアングルのキャメラには猟奇的殺人を犯したのであろう男の胸から下だけが映る。場所は一転して中年の男の生活。刑務所らしい。この男がさっきの猟奇的な男なのかどうか一切説明らしきものもなし。若い囚人の「からかい」がどうもこの男が少年殺人の犯人らしきこと伺わせる(と思う)。物語はこの男が懲役三十年の刑(といふことも映画の中では全く触れていない)を満了して出所し娘の住家を尋ねる話。といふとそれだけだが男はシャバに出ると淫婦と交わり小さな町を抜けてから知人に借りたボートで南米の密林のなかを川下りする。蜂の巣を燻り蜂の子を食し野生の山羊を殺しとただ黙々と。音といへば昆虫や鳥が鳴くだけ。延々とそれが続き森の中で少年がこの男のボートに遭遇する。この少年の半ズボンが映画の冒頭の少年の姿とラップして「ひやっ」とする。実は冒頭のシーンは過去ではなく結末だったのか。而もこの少年は男の孫にあたる。自分が祖父だとは自己紹介もせず密林の中の粗末な天幕に案内される男。少年が画面から消える。男が追う。ナイフを棚に置いただけもまだ少し安心するが少年も男も画面から消えたまま現れもせぬ。男の娘にあたる女は最後まで映画に現れもせず。何も提示されぬ結末は男と三十年ぶりに再会した娘と初めて顔をあわす孫息子娘との団欒なのか、まったくわからぬまま物語は終わる。映画の合間には新聞読み終わると『世界』四月号少し読み石田衣良を飽きずに読んでいる。帰宅して晩遅く日記綴りつつジャックダニエル飲む。壊れたままのSonyCyber-shot UをZ嬢がいぢったら先日は電池取換えてもOnにならなかったのがまた復活する。一葉だけ消さずに残していた写真あり再生してみると父が余を写した画像。昨年の大晦日に郷里で木挽庵なる蕎麦屋に両親とZ嬢と年越蕎麦食した折に余のデジカメを父が黙って手に取り「せいろ」食す余を傍らから写したもの。写真といへば正面からきちんと並んで撮るのがいつもの父が何も言わずにそっと写した一葉で保存していたもののこのデジカメ壊れContaxのデジカメ購入し父の逝去でこの写真の存在すらずっと忘れたまま。あれが蕎麦が好物であった父が生前最後に辿り着いた蕎麦屋・木挽庵での最後の蕎麦。そこで写された写真が父に撮られた最後になろうとは。その日の朝その日の日剰には綴らずにいたがZ嬢を母と迎えに行くまえに庭で雪の残る裏山を背景に父の写真をContaxのG1で白黒で一枚撮る。今まで父一人を請うて写真など撮ったことなく「一枚撮ってあげるよ」といふと喜んで大好きな道標(実は父の郷里の田舎の三叉路にあったもの)の横でポーズをとった笑顔の父。その時には医者の診断ではこれが父の元気な姿撮る、それも一人ポーズとる姿など最初で最後かと覚悟したがそれが現実となる。恰度その写真撮った直後にマグロ仲買するB氏がひょっこりマグロ届けにいらっしゃり両親と三人での写真をB氏に撮ってもらい「三人で写真に写るなど何十年ぶりかね」と笑っていたがこれも最後の一葉。

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