富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

七月二十二日(月)曇。養和医院牙科にて歯治療。科長Walter Li医師の趣味なのか待合室は書斎のように東西の書籍が並び新聞はNew York Times日曜版まで置かれ思わず昨日のNew York Times Book Reviewなど読み耽る。小学生の頃に近所の歯科医で週刊読売連載の宇野鴻一郎の文学作品など読んだ昔を彷彿。頁が上下二段に分かれ男と女の立場がそれぞれで物語られていくという画期的な内容の確か題名も『上と下』だったが週刊読売を逆さまにして読んだら小学生がこの宇野小説を読んでいることがバレてしまふため逆さまにできず読むのに難儀したもの。香港の歯科費用は高いが一回の治療に90分かけて一度で完ぺきに仕上げしかも待合室とて空港のラウンジの如くでは納得のいくもの。前回親知らずを抜歯の折には麻酔の效いたまま銅鑼灣皇后飯店にてビーフストロガノフを食し我ながらバカだと思ったが今日は今日で麻酔がまだ效いているのに中環Exchange Squareに数ヶ月前に開業した札幌にてサッポロラーメン食す。口唇がきちんと閉まらずラーメンの汁が口から埀れる恥ずかしさ。フラマホテルよりやはりExchange Squareに移転した天麩羅あげ半のA氏営むラーメン屋。尖沙咀のDomon、油麻地の横綱あたりが香港のラーメン専門店として有名だが個人的には札幌の西山製麺の麺を使ったこれを好むところ。ジム。ジムの筋力トレで上腕筋のトレを続けながらあんまり暇でふと勘定すればこれを始めて一年余で120回ほどプログラムに参加しており一回のトレでこの上腕筋のためのウェイトの上げ下げが数えたら70回あった。つまり一年余で8,400回ほどこの上げ下げをしていると思うと人間とはつくづく暇な生き物だと思う。チョムスキーの『9-11』読了。溜飲下ル思ヒ。サイードがどうしてもパレスチナ人としてパレスチナの立場を語ることに力点がおかれているのに対してチョムスキーアメリカ合州国という国家の粗野をきちんと理論的に並べてみせてくれる。だけどこの人をマサチューセッツ工科大学に任職させておけるだけ(そういへばサイードだってコロンビア大学教授だった)合州国といふ国家の度量の広さか。
▼築地のH君より昨日の読売新聞書評にて中央公論社『日本の中世4女人、老人、子ども』(田端泰子、細川涼一著)の書評を氏家幹人氏が書いておりそれを教えられる。読書欄といへば朝日だと思っていたが読売日曜版の読書欄読むとこの『女人、老人、子ども』を氏家さんに書評依頼したこの眼力といい紹介されている山崎正東京都知事の研究』など面白そうな本が並び「へぇ」と思ふ。話は戻るが氏家さん曰く
「…キーワードは多様な家族と人間の絆、といっても著者たちはバラ色の中世像を描いているのではない。飢饉や疫病によって肉親の命が奪われいつ孤独の身になるかもしれない厳しい現実の下、だからこそ生き抜くために血縁に拠らない「家族」が必要だったこともきちんと紹介されている。「孤独の身」の章で紹介されている僧と稚児の関係もその一例だろう。独身の僧は稚児に性的パートナーと同時に老後の介護を期待し、稚児は僧から知識を吸収する見返りに奉仕した。この事例はまた介護や師弟関係が性愛と不可分だった歴史を示唆している。嫁と舅が介護の場で向き合う心理的困難や大学セクハラ事件の歴史的背景まで教えてくれるのである。」
氏家さんらしい書評だがここで紹介されている僧と稚児の関係はまさにカソリック教界を震撼させた司教の児童セクハラにつながるわけ。氏家さんも「歴史」と限定しているが(つまり現実とは異る)かつては単なる大人が子どもをイタズラする行為ではなくそこにここでは知識の吸収という<見返り>があったわけで、そういったバーターの関係が成立していたのが中世であった。これが崩れたのが倫理や道徳といったものが急に大切な観念となるビクトリア朝以降の現代社会であって日本でいへば折口信夫までなのでしょうが、否、淀川長治黒澤明まであったのかも。いずれにしても最も重要なことは当時はそうでもしなきゃ知識であるとか教養ってものが会得できない社会だったわけで知識や教養は寺や教会、貴族の邸の中に収蔵されていたから、それを得たい若者は何らかの命がけもしくは普通の人生を捨ててその魔界に足を踏み入れたわけだけど、現代社会ってのはその知識や教養がお寺や邸から街頭に散らばってしまった時代なわけで(……なんか口調が橋本治モード)、だからそんなきれいな身体を犠牲にしてまでお師匠さんに尽くして会得するようなものはなくなっちゃった。大学の先生も知識や教養のレベルが一般人と同じになってしまったら、単なるスケベオヤジなわけで、京大の矢野暢教授あたりがセクハラと教養授与の限界だったのだろうけど相手が我慢してでも矢野先生の教えを受けようと思うか(子弟)告訴してやろうと思うか(被害者)って選択で告訴を選んだ段階で矢野先生はギリシアの昔から続いてきたのであろう性愛を通じた子弟関係の園から法廷へと引摺り出されてしまうことになる。ってわけで氏家さんは大学セクハラにまで言及しつつその「歴史的背景」と断わっているのは、歴史のなかでその<見返り>の価値観がずいぶんと変わってきてしまったからなんだろう、と独り合点す。