富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

七月十八日(木)曇。黄昏に廟街通り抜ければまだ夜陰も漂わぬうちより街頭には娼婦と云ふにも稚き少女たち数数多企ち呆けその情景カフェー猥雑なること日に日に甚だしく遂にはカフェーより女給街頭に溢れ私娼となりし昭和七、八年の銀座の如し。往時よりこの一帯娼婦多く廟街皇后などと称されし女将仕切り二樓にて売淫ありしものの街頭にここまで娼婦溢れる宵かつてはなし。街娼といへば元洲街に企つ東南亞各地よりの私娼少なからずといへども今日日の廟街に企ちたる大陸各地より到来せし少女たちの数に比べれば零細なる淫売なり。それにしても夜店街の廟街(テンプルストリート)といへば観光客も頗る多き一帯にて其所に娼婦ら何の恥じらひも見せず街頭に企ち娼友と談笑する様溌剌とすら映るほどにて寧ろあヽも堂々とされては客こそ恥じらひて娼婦に近づけぬ。薮用済ませM氏らと廟街(といつても寂れし佐敦道南なり)の裕發樓にて潮州料理。M氏とは薮用先にて先週遇ひ巧みな日本語で「呑もうよ、五味鳥で焼き鳥とかで」と誘われしが本晩酒飲まぬ連れもあり裕發樓とし蠣仔餅、韮菜蜊炒など秀逸。M氏物語る処に依らばかつて五、六百元せし淫売の代価不況と私娼繁殖に依り値下甚だしく最近は淫売按摩より廉価にて手交ならば一百元、口交にて二百元、肉弾戦三百元にて受ける私娼ありと。風俗乱れたる様まことに愕然。佐敦の某酒場にて独り一酌すればC君と邂逅し一談。