富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

七月十九日(金)曇。自動車で北角七姉妹道通れば運転手S氏かつて百福道に上る路地に美味なる大排档数件ありと物語る。大排档は屋台の小料理屋にて档(腰掛け)を店の周りに排した、なる意かと察す。大排档「非衛生的」と食物衛生なる小賢しき観念横行し政府当局営業許可発給せず少なくなりしがS氏曰く大排档は料理客の目前にて調理されれば具が新鮮か調理が汚いかは一目瞭然、寧ろ客に見えもせぬ裏方で調理される料理屋こそ疑うべき、と。道理。ジム。美孚に藪用あるが単なる新興住宅地にて東急田園都市線の駅前の如く居住者には生活圏なれど部外者には何も興趣すらおきぬ街。麥當勞毛唐の快飯(ファーストフード)の分際にてオキテ破りで晩には米飯物を販売し始め試しにとチキンソテー飯。いずれにせよマクドナルドが飯物売ること何がマヅいのか、ではいつたいマクドナルドの定義とは何かと考察しつつ食せばけして不味くはなきもののパンチなき単調な味付けにて白飯日本米と宣ふが不味き外米にて炊き方粗雑か飯はぼそぼそ。考察すればマクドナルドなるもの品数すでに多くハンバーガー屋といふには狭くアメリカ貧文化を由とし米飯物を売れぬわけでもなし(米飯とてアメリカに原來あり)。レジ上のメニュー写真眺めつつ合点せしことはマクドナルド食品なるもの基本は「片手で喰らいつき歩き喰い出来る下品さ」にあり。それ故にどうしても片手で盒(ふたもの)を持ち片手で箸を持たねば喰えぬ米飯物はマクドナルドの<粗野>に反する食品なり。いずれにせよ(量でなく味覚として)食べ足りず隣りの餃子妹にて秀逸なる煎餃(焼き餃子)食す。