富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

七月八日(月)晴。灣仔は鵝顎橋の街市を通り抜ければ香港人営むお持帰り専門の刺身屋あり店名を「お好み」といふ。リーガル香港ホテルにて「うどん用?か朱塗りのドンブリにて鱈照焼丼など前衛的な料理を供す」高級日式「朗田」(Rodaなる女の名)だの「禾田一夫」(ヤオハン和田一夫の捩りか)「百人一朱」(百人一首では支那語では妖怪)など奇っ怪なる店の名が多い香港にあって「お好み」は的を得た名と感心す。晩にZ嬢と銅鑼湾の南亜餐廰にて香港で二番目に高く一番美味い海南鶏飯。隣席に煙草を吸わず噴かすだけのバカ女おり煙く不快。煙草なるもの紫煙をば一筋の煙たりとて弄ばず吸うが作法。
▼先週木曜に視たThe Cupの監督(Khyentse Norbu)は宋薩欽哲仁波切(Dzongsar Khyentse Rinpoche)なる法名チベット僧にて若手ながらかなり積極的にチベット仏教の伝導をしており映画公開に時を同じくして香港にて法会開催せしことを今日になって知る。既に遅し。
谷譲次の『踊る地平線』多少長くはなるが谷がモスクワを訪れて綴る一文は、といえば……
モスコウはいま何かを生み出そうとして、全人類史上の一大試練(エクスペリメント)に耐えようとしているのだ。だからシベリアの汽車で会ったと同じ「若い性格」の兵士と労働者と学生をもって充満し、まずしい現実のうえにうつくしい理論が輝き、すべての矛盾は赤色の宣伝びらで貼り隠され、「われらは無産者のために何を思い何をなしつつあるか」が多く叫ばれてすくなく行われ、都会と農村、工業と農業のあいだに救うべからざる不具の谷が横たわり、物々交換がその「新経済政策」であり、「教育」はみんな階級戦士の養成であり、無産独裁がいつしか共産党独裁となり、これがこんどはスタアリン独裁と自然化し、「共産党にあらずんば人にあらず」であり、新選組ゲイ・ペイ・ウ(KGBのことか……富柏村)は人ふるれば人を斬り馬触るれば馬を斬り、あたらしい皮ぶくろに原始的な英雄政治が盛られ、民は知らされずして凭らせられ、イワンは破れ靴とからの胃の腑で劇と文学を論じ、よごれた毛糸の襟巻をしたナタアシャが朝風を蹴って東洋美術の講義を聴きに大学へと急ぎ、イワンの父親は辻馬車(イズボシク)のうえで青空に向って欠伸をし、ナタアシャの母はそっと聖像をとり出して狂的な接吻を盗み、物資欠乏の背の重い「友達(タワリシチ)」たちが、うなだれるかわりに理想を白眼(にらん)で昂々然と舗道を闊歩し、男も女も子供も犬も街上に書物を抱え、私有財産を認めない掏摸(スリ)がその本を狙って尾行をつづけ、お寺の金色塔に赤旗がはためき、レーニンの尊像に空腹が十字を切り、それらを包んでプリズムのように遠近のはっきりした空気、曲がりくねった道路、前のめりの古い建築物と、電車にぶら下がる親なし児(ペスブリゾウルヌイ)の大群……莫斯科(モスコウ)は近代のチベットである。
……と昭和の始め国内では共産主義といえば講座派vs労農派といった理論対立か官憲による赤狩りの時代にシベリア鉄道にてモスクワに着き僅か数日の谷先生のこのアヴァンギャルドで且つ共産主義の現実を見据えたこの一文。凄いの一言。