富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

七月初四日(木)快晴。Z嬢と灣仔はJohnston Rdと灣仔道のY字路にある宵夜には適した飯屋・生記飯店にて夕食。鹽局鷄、猪潤は美味。芸術中心にて"The Cup" 小喇嘛看世界盃(監督:Khyentse Norbu、2001年)を看る。印度ダラムサラに亡命せしチベット仏教の寺にて機知にとんだ小坊主が1998年のW杯を看たいがために奮闘する物語、といふと他愛ないが当然のことながら「チベットでは今もまだ中国の米が作られる」といふ中国チベット侵略せし事実と、W杯にてフランス応援せし理由はフランスがチベット支援しているからだといふセリフ、印度は人口も多いし不満もあるがチベット亡命政府をこうして受入れてくれるといふという現実など余すことなく描く。この「反中映画」が上映できたことだけ香港はまだ自由か。それにしても普段は北京中央を非難しつつチベット、台湾のこととなると途端に大同団結し統一派となり頑なに大中華圏を支持する香港人がこの映画を看て何をどう感じたか知りたし。
▼九月歌舞伎座にて京屋の八橋で「籠釣瓶」。佐野次郎左衛門は播磨屋。これは京屋一世一代の八橋になるのか?と築地H君と談義。寺子屋の松王、勧進帳の弁慶、逆櫓の樋口次郎、千本桜の知盛など高麗屋の役が弟にここ数年「解禁された」感あり、とH君。籠釣瓶といふと余が最期に観たるは1988年の大成駒の一世一代の八橋にて個人的には高麗屋の歌劇の如き次郎左衛門は好かぬが<近代性>を全く違う意味ながら(笑)追及せし大成駒と高麗屋はこの頃共演多し。大成駒あの年はこれに続き十一月に神谷町と二人道成寺、十二月に国立で先代萩の政岡、翌年三月にまた高麗屋と関の扉で墨染、五月に摂州合邦辻の手御前と日本を離れるまで大成駒の最期の舞台を見続けしことを回顧。今回の京屋、播磨屋の籠釣瓶はかなり期待大。大成駒の八橋といえば先代の幸四郎(のちの白鴎)との舞台幼少ながら観た記憶にあり調べれば昭和45年10月の歌舞伎座にて大成駒、八代目に治六が三代目実川延若だったと判る。祖母に連れられ天一で天麩羅、キンタロウでおもちゃ買ってもらえるが嬉しく芝居見物についていっただけが今にして思えば素晴らしい舞台を観ていたと彷彿。むかし「六代目の舞台は」とか「先代の吉右衛門は」などと祖父母の話に出てきて全くわからずにいたが今となっては若い衆に「勘弥は」とか「勘三郎は」といふ我もまた年老いたり。それにしても九月の夜の部にて神谷町の踊りで「年増」(笑)、神谷町が自ら踊りたいといったのか松竹側が「芝翫さん九月はひとつ「年増」で」とでもお伺いするのか……いずれにしても洒落にならず。
▼屯門公路での時速200公里の自家用車が大破し自動車事故二死二危という惨事ながら蘋果日報の記事「製造から僅か三年のポルシェ」「時価HK$100萬」と二死二危にもまして高級スポーツカーの大破が「もったいない」という口ぶり。確かに父親が屯門で焼鑞店を手広く経営しカナダ留学の愚息23歳が夜な夜な歓楽街にて飲酒し友人と午前二時の暴走では同情に値するべくもなくこの若者に愚弄されたポルシェのほうがよっぽど価値あり、といふことか。
▼大嶼山の寶蓮寺(大仏)に空港より観光用ケーブルカー設営を政府承認しMTRにそれを委ねる。寶蓮寺側はケーブルカーこそ交通状況の改善と歓迎するが寺周辺に計画されたショッピングモール、テーマレストラン、宿泊施設の類に静寂さを破壊すると反対。殺生を禁じ精進料理を供す寺のまわりにてファーストフードの類の肉食をされては、と寺はいふが事実すでに寺の裏には食肉売酒の料理屋数軒あり。大仏を建立せしことじたい観光寺化への邁進にて週末のその賑わいと喧騒、拡声器での案内放送などランタオピークの頂上にまで轟くほどの騒音、環境破壊にて今さら何をか言わん哉。すでに俗化の極み。